独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

城下町佐倉の歴史探訪 

2005年05月25日 00時49分22秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

      千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成17年 5月度定例会

         開催日 平成17年5月21日 
         参加者 55名
         集合地 JR佐倉駅 9時集合

先ず国立歴史民族博物館へ

 国立歴史民族博物館見学は1時間半にアッという間に集合時間に残念!
       ↓
 武家屋敷 旧河原家・但馬家・武居家
       ↓
 麻賀多神社 佐倉城鎮守の社
       ↓
 旧堀田邸(さくら庭園)
       ↓
佐倉順天堂記念館へ

旧佐倉順天堂 千葉県指定史跡 昭和50年3月28日指定


順天堂は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾を開いていた蘭医佐藤泰然(さとうたいぜん)が佐倉に移り住み、天保14年(1843)に開いたオランダ医学の塾です。
ここではオランダ医学書を基礎としながら、当時としては最高水準の外科手術を中心とした実践的な医学教育と治療が行われ、その名声により幕末から明治にかけて全国各地から多くの塾生が
参集しました。

泰然の養子佐藤尚中(たかなか)、山口舜海(やまぐちしゅんかい)は、長崎でオランダ軍医ポンペに学んだ後、系統的な医学教育をとり入れ、ここで学んだ塾生の多くが明治医学会において
活躍しました。

明治時代になると佐藤尚中は新政府から大学東校(現東京大学医学部)の最高責任者として招かれた後、御茶ノ水に順天堂医院を開業しました。
一方、佐倉の順天堂は養子佐藤舜海、岡本道庵(おかもとどうあん)が受け継ぎ、佐倉順天堂として医療活動を続けました。
現在残っている建物は、安政5年(1858)に建てられたものと、その後拡充された施設の一部です。

       ↓
 甚大寺(堀田家墓所、佐藤泰然・尚中墓所)
       ↓
 京成・JR佐倉駅  解散

天候に恵まれ、顧問の先生から頂きました資料、現地ボランティアの方の楽しい説明に8km2万歩の行程に心地よい汗を流しながら新しい発見に有意義な時間を過ごす事ができました。
会長様を初め、役員の皆様に御礼を申し上げます。有り難うございました。           

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海軍中将 有賀 幸作氏の遺書

2005年05月05日 17時40分38秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

先日、日本遺族通信4月号が届いた中に有賀氏の家族へのお手紙が掲載されておりました。
戦争を知らない若い方が何かを感じ、これからの人生を大切に生きてほしい!と願い綴ることにしました。

「平成17年4月靖国神社社頭掲示」
       遺  書
    海軍中将 有賀 幸作
     戦艦「大和」艦長
     昭和20年4月7日
     南西諸島にて戦死
     長野県出身47歳

八紘一宇大東亜共榮の新秩序建設に宿望の指令として然も帝国海軍最新最鋭の駆逐隊を率ゐて外敵の撃滅に當り得るは誠に無上の本懐なり元より生還を期せず武運目出度克く任を全うし
皇恩の万分の一にも報い奉るを得ば祝福あり度


母上様  
家運再興のため御老年にも拘らず永年に渡る御辛苦御努力誠に感激の外なく思茲に至れば常に涙なき能はず厚く御礼申し上ぐると共に生前至らざる事のみ多かりしを深く御詫
申し上げます

御健康と御幸福を奉祈ます 逆乍ら好子並に子供の事宜しく御願ひします
尚好子等住所に関しては其の希望を御容れ下さい

好子どの
遇する事の薄かりしに拘らず仕ふる事の申分なかりしを深謝す
常々申渡ありて今更別に述る事なきも母上様への孝養と子供の養育を全うせられ度      
     (中略)

正幸 良江 弘明 公子殿
兄弟相授け平素の父の訓を守り心身の鍛練に學業の成就に努め忠孝の道を全うし皇國臣民の本分を果すべし

昭和16年11月15日夜認む    有賀幸作
(封書)「戦死の場合開封、それ迄好子保管のこと」 (原文のまま)

戦後60年を迎え、
NHK 平成17年5月1日 放映
特集あの日昭和20年の記憶
著名人の証言でつづる60年前の日々の中で海兵入校の方が「大和」の大きさに驚き、これなら負けないだろうと思った。と当時を語っていた。
テレビ朝日 平成17年5月3日 放映
村上VS鳥越氏の話題にも戦後60年の重み戦艦大和の“今”悲劇の戦艦大和と言われる意味。
生存者276名、戦死者3000名とメモあり。
大和ミュージアム開館の事 等にふれ「生きる意味を考えてほしい」と。

戦艦 大和で検索して
「大和ミュージアム」見学の若い方の感想が多く述べられているように思いました。
中には「男達の大和」出演の山田 純太クンを応援!
と若い方らしい憧れも良しと言うべきか? 

有賀 幸作氏で検索して
艦長として艦の沈没に先立ち総員退去を命じ艦橋のコンパスに身を縛り艦と運命をともにしたと記され、幼い頃の祖父母の話に哀しみを新たにしました。 合掌

いろいろ検索して「今月の遺書」に出会いました。

靖国神社では多くの参拝者に祖国を愛しつつ戦没された英霊の御心にふれていただきたく毎月遺書、家族への書簡など社頭に掲示。と記されていました。

艦長さんのご家族へのお手紙を拝見致し、ご家族皆様のお気持ちはいかばかりかと言葉がございません。
残された4人のお子様達がどんなにかお辛いお気持ちでこのお手紙を大切に保存されました事と胸がいっぱいになりました。

私自身も今は亡き母に届いた沢山の軍事郵便に父を偲び、艦長さんのご家族に想いを重ねております。
父を偲んで詠み、千葉日報に投稿した歌ですが、選評を頂くことができました。

    春も過ぎ夏秋も過ぎと父の書く軍事郵便何語りたかりし

先生から「気候の挨拶を続けている父の言葉を読みながら、その背後にあったであろう父が母に告げたかった本当のこととは何だったのかと今更に考えている作者です。
     重い歌。」と評をいただいた大切な一首です。                           

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする