8月靖国神社社頭に掲示された遺書
8月15日、戦後62回目の「全国戦没者追悼式」に参列させていただきましたが、その席に母親としてはただお一人101歳の松岡様の凛としたお姿を忘れる事が出来ません。
東京大学に入学したばかりのご子息様の戦死にどんなにかご無念でございましたことでしょう。合掌
限りなく耐へて寂しき101歳武道館に息子(こ)を偲ぶ母
と詠ませていただきました。
今号の「愛しきものへ」は22歳のお若い方です。
しっかりした文章で綴られたお言葉、心中は如何に
悲惨な報道がされております昨今に「命の尊さ」「生きる力」の意味を真剣に考えていただきたいと強く望む者です。
遺族が生ある限り詠み継がれるであろう哀しい歌!お目を通していただければ幸いに存じます。
虎杖の白き花咲く墓所に佇ち62年の歳月偲ぶ 角田市 女性
戦地へと旅立つ父の面影を生れし児の我に刻まれて 鳥取県 女性
東支那海に対立深むガス田の開発区域に夫はねむれり 横手市 女性
戦地より父の便りを読み返し残りし染みは母の涙か 島根県 男性
征く夫を見送りし途の河原撫子60余年を変らずに咲く 京都府 女性
父逝きし戦乱の世の遠く去り母長らへてひこ孫を抱く 大阪市 女性
父の名を呼びて陰膳供へたる祖母の丸き背眼裏に顕つ 青森県 女性
沖縄のはるかはるかな海底に今もつめたく眠れる夫よ 諫早市 女性
ソロモンの地震と津波の災害に父在しますニュー・ギニア如何にと 名古屋市 女性
ソロモンの波間に果てし兄しのぶ鳥羽の海辺に顕つ80路の吾は 香芝市 女性
はるかなる南の島に果つ兄を偲びて今し基隆に佇つ 常滑市 女性
わが生れし江田島訪へば蘇る母に抱かれし遠き日恋し 千葉市 私
奥様先生お手製カード ホテル ザ・マンハッタン
酷暑の午後のひととき、千葉市幕張メッセ・千葉マリンスタジアムにほど近い素敵なホテル ザ・マンハッタンにて恒例のチャリティダンスパーティが開催されました。
☆☆☆ タイム・テーブル ☆☆☆
3:00 ~ ドア・オープン,ダンスタイム
3:15頃 沢田豊彦先生ご挨拶
3:45 ~ ビュッフェ
4:15 ~ 4:30 ・・・ ワルツ・タイム
4:30 ~ 4:35 ・・・ チャリティ・タイム
4:35 ~ 5:05 ・・・ ダンスショー
5:05 ~ ・・・ ダンス・タイム
6:10頃 ・・・ ラストダンス・コール
上記の進行にて、美味しいお料理に舌鼓を打ちながら沢田先生ご夫妻の素敵なダンスショーに魅せられ、又、競技会に出場された先輩の皆様の華麗なダンスに惜しみない
を贈りました。
私もレッスンのお仲間の皆様、素敵なリボンちゃんのお誘いを戴き心ゆくまで タイムを楽しみました。
PC画 内山先生作品よりいただきました
タンゴを踊られた先生ご夫妻 サンバを踊られた先生ご夫妻 花かごを差し上げる私の友人
競技会出場の皆様のご披露 楽しいダンスタイム ご一緒のテーブルの皆様と
平成19年 (2007年) 8月21日(火) 誕生
忘れられない大切な一日となりました。
二女に結婚12年目の初産に元気な女の赤ちゃんが授かりました。
今日までの長い月日、寒い時も、昨今の暑い日々にも一日も弱音を吐く事もなく、勤務、家事に努力しておりました日々に我が娘ながら心から 「有り難う」「お疲れ様」
を伝えた嬉しい日となりました。
赤ちゃんを 部屋のリフォームも済み、しばらく振りに賑やかな楽しい語らいの日々となることでしょうが、今は「ホットした!」の他言葉がありません。
娘の幸せを支えてくださった多くの皆様に心から感謝をしております。有り難うございました。
おかげさまでようやく孫の歌を詠むことが出来ました。
生まれくる初孫を待ついくつ顔無事を願ひて長きいちにち
うぶごゑも高く女孫の生まれたり今日の佳き日よ生命(いのち)いとほし
第62回目の終戦記念日となりました平成19年8月15日(水) の暑さ厳しき中、全国戦没者追悼式が日本武道館で行われました。
私は、千葉県参列者総勢197名の内の千葉市遺族会の一員として5年振り2回目の参列の機会を戴きました。
内閣総理大臣案内状 名札 千葉県章
上記を携え、県職員の皆様の誘導をいただき私たち一行は千葉護国神社からバスで会場に向かいました。
武道館へ到着して 追悼式斎場
天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、内閣総理大臣が式辞を述べ、正午に黙祷を行いました後に天皇陛下がお言葉を述べられました。(写真は千葉日報より転載)
お言葉を述べられる天皇陛下
この御製 ・ 皇后宮御歌は、平成七年の戦後五十年に際し、特に賜ったものであります。
御製は、侍従長山本悟氏、皇后宮御歌は女官長井上和子氏が謹書されたものを複製したものであります。
財団法人 日本遺族会
御 製 戦後50年遺族の上を思ひてよめる
國がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願ひあゆまむ
皇后宮御歌 戦後50年遺族の上を思ひてよめる
いかばかり難(かた)かりにけむたづさへて君ら歩みし50年(いそとせ)の道
以上、御製・皇后宮御歌の2枚を参列者全員に頂きました。
