独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

日本遺族通信 令和6年11月15日号 遺書・九段短歌・「声なき声」

2024年11月19日 07時00分00秒 | 日本遺族通信

   
                              令和6年11月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

     18歳の若きお方のご両親様への最期のお言葉をご覧頂きました皆様はどのような感想をおもちでお読みくださいましたでしょうか。ただただ残念でございますね。合掌
      「戦争は間違っていた」と、後からはなんでも言えます。このような「遺書」を二度と書くことがありませんように恒久平和を祈る父戦死から80回忌を迎えた遺児の願いです。

     
   
           上記は「日本遺族通信」に掲載されました「声なき声」をご紹介させて頂きます。戦争を知らない多くの皆様にご理解いただけましたら幸いに存じます。

   「九段短歌」
    いつも多くの皆様にご覧頂いておりますことに御礼を申し上げます。紙面の都合でしょうか?今号も8名のみの掲載でしたが20年前は15首程の作品が紹介されておりました。
    われわれが父を偲ぶ気持ちは永遠です。遺児も高齢者になりました。このような歌を詠む遺児・遺族も後何年かでいなくなりますがお若い皆様に恒久平和を築いていってほしいと願っております。
     
    
                選者がご逝去、ご高齢の為ご辞退などの理由で新しい選者決定まで1年以上の休載が続きます。
                この度は昨年11月から約2年ぶりに再開されました九段短歌連続掲載は友人の田中恭子様
                お一人に素晴らしいお歌を拝読させて頂いております。
                千葉県 嘉子(私)は11月号で投稿から164首の掲載を頂くことができました。
    

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日本遺族通信 令和6年10月15日号 遺書・九段短歌・2025年度(令和7年)「慰霊友好親善事業参加者募集の件」・ 実施計画表

2024年10月20日 07時00分00秒 | 日本遺族通信

           
                                   令和6年10月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 

                    奥さまへの最期のお手紙に奥さまのお心を思います時、どんなにかおつらかったことでしょうと私の母を重ねました。
     三人?のお子様方の養育に大変な時期もおありだった事と存じますが、お子様たちはご立派に成長され、お母さまへの親孝行に晩年のお母さまのお幸せが浮かびます。

   「九段短歌」
      いつも多くの皆様にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。
遺族の悲しみは永遠です。今号もご一読頂けましたら幸いに存じます。
      最近の九段短歌は紙面の都合でしょうか?掲載者が少なくなりましてとても残念に思っております。今月も全国で8名のみの掲載でした。

      選者がご逝去、ご高齢の為ご辞退などの理由で新しい選者決定まで1年以上の休載が続きます。この度は昨年11月から約2年ぶりに再開されました九段短歌の連続掲載は友人の田中恭子様
      お一人に素晴らしいお歌を拝読させて頂いております。
      千葉県 嘉子(私)は10月号で投稿から163首の掲載を頂くことができました。何とか200首掲載を目指して頑張りたく思っておりますが?です。

  

                             
                                 遺児の皆様、お父上への最後の慰霊巡拝に参加しませんか

国民の戦後生まれが90%を超えたと言われておりますが、遺族も高齢化の坂を急降下しております。
令和7年は戦後80年を迎えます。昭和20年、終戦の年に誕生しました遺児も80歳を迎えることとなります。
お若い国民の中には戦争の事実を知らない!とおっしゃる方もに驚きますが、戦争の惨禍も遠く記憶も薄れて参りました。
お訪ね頂いております皆様、どうぞ今後戦争のない恒久平和を築かれますことにご尽力を頂きたく心から祈念しております。
皆様のご厚意を保存させて頂きます。

 10月20日(日) 1185PV |554UU |3192958ブログ中 1279
 10月13日 ~ 10月19日(1週間)6707PV |3559UU 1716
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日本遺族通信 令和6年 9 月15日号 遺書・九段短歌・2025(令和7年)年度「洋上慰霊 参加者募集の件」

2024年09月19日 20時11分49秒 | 日本遺族通信


                        令和6年9月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 

「皇国軍人として一意聖戦の完遂に懸命の努力をします」・「逞しい軍人になります」二度とこのような言葉を発することがないことを心から願っております。合掌
 戦後79年を迎え、平和な世の中にも私達遺族の悲しみは永遠です。現在も悲惨な戦いの様子が報道されておりますが一日も早く戦争をやめて欲しい!と心から願っております。

「九段短歌のご紹介」
 いつも多くの皆様にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。
 遺族の悲しみは永遠です。今号もご一読頂けましたら幸いに存じます。


