も留守電にして、電話の鳴らない部屋での書道作品提出に最後の追い込みの17日、休憩のために階下に降りたその時、 が鳴りました。
県庁のご担当の方からでした。
「“戦後60年史”の原稿の件ですが、歌集の全てを掲載したいのですが・・・」
「説明文もですか?」
「そうです」
「短歌のみでしたらそのままでも有り難く思いますが、説明文は一部編集をさせて頂きたいのですが・・・」
「それではゲラを月曜日に届くように送ります。」
「お届けはいつまでですか?」
「出来ましたら24日までに県事務局へ返送していただきたい。」
さあ、大変!
書道の提出が終われば一段落と思っておりましたが、事の重大さに 先生にご指導を頂きたく、早速 しましたところ、とても喜んでいただき、
「月曜日の午後はおりますので、ゲラが届いたらお持ちください」と。
2月20日 (月) 午後、ポストの音に耳を傾けながら郵便を待った。
2時を少し回った頃、オートバイの音がして大きな袋を受け取った。
中には、A4の用紙、6ページに及ぶ私の記事が 早速、私なりに削除したい部分に印を付けてバスで約40分程の先生宅へ。
突然のお願いにもかかわらず、温かく迎えていただき、「どのお歌にもご両親への深い想いが込められ、努力の跡が伺えますよ」と。丁寧に添削を頂きました。
佳き先生に恵まれて短歌を学び始め、まだ3年にも満たない浅学の身ですが、2005年戦後
60年を迎えて「両親への想い」を「小さな歌集」に作成できました事に喜びを感じておりましたが、この度、千葉市遺族会の推薦を頂き、貴重な紙面を拝借出来ます
事は生涯忘れることのできない感謝を申し上げております。
写真は 「52日めの○子 江田島にて」 母(20歳)の文字が懐かしく!
2005年は戦後60年!千葉県遺族会が記念誌発行の運びになりました。
各市町村の関係者から原稿募集にあたり、限られた紙面上、各市町村の責任者の推薦とのお話に他人事と思っておりました。
この度、会の中では若輩者の私に千葉市遺族会の一人として原稿提出の依頼を頂きました。
最初は 「無理です」 と申し上げたのですが、 「日本遺族通信 九段短歌」 に毎月投稿し、継続して掲載されておりますことが
「推薦理由」 と伺い、私の生涯においての大切な記念として 「短歌で綴る両親への想い」 を提出することに致しました。
短歌を学び初めてまだ3年の浅学の身ですが、
亡き父を偲びて詠みし歌幾十小さき歌集に収めて供ふ
佳き先生に恵まれ、昨年 「小さき歌集」 をPCで作成することが出来ました。
この歌集をもとに私の幸せな誕生(写真)から
わが生れし江田島訪へばよみがえる母に抱かれし遠き日恋し
母(25歳)の涙
呆然と戦死の公報握りしめ若き日の母土間に立ちゐつ
今の幸せに感謝して
戦死せし父の無念の上にあるわが生か今は温き日重ねて
までの30首をまとめようやく提出完了!
この一週間、皆様のブログを拝見することも、更新する事も出来ずにひたすら原稿の推敲に時間を費やしておりました。
久々に多くの皆様の素敵なブロブにお目にかかっております