千葉市稲毛浅間神社において古稀を祝う正式参拝合同同窓会
平成22年 3月29日 (月) 夕方から 小 気温 寒い一日でした。
国道14号線から参道を通って正面に本殿・社務所・玄関をのぞむ
稲毛浅間神社のご案内 http://inage-sengenjinja.or.jp/index.html
頂きましたパンフレットから転載
御祭神
主神 木花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと) ・・・安産 ・ 子育ての守護神
配祀 瓊々杵尊 (ににぎのみこと) ・・・国土平安・家内安全・産業発展の守護神
猿田彦命 (さるたひこのみこと) ・・・道開きの神・交通安全・厄難消除の守護神
御由緒
当社は富士山を神と仰ぎ奉る信仰にはじまります。
大同3年(808年)平城天皇の御代、現在の静岡県富士宮市大宮に鎮座する、富士山本宮浅間大社の御分霊を奉斎したのが起源とされています。
治承4年(1180年)には源頼朝が東六郎胤頼を使者として御幣物を捧げて武運長久を祈願したのをはじめ、千葉常胤以来、代々の千葉氏の信仰が篤かったことが古記録等により伺い知れます。
また、文治3年(1187年)の社殿再建に際しては、富士山の形に盛土をし、参道も富士登山道にならい三方に設け、社殿は東京湾を隔てて富士山と向かい合って建立されました。
古稀をご祈祷戴いた御神札と暦 本殿の前で参加者50名の皆様(同期生は200名)
昼食のお弁当 デザートに コーヒー
宮間宮司様を囲んで 懐かしい再会に談笑のひととき
合同同窓会は検見川小・畑小・花園中出身の地域のお仲間が一同に会して楽しい再会を重ねております。
この度の合同同窓会は、古稀を祝し、今後の健康を願い、浅間神社宮間宮司様のご厚意を頂き「古稀を祝う正式参拝合同同窓会開催」 の運びとなりました。
参加者50名の皆様は本殿に額ずき、祝詞をいただき、厳かにご祈祷する機会をいただきました。
懐かしい再会の喜びは勿論ですが、古稀祝の御神札を頂き、明日へのエネルギーと沢山の幸せに記憶に残る記念の同窓会となりました。
2次会は場所を変えて遅くまでカラオケ大会 を楽しみました。
この度、会場の提供を頂きました宮間宮司様を初め、役員の皆様方には、多大なるご尽力を頂き、素敵な節目の同窓会になりましたことに心から御礼を申し上げます。
誠に有り難うございました。
最後に稲毛浅間神社の7月15日の例大祭 (安産 ・ 子育て大祭) について
私たち千葉市民は、幼い昔から 「稲毛祭り」 と呼んで毎年 7月15日 を楽しみにお参りしておりました。
(パンフレットより転載)
当社の安産 ・ 子育ての貴い御神徳にあやかろうと千葉全県下をはじめとして、関東各地より約35万人の参拝者が訪れております。
特にお山参りと称して最近1年間に生まれたお子様を同伴して参拝する習慣があります。
当日は、JR稲毛駅から国道14号線に至る道路は車両が通行制限され、道路の両側や参道は数百軒の露天商が店をつらね、夏祭を楽しむ参詣人で、千葉県随一の賑いを見せています。
詳しくは上記HPをご覧頂きたく存じます。
平成21年 春彼岸 91歳のお婆ちゃまと1歳7ヶ月の未歩ちゃん
平成22年 春彼岸 92歳のお婆ちゃまと2歳7ヶ月の未歩ちゃん
昔から「遠くの親戚より近くの他人」と言う大切な言葉を学んで参りましたが、夫が赤ちゃんの頃から又、私の子ども達が続いてお世話になり嫁いでから半世紀もの長い間、
姑の友人の家族の皆様に実家以上のお世話になって参りました。
3人の子ども達を育てながら姑の看病に寝る間もなかった当時を振り返ります時子ども達を預かって頂き、いつも美味しいお総菜を届けて下さった事等々に感謝は尽きません。
姑亡き後も変わらないご厚意をいただき、未歩の成長を楽しみに家族の皆様に迎えていただいております。
夫、子ども達がお世話になりましたお婆ちゃまは今年92歳を迎えます。
少し腰が曲がって歩きにくそうですが、昔と少しも変わらないお元気にほっとしております。
この度の訪問に嬉しかった事は 石渡のおばあちゃん今日は」と未歩がご挨拶出来たことでした。