   千葉県 嘉子(私)は掲載開始から今号にて掲載162首になりました。                    健康管理を行い何とか参加したく考えております。

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日本遺族通信 令和6年 8月15日号 遺書・九段短歌・2025(令和7年)年度「洋上慰霊 航路予定図」

2024年08月20日 07時00分00秒 | 日本遺族通信


                           令和6年8月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

                    文中の〇〇は、秘匿事項の場所などを手紙で明かさないための措置と説明ありました。
          今号もお若いお方の御覚悟のお手紙に、お父上様・ご家族の皆様のお気持ちは如何ばかりでございましたでしょうか。残念です。合掌

「九段短歌」
 昨年11月から再開されました九段短歌に友人の青森県 田中恭子様お一人が10首連続掲載に敬意を表しております。
 戦争のない平和を望みながらも散華の父を偲ぶ気持ちは永遠です。いつも多くの皆様にお心を寄せて頂いておりますことに感謝を申し上げております。
 今号にもお目を通していただきたくどうぞよろしくお願い申し上げます。

   
   残念!今号には私の作品は掲載ならずでした。今後のために努力を続けて参ります。 令和7年6月実施の洋上慰霊に参加を希望したく健康管理に心がけたく思っております。

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日本遺族通信 令和6年 7月15日号 遺書・九段短歌・水落会長決意を語る

2024年07月19日 07時00分00秒 | 日本遺族通信


                                         令和6年7月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

          21歳の若さで弟さんの成長を願うお姿に敬服いたしました。散華されましたお兄様に心からの哀悼の誠を捧げます。 合掌

 

    「九段短歌」
     紙面の都合でしょうか?昨今は掲載者が少なくとても残念に思っております。そのような中で昨年11月から再開されました九段短歌に友人の青森県 田中恭子様お一人が
     連続掲載に敬意を表しております。
     戦争のない平和を望みながらも散華の父を偲ぶ気持ちは永遠です。いつも多くの皆様にお心を寄せて頂いておりますことに感謝を申し上げております。
     今後ともお目を通していただきたくどうぞよろしくお願い申し上げます。

  
       千葉県 嘉子(私)は掲載開始から今号にて掲載161首になりました。             水落敏栄遺族会会長の心強い決意を拝読させて頂きました
       200首まで頑張りたいと思いますが?です
       投稿開始は平成16年10月15日号に「過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」でした。
       投稿から19年目になりますがこの間、3名の選者の先生の交代に約4年間の休載がありましたので15年間に1年平均10首の掲載を頂くことができました。

この度も多くの皆様にお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
戦後生まれが90%になりました報道に昭和も遠くなりましが、悲惨な戦争の事実は忘れてはならないと思います。
戦争遺児も高齢化に戦争の事実を知る国民が少なってまいりましたが、命ある限り「語り部」として尽力してまいりたく思っております。

 7月20日(土) 1456PV |586UU |3186920ブログ中 1513

 7月19日(金)   905PV |553UU |3186889ブログ中 1710                     
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日本遺族通信 令和6年 6 月15日号 遺書・九段短歌・戦没者遺児による洋上慰霊の件

2024年06月18日 06時00分00秒 | 日本遺族通信

      
                                令和6年6月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

     23歳のお若いお方がお書きになられましたご両親様への最期のお手紙に涙があふれました。戦争を進めた本当の責任者はどなたですか?恨みます。今後2度とこのようなお手紙を
     書くことがありませんように願うばかりです。残念!心からご冥福をお祈り申し上げます。

「九段短歌」最近の九段短歌は紙面の都合でしょうか?掲載者が少なくなりましてとても残念に思っております。今月も全国で8名のみの掲載でした。
      その中で昨年11月から再開されました九段短歌の8ヶ月連続掲載は友人の田中恭子様お一人に素晴らしいお歌を拝見させて頂いております。
      又、千葉県 嘉子(私)は8ヶ月間の内の5回目の掲載に160首になりました。わが母校は明治33年開校。令和6年は122年目を迎えましたが昭和20年の七夕空襲で全焼しました。
      千葉県 利子様、初めてお名前を拝見いたしました。ご一緒に学んでまいりたく思っております。

 

       「申込方法」 在住する各都道府県遺族会事務局へ。令和6年6月下旬より募集を開始予定。
              参加者の資格審査には、申込書の記載内容を確認するため、事前に申込書を取り寄せ、記入項目に不明な点(戦没者の部隊等)は各遺族会に相談した上で提出願いたい。

  令和7年6月上旬(約11日間予定)の「洋上慰霊の概要固まる 大型船舶を借上げ実施へ」の貴重な記事を大変ありがたく拝見させて頂きました。健康に留意して最後の機会に参加をしたく考えております。

