お赤飯と煮物 明石特産 「くぎ煮」とぬれせんべい
3月30日 (水) 午後1時からは短歌教室でした。
お仲間の中には傘寿を少し過ぎ、いつも素敵なお歌を詠まれる尊敬する先輩が居られます。
この度の 「洋上慰霊」 参加も喜んで頂き又、無事の帰国をわがことのように温かく迎えて頂き、拙い 「追悼のことば」 にも涙してくださいました。
そして、本日、お教室の帰りに大きな袋を頂きました。
「無事のお帰りを祝って」 と、大好きな 「お赤飯」 を頂きました。
そして 「がんもとこんにゃくの煮物」、明石特産の 「くぎ煮」、おやつの美味しい 「ぬれせんべい」まで添えていただき、いつもながらの至れり尽くせりのご厚意に感謝を申し上げました。
「洋上慰霊」 帰国後から本日の提出まで、短歌15首と 「洋上慰霊」 の感想文の纏めに昨夜は徹夜同然でしたが、無事に提出を済ませました今宵は特に幸せにご厚意の夕食を頂きました。
Mさまご馳走様でございました。
先輩宮崎様のお歌
被災せし分校四人の卒業式けなげな謝辞にともに涙す
日本の救世主たれと妻の言 原子炉防備に鉛の服着て
陸前高田市のご実家とお兄様を失った三浦様のお歌 合掌
ビルの上(え)に車を押し上げし大津浪十四の市や町壊滅せり
被災した我が故郷は壊滅す見わたす限りガレキの山なり
故郷とお兄様を失った (行方不明のまま) 三浦様に言葉も有りませんでしたが、幸にして92歳のお母様は、弟様がおぶって山へ逃げて無事でしたこと。
1週間前に何とかお母様を千葉へ連れて来られましたこと等のお話しに耳を傾けて涙の歌会となりました。
平成23年3月 靖国神社社頭に掲示された遺書
神奈川県出身 海軍少佐 高野 興三郎 様 (39歳)
昭和20年3月17日 硫黄島にて戦死 合掌
この度、初めて家族ではなく上官に宛てたお手紙でした。
この 「硫黄島からの近況報告」 が最後となりましたお方の一部を転載してご紹介させて頂きます。
拝啓、無事ご帰還の事と遙察致して居ります。
新聞で既に御覧の通り、司令が退隊されて3日後の大挙空襲に際し、味方指揮官がBー24に体当たりを敢行、見事1機撃墜致しました。
思はずあの指揮所から万歳を絶叫しました。
司令退任前、是非一度お見せしたかったと語り合って居ります。
(中 略)
先夜は又、第二照射空隊が見事照射捕捉して司令官より色紙を賜る等、各部共次第に技量の向上を認められ、之全く和智司令の御教訓を旨とし精進したる賜物と、只々感謝致して居ります。
北○○島にも近くMG増勢の予定にて、最早出発準備完了致して居ります。
先ずは、近況御報告迄で。
11月3日 高野興三郎
和智大佐殿
机下
最後の手紙となりました「近況報告」を綴りながら複雑な思いが致します。
悲惨な戦場と化した硫黄島での過酷な戦い、戦争は残酷です。
高野様のご冥福をお祈り申し上げます。
この度の 「洋上慰霊」 に於きまして硫黄島及び小笠原諸島近海に眠るご英霊の追悼式を行い、御霊安かれとお祈り申し上げました。
私の先生が詠まれた歌です。
硫黄島右舷に見つつ湧く涙 潜水艦に影の似てゐて
船上の慰霊祭斎場 海に白菊を捧げて
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられておりますのでご紹介させていただきます。
ご一読頂ければ幸に存じます。
亡き父に必ず会へると言ひ残し母は次の日永き旅路に さいたま市 女性遺児
有難く今年も年賀出されしはみたまのおかげ二人分生く 米子市 女性遺児
父戦死母早世を報らす雨二人の妹と強く生き抜く 加古川市 男性遺児
木洩れ日を踏みつつ訪へる夫の墓そっと散る葉のわが肩を撫づ 横手市 妻
在りし日の好物と聞けば戦死せし父に供へるバレンタインチョコ 青森県 女性遺児
夢に見し父の広ごる大きな手セピア色と化す写し絵にまみえむ 大阪市 女性遺児
日の丸の小旗振りての見送りが永久の別れになるや悲しき 丹後市 男性遺児
比島より帰らぬ父を今も待つ母も妹も逝きて淋しき 名古屋市 女性遺児
國の為兄は立派に戦死とげ國を離れて早七十年 京都市 男性遺族
手をあはせ父に感謝を平和にと自衛隊機が空高く飛ぶ 名古屋市 女性遺児
孫が問う散華し父との幼き日語りつ祈る永久なる平和 尾道市 男性遺児
年の瀬に洋上慰霊の「参加許可」届きぬその文字確かめ見つむ 千葉市 私
「伊豆の踊り子」 執 筆 の 宿
伊豆 (湯ヶ島 湯本館・川端康成執筆の宿) 伊豆 (湯ヶ島 湯本館玄関)
伊豆 (湯ヶ島 湯本館沿いの狩野川) 伊豆 (湯ヶ島 川端康成執筆 湯道)
川端康成は伊豆の踊り子を執筆するにあたり、 湯ヶ島の旅館に4年半滞在して完成させた。
旅館沿いの狩野川の流れにある石も温泉の匂いがする。
その傍に合流する本谷川に「男橋」、猫越川には「女橋」 二つの橋から中州で出会えば二人は深く結ばれると湯道コースは人気があり、訪れる人も多い。
伊豆・湯ケ島温泉にて
初めに、この度の大震災でお亡くなりになられました多くの皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
被害にあわれた多くの皆様方に心からお見舞いを申し上げます。
私たち 「洋上慰霊団一同」 は、東北地方太平洋側を中心に3月11日に発生しました東日本大震災において亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げ 「ふじ丸」 船上において汽笛の合図で
黙祷を捧げました。 合掌
又、最終日の解団式が行われました際には、一同、義捐金を添えさせていただきました。
私は3月5日から16日まで、12日間にわたり行われました 「戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年記念洋上慰霊」 に全国344名、千葉県14名の一員として参加をさせて頂き今尚、
海底に眠る多くのご英霊の皆様、又レイテ沖に眠る父へ哀悼の誠を捧げることができました。
この度の企画にご尽力をいただきました政府、日本遺族会、他関係各位多くの皆様に心から御礼を申し上げます。
誠に有り難うございました。
ただ今は、千葉県団長として各方面への報告連絡に多忙にしております故、後日 「洋上慰霊追悼式」 の様子を一部ご報告申し上げたく思っております。
最後にこの度、感激の出逢いを頂きました各県の遺児の皆様方に心から感謝を申し上げますともに、宮城、岩手、福島県及び被害に遭われた皆様方のご家族のご無事をお祈り申し上げます。
11日には千葉市も震度6の地震に恐ろしい時間を過ごしましたことを聞きましたが、我が家は幸にも食器棚のコップや器などが壊れた程度にすみました。
帰る家を失ったお仲間には申し訳なく思いますが、ユックリ休ませていただいております事を報告申し上げ、ご心配を頂きました皆様に帰国の報告とさせて頂きます。