家族の皆様の大きな に迎えられ、この日一番の になったように思いました。
感謝の気持ちに何とか応えたい
は「お婆ちゃまと未歩のツーショット」の記録が良いのでは と思いつき と一緒に関係のブログをプリントしてお届けしております。
お婆ちゃまはいつも「朝一番に未歩ちゃんのアルバムに元気をもらっていますよ」と。
未歩の成長を見守ってくださるご家族の皆様に感謝の他言葉がございません。
この度の訪問にも美味しいご馳走を沢山ご用意頂き、夕食におやつの大袋のお土産までいただき、幸せな感謝のお彼岸訪問でした。
平成22年3月 靖国神社社頭に掲示された遺書
福島県出身 海軍大尉 橋本 光雄 様 26歳
昭和20年3月11日 インドシナ東方海上にて戦死 合掌
「涙の出る限り泣いてください」とご両親様に宛てた遺書です。
光雄、このたび、海軍予備学生に志願中のところ、採用予定者として1週間の後、家郷を出でんとす。
(中 略)
世人或いは云はん。何も大学まで進みながら、最も危険なる航空に志願せずともよろしからんにと。
されど大学は立身出世の為の大学にあらず。祖国なくして大学なく、祖国なくして家もなし。
(中 略)
光雄が死ぬときは天皇陛下萬歳、 大日本帝国萬歳と呼んだら、すぐ心の中で母ちゃんと呼びます。心の中で呼んでも母ちゃんにだけは聞こえる様に呼びます。(中 略)
人様の居らぬ所ではいくら泣いても良いです。(中 略)かまはぬからお二人で涙の出る限り泣いてください。(中 略)
生涯(こしかた)を光雄(われ)の将来(ゆくへ)に捧げたる母が慈愛(なさけ)に何と報(こた)へん。(中 略)
昭和18年9月1日
ご両親様
上記に遺書の一部を転載させて戴きました。
お母様を恋しいと慕う24歳(遺書は戦死の2年前のものですので)の青年が「祖国の急を救ふため、男子の本懐として雄躍征って参ります。」 と遺された遺書。
ご両親様のお気持ちはいかばかりでございましたでしょうか。 合掌
こんな悲しい事は二度と繰り返してはなりません。私達遺族は、悲惨な戦争の事実を語り継ぐ義務が有ると考えます。
今年は戦後65年を迎えますが、遺族の悲しみが失せることはありません。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたので、ご一読頂ければ幸いに存じます。
“父戦死”の報に夜毎の母の涙五十年前の忘れぬ面影 滋賀県 女性
赤ままを手折りつつ墓処の径夫の知らざる曽孫をともなひ 横手市 女性
夫を待ち涙流しつ植ゑし田に時代変りて稲穂は見えず 山形県 女性
音立てて戦地の土に浸みてゆく父の好みしふるさとの酒 青森県 女性
征く叔父を小旗を振りて見送りき仏間の写真今我を見守る 青森市 男性
収骨の日々のさまざま偲ばれて昨日の如く眼裏に顕つ 出雲市 女性
戦友焼きし曠野に炎消ゆるとき沈みゆく日よ草紅葉映ゆ 篠山市 男性
ひと杓の清き水捧ぐ兵士像に雅楽に和める秋のみたま祭 名古屋市 女性
戦死せし父を知らねどわが振舞父に似てきしと亡き母の言ふ うきは市 男性
亡き兄が最後となりし滞在地母と訪る尾道の宿 横浜市 女性
波よせる伊良湖岬に浦うらめ海に果てにし兵を悼みぬ 常滑市 女性
戦地よりの文の末尾に「住所変更」と朱書きせし気遣ひ今も吾を打つ 千葉市 私
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成22年 3月度定例会
「開催のご案内」
今年度最後の定例会は、茨城県古河市及び結城市を訪ねます。
古河市は、江戸時代日光・奥州街道の要地として代々徳川譜代大名の老中格の大名が城主となり栄えた街です。
街道の宿場町として栄え、又、優れた蘭学者がでました。
古河出城跡に開館した 「古河歴史博物館 (別館・鷹見泉石記念館)」、「古河文学館」、「篆刻美術館」、「街角美術館」 及び小説家 「永井路子旧宅」 を訪ねます。
尚、昼食会場 (古河文学館2階レストラン“唐草”) の都合上、募集人数は一日53名とします。
上記のご案内に2日間にわたって開催されました有意義な旅に多くの会員が参加されました。