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日本遺族通信 令和6年5月15日号 遺書・九段短歌・戦没者遺児による慰霊友好親善事業

2024年05月16日 19時01分59秒 | 日本遺族通信

          
                           令和6年5月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

      「特別攻撃隊員に参加できることとなりました。」 「米艦船目がけて八〇〇キログラムの爆弾を抱き突込む・・・勇ましいではありませんか」
      最後のお手紙にご両親様のお気持ちは如何ばかりでございましたでしょうか。残念!齢二十歳にして比島沖に散華されました藤沼 喜一様に合掌。

       
今号も青森県の 田中様のお父様を偲ばれました素晴らしいお歌に学ばせて頂きました。   レイテ沖海戦に散華しました父へ最期の洋上慰霊に参加をしたく実現のためのご尽力を願っております。
残念!私は3月の投稿を忘れましたのでご指導を頂くことができませんでした。
6月号にはご指導を頂きたく早速投稿いたしたく頑張ってまいります。

この度も多くの皆様にお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
戦後生まれが90%を超えましたことの報道に戦争の事実を知る人も少なくなってまいりました。
令和7年は、昭和20年8月15日の終戦から80年の長きを数えます。
現代の平和な時代になりましても悲惨な戦争の事実は忘れてはならないと思います。
今号のご両親様への最期のお手紙に、同年代のお方の感想を伺いたく思いました。
残念!無念!申し上げる言葉がございませんほどに目頭が熱くなりました。
多くの皆様のご厚意を保存させて頂きます。

5月16日(木) 1047PV |657UU |3184468ブログ中 1098 

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日本遺族通信 令和6年4月15日号 遺書・九段短歌・戦没者遺児による慰霊友好親善事業

2024年04月21日 11時32分54秒 | 日本遺族通信


                                 令和6年4月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

 まだ23歳のお若いお方が「ご両親様」への最期のお手紙に涙があふれます。「皇国のために報ゆる覚悟を新たにして、一日も早く戦線に出撃する日を楽しみに待って居る次第です。」↑  ご両親のお気持ちは
 いかばかりでございましたでしょうか。現在、不注意によります交通事故、いろいろの犯罪を見聞きするたびに命を大切に真面目に生きて欲しいと叫んでしまいます。



昨年11月から2年ぶりに再開の九段短歌に6ヶ月間連続掲載は青森県の友人の田中 恭子様お一人です。遺児も高齢化になりましたことに親族の付添者が許可となり、旅行費用の補助も受けられます。
今号にもお父さまを偲んで詠まれました素晴らしいお歌を拝読させて頂きました。
私はおかげさまで11月号から今号で4首目(千葉県 嘉子) の掲載を頂き今号で159首目になりました。

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日本遺族通信 令和6年3月15日号 遺書・九段短歌・戦没者遺骨収集事業

2024年03月18日 21時03分31秒 | 日本遺族通信

    
                             令和6年3月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

  まだ21歳のお若いお方が「故郷に想ひを馳せて」とご妹弟の皆様を気遣うお姿に心が痛みます。そして小さくは家門の名誉、大きくは祖国日本の為に元気に奮闘活躍させて頂いております故御休心下さい。
  と、おっしゃいますことにただただ残念です。不注意によります交通事故、いろいろの犯罪を見聞きするたびに命を大切に真面目に生きて欲しいと叫んでしまいます。


昨年11月から2年ぶりに再開されました九段短歌に5ヶ月間連続掲載は青森県の友人の田中 恭子様お一人です。   遺骨収集隊の皆様には困難の中の作業に心から「お疲れ様」を申し上げております。
今号にもお父さまを偲んで詠まれました素晴らしいお歌を拝読させて頂きました。

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日本遺族通信 令和6年2月15日号 遺書・九段短歌・最後の「洋上慰霊」検討について

2024年02月18日 06時00分00秒 | 日本遺族通信


                                      令和6年2月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
 
  特攻隊員の馬淵哲男様がお兄様に「敵撃滅に笑って出撃す。」↑ 残念、合掌。 なんて愚かな事だったでしょうか。
  特攻隊の上官は自害したそうですが、不時着した元隊員がある回想に自害するくらいなら
「特攻機に搭乗すればよかったのに」と語っておられました。
  又ある記事に知った事「特攻隊と覚醒剤」別れの盃なるものに「覚醒剤」を混入させ「覚醒剤チョコ」が最後の食事になって飛び立ったという事実を知り、言葉にならない憤りを感じました。
  生き残ったある上官が昨今「戦争は回避できた」に「怒髪天を衝く」の言葉を覚えました。それでは何故、だれが戦争を開始したのか?とても残念です。