当日は酷暑の中、高齢者も多く参列されましたが、参列した遺族の最年長はご長男がビルマ(現ミャンマー)で戦死されました
東京都の松岡コトさん101歳5ヶ月のお方でした。
これまでの101歳4ヶ月を上回る過去最高齢となりました事又、戦没者の親では唯一の参列者と報道されました。
式場に臨む唯一の母の松岡様
TV報道によりますと現在の東京大学に入学後まもなくの出征、戦死されましたことにどんなにか残念でございましたことでしょう。
松岡様のお母様のお気持ちを偲んで詠みました。 合掌
限りなく耐へて寂しき101歳武道館に息子(こ)を偲ぶ母
が続いておりますが皆様お変わりございませんでしょうか。
ご自愛の程お祈り申し上げております。
厳しい暑さの折にもかかわりませずご丹精の素敵なお花の を戴きましたので早速ご紹介させていただきます。
「庭の花は、開花1日目と散花直前の4日目の「茶碗蓮」の傍らに咲く「あぎなし」を紹介します。
オモダカ科の水生植物で、図案化され家紋に多く見られます。
同種の「おもだか」によく似た小型の白花です。」
とお言葉を添えていただきましたが、私は「紫錦唐松」のお花もとても楽しみにしているお花です。
毎日 続きに水やりなどの管理がどんなにか大変でしょうと思いながらしばし心癒されるひとときを戴きました。
茶碗蓮とあぎなし1 茶碗蓮とあぎなし2
狐のカミソリ 紫錦唐松
屋久島けいび蘭 藪 茗 荷
今春3月、83歳にて永久の眠りについた大変御世話になりました大切な従兄に御礼の気持ちを短歌に寄せて供えさせていただきました。 合掌
図書館にて「平和へのメッセージ」の我が歌を読みしと従兄声つまらする
上記の本は 「戦後60年記念誌」 として、千葉県が発刊したものです。(2006年4/11UP)
私は千葉市遺族会として 「語り継ぐ戦中・戦後の思い」 の貴重な紙面を拝借して「戦後60年を迎えて 両親への想い」 を文章と短歌で綴り、投稿いたしました。
非売品として図書館などの公共施設に配布されておりますことを伺いました。
退きてより日課のごとく図書館に通ひてをりき静けさ求めて
その時にはすでに図書館にて読んでいただいておりました事に感動をおぼえて詠みました。
やがて図書館通いもままならず闘病生活を余儀なくされました。
その時からお別れの日までを詠ませていただき生涯忘れることの無い大切な思い出にしたいと思っております。
枕辺に届きし文を手にするもつひには妻に託してをりき
祭壇の花に埋もるるわが従兄父知りをりし人またも逝く
事あれば集まりをりし親族ら姪甥含めて長き弔問
スクリーンに映し出されし在りし日の一つは校長室にてのもの
若き日の笑顔おさまる写真集新入生と桜の下に
父偲ぶ文字を墓石に書きくれし従兄よちちの語り部の逝く
父無しを不憫と常に言の葉に励まし呉れきけふの寂しき
平成19年8月6日 62回目を迎えた広島の原爆忌。
TV報道の平和祈念式典の様子に心からの合掌を致しながら、8時15分原爆が投下されました時間に会わせて黙祷を捧げました。合掌
「平和宣言」秋葉広島市長 「平和への誓い」6年生 山崎 菜緒さん・森 展哉君
お二方が真剣な面もちで「戦争で多くの物を失いましたが生きる希望が残された、持ち続けたい」「平和な世界をつくるためには、憎しみや悲しみの連鎖を自分のところで
断ち切る強さと優しさが必要です」そして「広島を遠い昔の話にしないでほしい」「原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や哀しい体験を一人でも多くの人たちに伝えることは私
たちの使命です」・・・ 続く。(一部抜粋より)と力強く誓いのお言葉を述べられた事がとても印象的でした。
改めて犠牲になられました多くの御霊に心からご冥福をお祈り申し上げます。
短歌雑誌「軽雪」 今年4月10日お誕生会にての先生
土屋先生の92歳のお誕生会を今年4月10日に一足先に開催。
懐かしい会員の皆様とお元気な先生のお姿を4月11日にUPいたしましたがその後、体調不良にて入院を余儀なくされました。
そして92歳のお誕生日を迎えた7月27日皆様からお誕生日の祝福を受けられた後、安らかに永久の眠りにつきました。 合掌
お通夜、告別式には先生をお偲びして大勢の皆様がお別れに参列されました。
新聞の「お悔やみ」欄から一部抜粋より
土屋 正夫氏(つちや まさお)
歌誌「国民文学」編集委員、歌誌「軽雪」主宰。
27日肺炎のため死去。
歌集「鳴泉居」で1999年日本歌人クラブ賞。
日本歌人クラブ中央幹事、千葉県歌人クラブ会長などを歴任した。とありました。
先程、歌人 土屋 正夫で先生を検索いたしましたら沢山の訃報の記事にビックリいたしましたがご指導を戴きました一会員と致しましては先生のご功績とご活躍に
とても嬉しく幸せに存じました。
ただ今までのご指導に感謝を申し上げますと共に先生のご冥福を心からお祈り申し上げ私の記録といたしました。
先生をお偲びして
先生が親しく語る巻頭言もはや学べぬと寂しさつのる
検索をすれば訃報記事多くしてわが師の偉大さつくづく知るも
つつしみて仰ぐ御影の召さるるは大島紬まこと似合ふも