予報では朝9時頃まで が残ると心配しました3月16日(火)幸にも4時過ぎには も上がり、温かな春の陽ざしを受けながら、大勢の皆様と楽しくご一緒させていただきました。
18日参加の皆様 古河文学館前で
1.開 催 日
3月16日(火) 日中の気温18 度 参加者48名(の皆様とご一緒させて頂きました。)
3月18日(木) 日中の気温 ? 度 参加者47名 延べ95名が参加されました。
2.集 合 場 所 JR 千葉駅NTT前 7時20分
JR 津田沼駅前 7時50分
3.訪 問 先
【結城市】
(1)本場結城紬 “郷土館”
工房見学 展示の着物は300万円以上に
(2)酒蔵“武勇”
昼食前の試飲に食前酒と皆さん
【古河市】
江戸の世の街道に栄へし古河は今桃の木二千本に町興したり 嘉子
※「観光ボランタリーガイド」の皆様に市内の博物館・美術館など楽しいご案内をいただきました。
(1)古河歴史博物館及び鷹見泉石記念館見学
室町時代以来の城下町として栄えた古河、その古河出城跡に平成2年に開館しました。
古河の歴史紹介を中心に、文化遺産を展示しています。
古河藩家老で蘭学者でもあった鷹見泉石の業績や、古河藩主の土井利位 (どいとしつら) が作成した 「雪華図説」 を展示しています。
エントランスホールに展示されたストリートオルガンは、オランダ製の屋外用手回しオルガンで空気圧を利用して自動演奏する 楽しい楽器を見ることが出来ました。
館員の説明を受け、ストリートオルガンの美しい音響とすばらしい音色に感動しました。↓
古河歴史博物館 ストリートオルガン
鷹見泉石の晩年の住まいを公開した記念館 鷹見泉石記念館前の風景
(2)古河文学館
新装の文学館の棚うむる永井路子の『雲と風と』等々 嘉子
茨城県内初の文学館が、平成10年に開館。
大正ロマンの香りが漂う洋館で歴史小説の第一人者の永井路子、推理作家の小林久三、時代小説から現代小説まで幅広く活躍中の佐江衆一、詩人の 粒来哲蔵、粕谷栄市、山本十四尾、
歌人の沖ななもをはじめとする、古河ゆかりの作家の作品や、児童文学史に大きな足跡を残した絵雑誌「コドモノクニ」 の原画など、数々の貴重な資料が展示されています。
建物についての説明
サロンに幻の名器が
竹針にて奏づるといふ蓄音機いかなる音かと耳傾くる 嘉子
幻の蓄音機なれば緊張し春日の下に「パリ祭」を聴く 嘉子
イギリス蓄音器界の鬼才E.M.ジーンの手作りで、1930年頃に製作された貴重な名器と説明有り。竹針 を使用し、ラッパ部分は 紙製 とのことでした。
窓に射し込む午後の日差しの中で、見学前の一時、シャンソンに耳を傾けることができました素敵な時間を頂きました。
幻の蓄音器 幻の蓄音器による「パリ祭」に耳を傾けて
文学館を後にして
日光・奥州街道の要地として等々 敷石に雪の結晶が
雪の結晶
敷石に雪の結晶刻まるを説明は二の次シャッターを押す 嘉子
町中に雪の結晶刻まれり土井利位の研究称へて 嘉子
文学館の後は「古河一小」の東側を北へと進み、雪華模様がちりばめられた歩道になっています。
土井家11代藩主利位 (としつら) は、日本初の雪の結晶の研究者として知られていると説明有り。
天保3年(1832)に「雪華図説」(古河歴史博物館に展示) を上梓。
上下巻合わせて183種が収められているという。
そして、この歩道は3種の雪華模様を組み合わせているものと。
市内の小中学校の校章は、全て雪の結晶をアレンジしたものであるそうです。
古河市を訪れると雪華は町のシンボル的存在で、繁華街の街路灯などあちこちで雪華を眼にする事が出来るそうです。
昼食会場の古河文学館の2Fのレストラン 「唐草」 の看板の装飾にも雪華が描かれていました。
(3)篆刻美術館
平成3年春に開館した日本で初めての篆刻専門の美術館です。
旧城下町の石町通りに面して大正9年に建設された3階建て石倉を改修したものです。
展示室も当時の雰囲気を残しています。
館内には、古河出身の故生井子華の遺作をはじめ、中国、日本の歴史的作家の作品を常設展示してあります。
また、本建物は平成10年10月に、国の登録有形文化財に指定されました。