    千葉県〇〇 嘉子は今号で158首めの掲載を頂きました          最後の「洋上慰霊を検討」の記事に何とか参加をしたく健康管理に努めたく思います

  昨年11月から新選者決定に2年ぶりに再開されました九段短歌に4ヶ月間連続掲載は青森県の友人の田中 恭子様お一人のみの素晴らしいお歌でした。
  そして3ヶ月掲載は私一名に、11月・1月・そして2月号に多くの遺児の皆様が全国から投稿されておりますと思われます5名の中に加えていただきましたことに心から感謝を
  申し上げております。投稿は平成16年10月15日号に初めて過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」でした。掲載頂きましてから19年目になります。
  この間3名の選者の先生の交代に3年半ほどの「九段短歌休載」がありましたが、今号で158首目になりました。200首まで頑張りたく思いますが?です。

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九段短歌で出会いを頂きました青森県の田中恭子様のご紹介 2

2024年02月08日 11時18分27秒 | 日本遺族通信

                   ペリリュー島からの手紙
                    執筆者

                                  「モノからたどる私の戦争」NHK青森編集部
                                 2023年12月04日 (月)

                            下記の映像・文言はネットより頂きました。

                   
                              田中 恭子様ののお父様が散華されましたペリリュ―島

                   
                                お骨のないお墓に参拝をされる田中 恭子様



             ある日、満州からペリリュー島に行くことが決まった?ことに冬服が送られてきました。大切な遺品ですと語っておられました


                                    素晴らしい筆跡のお手紙と拝見させて頂きました

                              
                           ご家族に心配をかけたくなく「安心あれ」の最後のお手紙と伺いました


                                お父様が操縦しておりました戦車は「むつ」と判明したそうです

                    
                                     ペリリュー等で行われております遺骨収集の様子 
                               
                                       旧日本軍戦車の発掘調査に期待

                            太平洋戦争末期に激戦地となったパラオ・ペリリュー島。
                      六戸町の田中恭子さんは戦車隊だった父を戦闘で亡くし、遺骨は今も見つかっていない。
           多くの兵士の遺骨が残されたままになっているこの島で、国はこのほど密林に埋もれた旧日本軍の戦車の発掘調査に乗り出すことを決めた。
            戦車内に遺骨が残っている可能性があるといい、田中さんは「遺骨が見つかれば日本で埋葬してあげたい」と調査の行方を見守っている。           
             田中さんの父将一さんが第14師団戦車隊指揮小隊長としてペリリュー島に渡ったのは戦闘が始まる4カ月前の1944年5月。

       家族には詳しい行き先を告げず、「何かあれば国が準備した『鉄のひつぎ』の中に入ることになるんだから、何も心配することはない」と話していたという。            

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九段短歌で出会いを頂きました青森県の田中恭子様のご紹介

2024年02月04日 20時50分42秒 | 日本遺族通信

 ペリリュー島からの手紙

「モノからたどる私の戦争」NHK青森編集部
2023年12月04日 (月)

#3 ペリリュー島からの手紙
ペリリュー島から送られた父親からの手紙

約80年前の太平洋戦争で、激戦地の一つとなったパラオ諸島にあるペリリュー島。
この島で戦った田中恭子さんの父・将一さんは当時、戦況が悪化する中でも家族を安心させようと、頻繁に軍事郵便で恭子さんの母親宛てに手紙を送っていたという。
このうち恭子さんが大きくなってから母親から渡された4枚の手紙が今も残されていて、恭子さんは父親との思い出がない中でも、この手紙を読んで、当時に思いをはせている。
以上はネット「六戸町 田中 恭子様」で検索しましたら、短歌も含めて多くのご活躍のご様子に出会いましたのでほんの一部ですがご紹介させて頂きました。

過去のブログを再度ご紹介させて頂きます。

天皇陛下・皇后陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝を 2015年04月13日 に綴ってありましたので、一部のお写真にて田中恭子様を再度ご紹介させて頂きました。
ペリリュー島慰霊のためにご訪問されました天皇、皇后両陛下をお迎えするために、平和を願う両国の旗1800本を持参されました青森県の田中恭子様のご紹介を  2015年04月11日 にさせて頂きましたが、
慰霊祭の折に、天皇・皇后両陛下にお言葉を頂き、感激にむせぶ田中恭子様のお姿をTVに拝見いたしましたので記念に納めさせていただきました。
こんなにも悲惨な激戦地のありましたことも新たに心にとどめ、天皇・皇后両陛下のお気持ちに感謝を申し上げながら二度と戦争のない恒久平和を祈りながらTVに  を向けさせて頂きました。 合掌