(4)永井路子旧宅
保存せし永井路子の旧宅は古き商家のおもむき残す 嘉子
(5)正定寺
江戸時代初期、家康・秀忠・家光の三代に仕えた古河城主・土井利勝の開いた寺で、土井家歴代の墓所です。
また、四代将軍家綱の母・お楽の方の墓、芭蕉塚など歴史的文化財に富んでいます。
土井家の墓所は、東京浅草の誓願寺にありましたが、歴代七十余霊と共に昭和2年12月この正定寺に改葬されたものです。
利勝は、家康の子であるといわれ、その由書がきざまれている石碑が本堂前にたっています。
正定寺正門 四代将軍家綱の母・お楽の方の供養塔
赤 門 黒 門 (古河市有形文化財)
黒門 はもと東京の本郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷の表門でありましたが、昭和8年に土井家の菩提樹である当正定寺に移築、寄進されました。
第四代将軍生母 お楽の墓
(6)旧武家屋敷通り
風格ある土塀の続く通りを散策しました。
ここが有名な旧武家屋敷で、江戸時代の名残を今に伝えるスポットとして人気が高い。
外観のみの見学に でした。
(7)長谷観音
古河城の鬼門を守る仏で、歴代古河城主の祈願所。
本尊は木像十一面観世音像。
鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷の一つと言われています。
に恵まれ、初めて「茨城県古河市及び結城市を訪ねる旅」に参加をさせて戴きましたが、とても静かな落ち着いた街並みに、又見学の施設も見事に管理され、充実した展示物に多くを
学ばせていただきました。
会長様を初め、役員の皆様、下見から、昼食会場の設定までいろいろとご尽力をいただいておりますことに心から御礼を申し上げます。
又、今年度役員を退任されます皆様、長い間有り難うございました。
続いて役員をお引き受け下さいました皆様、新たにお引き受け下さいました皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
歴史倶楽部への参加は私の健康のバロメーターです。
に心掛け長く御一緒させて頂けますように たいと思います。
平成20年(2008年)6ヶ月を迎えた 初節句 のお祝いの未歩ちゃん
寝返り準備中で~す は~い 出来ましたあ~
おかげさまで大きくなりました。
平成22年(2010年)3月3日 おひな祭りを楽しむ2歳6ヶ月の未歩ちゃんです
「うれしいひな祭り」 をお遊戯をしながら上手に歌ってくれました。
「七段飾りは飾るのが大変だから」と簡単なお祝いをしたのですが、これでも結構大変 と。
保育園に飾って戴いてありますようで、未歩ちゃんは「飾って」「飾って」と言っていたようです。
先生に作っていただいたおひな様 ↑が嬉しくて「ペタペタはったの~」 と桜のお花を糊付けした事を伝えてくれました。
自宅に飾るはずのお雛様は、娘が勤務を持っているためにとうとう の有様に。
「うれしいひな祭り」を歌うたびに、「ぼんぼりがな~い」「金の屏風がな~い」等と可愛そうな事をしてしまいました。
来年からは、未歩ちゃんと一緒にば~ばが飾ることにしましょうと反省しましたおひな祭りでした。
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成22年 2月度定例会
「開催のご案内」
東京に唯一残り、庶民の足として今も利用されている 「都電 ・ 荒川線」 周辺を訪ねます。
「都電 ・ 荒川線」 は営業距離は全長 12.2km 、一日平均乗車人数は 53,000名(平成18年度末現在) です。
「都電 ・ 荒川線」 沿線の見所は多く、今回は 「大塚駅前」 から 「早稲田」 迄の区間の周辺、 造幣局 ・ 雑司ヶ谷鬼子母神 ・ 早稲田大学 等を訪ねます。
上記のご案内に3日間にわたって開催されました楽しい旅に多くの会員が参加されました。
私は に恵まれました3月5日(金)多くの皆様と楽しくご一緒させて戴きました。
早稲田大学 (は広報誌より) を訪問して 3月5日(金) 参加者 60名の皆様
大隈 重信像
代々の学生たちに 「老候」 と呼ばれ親しまれてきた大隈重信。
構内中央広場に建つ朝倉文夫作の銅像。式帽をかぶり、長いガウンに蝶ネクタイ、右手に杖を持って大隈講堂と対峙している。
詳しくは 千葉実年大学校HP ~ サークル活動 ~ 歴史倶楽部 をご覧下さい。
http://www4.ocn.ne.jp/~zitudai/
1.開 催 日 2月度定例会ですが、訪問先の都合に合わせ、3月上旬に設定されました。
3月1日(月) 気温13度 参加者31名
3月2日(火) 気温 7度 参加者39名
3月5日(金) 気温20度 参加者60名 延べ130名が参加されました。
2.集 合 場 所 JR 大塚駅改札口前広場
3.集 合 時 間 9時20分
4.訪 問 先 等
(1)独立行政法人 造幣局 東京支局 (都電・向原駅 5分)
私の100円玉のしんだん書
造幣事業紹介ビデオ上映後、説明を頂きながら下記を見学。
・造幣東京博物館見学 (貨幣・勲章製造工程、貨幣・勲章などの展示)
・工場見学 (勲章・プルーフ貨幣製造工程)
※紙幣は製造していない (紙幣は国立印刷局)
(2)昼 食 : サンシャインシティ・プリンスホテル (造幣局から10分)
とても美味しいLunch Buffet を楽しみました。
(3)雑司ヶ谷鬼子母神堂 (都電・鬼子母神前 5分)
ケヤキ並木 境 内
都電荒川線「鬼子母神前」駅からの参道にあるケヤキ並木、古いもので樹齢400年。
東京都の天然記念物に指定。現在は4本を残すのみ、新しく植樹もされていて、並木道の景観を残しています。
江戸時代から信仰が続いていて、子授け、安産のご利益があると知られている。
ここの鬼子母神の 「鬼」 という字はツノを取った文字 を使用している、というのも特徴的。
鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない 文字を用いて尊称としているそうです。
大 銀 杏
大銀杏は鬼子母神堂境内のご神木。東京都指定天然記念物。
大銀杏は子育て銀杏と呼ばれ、高さ約33m、幹の周囲は約8m、樹齢600年という神木、雄株の公孫樹(いちょう)です。
(イ)駄菓子屋 「上川口屋」
お元気な13代目 13代目を囲んで記念
境内にある1781年創業。天明元年の創業以来230年近く続く老舗の駄菓子屋。
現在の店主さんは13代目古びた佇まいにガラスの入れ物が何とも懐かしい。
おススメ駄菓子はきな粉餅とココナッツラスク、あとラムネ等々・・・
10円、20円で購入できる駄菓子に お孫さん達への にひととき楽しみました。
(ロ)郷土玩具 「すすきみみずく」
[由来]
昔、貧しさゆえに病気の母親の薬を買えなかった娘が鬼子母神に祈ったところ、夢の中に鬼子母神が現れて 「ススキの穂でみみずくを作り、それを売って薬代にしなさい」 と告げた。
娘がその通りにしたところ、みみずくは飛ぶように売れ、そのおかげで薬を買うことが出来たという。
19世紀前半から伝わると言われているすすきの穂で作られた野趣味豊かで愛らしい郷土玩具。玄関などに飾って魔除けに効果があると言われています。
(4)金乗院 目白不動 (都電・学習院下 約4分)
金乗院山門 目白不動
五色不動のひとつとして信仰を集めた。
江戸五色不動は徳川家光が天海僧正の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来する。
戦災で焼失し現在は金乗院に移されている。
五色不動 目白不動 ー 金乗院(高 田) ・ 目黒不動 ー 瀧泉寺(下目黒)
目赤不動 ー 南石寺 (本駒込) ・ 目青不動 ー 教学院 (太子堂)
目黄不動 ー 永久寺 (三ノ輪) ・ 目黄不動 ー 最勝寺 (平 井)
(5)南 蔵 院 (目白不動から 3分)
山門の前で説明を聞く
この地は 「牡丹灯籠」 や 「真景累ヶ淵」 などの口述筆記で、二葉亭四迷 (1864~1909) らの言文一致運動に影響を与えた 落語家 ・ 初代三遊亭円朝 (1839~1900) の代表作の一つ
「怪談・乳房榎」 の舞台となった寺としても知られている。