           天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅の動画    https://www.youtube.com/watch?v=cYfWRriXOcM


両陛下にご丁寧にお言葉を頂きました田中様の胸中はいかばかりでしたでしょうか 合掌

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日本遺族通信 令和6年1月15日号 遺書・九段短歌他

2024年01月20日 06時00分00秒 | 日本遺族通信


              令和6年1月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌                             戦死者の日章旗が遺族に返還されました

           昭和13年1月に「小学校の最後として十分勉強せよ」と息子さんに送られましたお手紙を息子さんは何回もお読みになられたことと思われます。
                         このような悲しいお手紙を再び書くことがありませんように祈るばかりです。

          
    新年最初の日本遺族通信が届きました。九段短歌は全国から多くの応募者から5名のみの掲載は大変厳しく思いますが、お名前を公表させて頂きました青森県の田中 恭子様は大切な友人です。
    いつも素晴らしいお歌を投稿されてお出でのお方です。昨年11月から新選者決定に2年ぶりに再開されました九段短歌に3ヶ月間連続掲載は田中 恭子様お一人でした。
    そして2ヶ月掲載は私一名に、11月・1月号の5名の中に加えていただきましたことに心から感謝を申し上げております。

    1月19日(金)に届きました遺族通信は特別な思いで開封致しました。1月20日締切(当日消印有効)千葉市短歌大会に1月18日(木)投函、千葉市民展作品は1月19日(金)提出完了。
    市民展作品は書道の部へ「中務集」から170cmの用紙に1枚清書に約7時間(休憩時間を除く)を要しました。古典のかなは濃いめに書くことのご指導に墨の濃さを調節に約1時間、体調管理に
    努めながらひたすら書き続けることができました。そして1月19日(金)午後、先生に1枚選んで頂き、雅印を決め、押印の位置のご指導を頂き、晴れて提出完了となりました。
    審査結果は?ですが、期待は致しません。なぜならばこの年齢で健康に恵まれ、子ども達の励みにここまで書くことができました喜びで十分幸せを感じておりますからです。
    大地震により甚大な被害に遭われました多くの皆様を思います時、このような幸せな時間を与えて頂ましたことに感謝の他言葉がありません。

    書道教室からの帰り道、ホットして足取りも軽く帰宅しましたらポストに上記にご紹介の遺族通信が届いておりました。
    「九段短歌」に作品の掲載がありますようにと祈る気持ちで開封致しました。「千葉県 ○○嘉子」掲載ありでした。ささやかなことですが高齢者の私には「感謝」に大きな喜びの一日でした。

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日本遺族通信 令和5年12月15日号 遺書・九段短歌他

2023年12月18日 18時19分43秒 | 日本遺族通信


                               令和5年12月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

                上記のお手紙を受領してから丁度1年後の戦死に、お母様のお悲しみはいかばかりでございましょうか。合掌
                  25歳の若さの戦死にご本人もさぞご無念だったことと思われます。残念です。戦争責任者を恨みます。
                  世界でも激しい戦禍に見舞われておりますが1日も早い停戦を望みます。世界の恒久平和を心から願います。

「九段短歌」
 いつも九段短歌にお心を寄せて頂きまして御礼を申し上げます。
 1年10ヶ月ぶりに11月からようやく再開されました。
 しかし、今までの半数の5名の掲載に厳しくなりました。
 残念ながら今月は掲載頂けませんでしたが命ある限り
 戦死の父を偲んでまいりたく思っております。 
 今後とも九段短歌にお目を通して頂きたく宜しくお願い申し上げます。
 

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日本遺族通信 令和5年11月15日号 遺書・九段短歌11月号に1年10ヶ月ぶりに掲載されました

2023年11月17日 16時04分58秒 | 日本遺族通信


                               令和5年11月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

    亡くなられてお出でと思われますお母さまの夢を見ましたと、「お墓参りして下さい」と最後のお言葉になりました勝谷 茂様のご冥福をお祈り申し上げます。
    お子様は御三方お出でと伺いましたが皆様ご立派に御成長されました事と念じております。ご遺族の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。


  九段短歌が1年10ヶ月ぶりに掲載されました。千葉市 嘉子 が私の作品ですが「鳥海」と軍艦名が記されましたことに最後に軍艦名を書くことを命令されました事と思っております。
「鳥海」は昭和19年10月25日レイテ沖海戦に敵艦上機の攻撃を受けて沈没し、乗艦者960名全員がレイテ沖に永久の眠りにつきました。

  九段短歌は投稿からこの度で156首の掲載を頂きましたが、200首まで頑張りたく思っております。                         

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