本堂は一般公開されていない。又、墓地も入場禁止となっている。
(6)高田氷川神社 (南蔵院の隣)
江戸時代の下高田村 (現 ・ 豊島区高田、目白、雑司ヶ谷および文京区目白台) の鎮守で、素戔鳴尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
・ 大巳貴命(おおなむちのみこと) の3神を祀る。
氷川神社 ~ 都電 ・ 面影橋乗車までの見所
山吹之里 面影橋からの眺め
山吹之里
オリジン電気の入口に、この石碑がひっそりとありました。「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだに無きぞ悲しき」道灌は鷹狩りに出掛け雨に遭い、貧しい家に駆け込み、
蓑を貸して貰えぬかと声をかける。村娘が黙って差し出したのは蓑ではなく山吹の花一輪。
花の意味が判らなかった道灌は、無学を恥じ和歌の勉強を始めるという逸話です。
「山吹之里」の場所については、ここ以外にも横浜市六浦、埼玉県越生町、荒川区町屋などとする説もあります。
面影橋
桜の美しい光景に思いを寄せて素晴らしい枝振り を に収めました。
面影橋(おもかげばし)は、東京都を流れる神田川に架かる橋です。
面影橋駅そばにある単純なコンクリート橋ですが、太田道灌の逸話にある 「山吹之里の地」 とされ、江戸時代 ・ 明治時代には名所のひとつであったそうです。
なお、関連する名称に「姿見の橋」の名がありますが、これは面影橋の別名であるともいわれ、神田川よりやや北の小川に架かっていた橋の名であるとも言われ ています。
(7)早稲田大学 (都電・面影橋乗車 5分)
都電・面影橋駅 サクラサク 早稲田大学へ
早稲田大学到着後、3班に分かれて、学生3名によるボランティア・ガイド (14:30~16:00) をいただきました。
私達グループのご案内をいただいた学生さんは、将来はジャーナリストを目指したいと抱負を語られたイケメンの爽やかな青年でした。
声のトーンお話しする速度と申しましょうか、説明が心地よく耳に響き(残り)早稲田大学125年間の歴史に触れ、大隈重信公の建学の精神を学ぶ事が出来ました。
学生さんのご丁寧で適切なご案内を頂き、憧れの早稲田大学を見学することが出来ました。
私達3月5日(金)の参加者は、見学終了後、3名の学生さんの指揮をいただき 「校歌」 を拳を振り上げながら声高らかに歌い、明日へのエネルギーを頂きました。
又、記念 も出来ましたことに参加者一同、記憶 (記念) に残る有意義な楽しい一日を過ごさせていただきました。
貴重な一時をご一緒出来ました幸せを大切に長く思い出に留めて参りたく存じます。
お三方様を初め、ご協力頂きました学生の皆様の益々のご繁栄をお祈り申し上げまして心からの御礼とさせていただきます。
大隈講堂前で校歌を歌いました
早稲田大学を訪問して詠む
イケメンの学生ボランティアの説明に真顔で聞き入るシニア一団
振りあぐる学生の指揮に声高に早稲田の森に校歌をうたふ
三寒四温と言う言葉もあてはまらないほどに、寒暖の差が激しく天候不順に悩まされております昨今です。
には見舞われませんでしたが、気温が くとっても寒かった 2日(火)に参加をされた皆様にはお変わりございませんでしょうか。
ご案じ申し上げております。
3日間にわたって実施して頂きましたおかげで私も参加させて頂き、参加当日の5日(金)は予報通りに4月の下旬の温かさ、最高の散策日和となりました事はとても に存じました。
会長様を初め、役員の皆様のご尽力に心から御礼を申し上げます。大変お世話様になりまして有り難うございました。
会長様から戴きました資料を基に、今このように「私の旅日記」を綴ることが出来ますことは望外の喜びでございます。
未熟なブログですが、私事の記録とお許しを頂きながらご覧頂きたく御願い申し上げます。
又、お立ち寄り頂きました折りに、訂正箇所などお気づきの点、ご指摘いただきたくどうぞ宜しくお願い申し上げます。
歴史倶楽部の益々のご繁栄をご祈念申し上げまして御礼にかえさせて頂きます。