独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

歌人 土屋正夫先生 生誕100年記念墓参吟行会 2-1

2015年07月31日 10時16分53秒 | 短歌

平成19年7月27日92歳 でご逝去されました先師土屋正夫先生 生誕100年記念(お誕生日は7月26日)先生の生家・歌碑・書斎見学および墓参吟行会を行いました。
    実施日 平成27年7月27日(月)
    参加者 13名
    行  程 JR千葉駅 → 五井駅 ~ 小湊線に乗り換え 上総三又駅 10:30集合 →  土屋先生宅へ(書斎・歌碑見学) → 墓参 → 菩提寺 法光寺
        (寄進の御手洗見学) →  昼食・休憩 → 上総国分寺見学 → 国分尼寺見学 → 五井駅解散 

 
                                                       1両のみの小湊線
 

上総三又駅名の由来
その昔、上総三又駅周辺は「海上」と呼ばれ、歌人の心を奪うほど美しい海だったそうです。
万葉集の恋歌に「夏麻引く海上潟の沖つ緒に鳥は巣たけど君は音もせず」があります。

土屋正夫先生ご生家訪問
先ず、お庭の歌碑に偲ぶ

 歌碑  檀の実にふた朝をきてのち見ざる小椋鳥とほくわたりをるべし 正夫           歌碑の裏面に「土屋正夫先生歌歴」が刻まれる

                 書斎の机に遺された「平成18年分」とお書きになられた分厚い原稿用紙      書斎の蔵書の一部

「墓参へ」
墓所はご自宅からも近く、ご家族の皆様をお守りしておりますように存じました。
ご戒名は 「御手洗」 に刻まれたお歌に因みましたこと先生にお伺い致しました。 
ご戒名は 梔 明 院 賦 道 日 正 居 士 合掌

菩提寺 法光寺へ 先生が寄進された御手洗(みたらし)および御手洗に刻まれたお歌の見学 

法光寺は、1597年開山の由緒正しき法光寺です。4月第三日曜日に本物の甘茶を出すただひとつの寺院として「あまちゃ寺」の異名もあります。

            参加者の皆様(ただし撮影者の私を除く)                          甘茶の木

          土屋正夫先生が寄進された御手洗(みたらし)         先生のお歌 梔子のしろたへの花胸中のあかりとなして眠りをぞ待つ  正夫                   

ご紹介の「御手洗」(みたらし) は、14年間努められました壇家総代を辞する記念の寄進と伺いました。
刻まれてありました先生のお歌は先生の素晴らしい筆跡とお伺い致し、一同感激致しました。

平成20年11月26日初めての墓参の折りに詠みました私の歌です。

     御手洗に刻む先師の御歌に見る高野切にも通ふ直筆  

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素敵な絵手紙を頂きました ー 21 ー

2015年07月27日 20時59分49秒 | ダンス

 
  は先輩ご夫妻様の作品です

                        趣味の講座でお世話になっております先輩ご妻様の作品をご紹介させて頂きます。
                お手紙を拝見致しました瞬間、わ~涼しそう~!と叫んでしまいました程に奥様が涼しげに描いて下さいました。
                  又、ご主人様の毛筆文字も涼しげに猛暑の折に、ご夫妻様からの素敵な に最高の元気を頂きましごた。

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千葉県のご紹介(TV放映より)

2015年07月26日 00時18分33秒 | 千葉の事

                        千葉県道路公社有料道路の夏期無料開放キャンペーン

    実施期間 平成27年7月1日(水曜日)~平成27年9月30日(水曜日)《3カ月》

    対象路線 東総有料道路、鴨川有料道路、千葉外房有料道路、東金九十九里有料道路、利根かもめ大橋有料道路、銚子連絡道路、
           九十九里有料道路 

           ※房総スカイライン有料道路については、無料通行措置を実施中です。

(千葉県のHPより) 
千葉県道路公社が管理する有料道路7路線について、夏の観光シーズンの7月1日(水曜日)から9月30日(水曜日)までの3ヶ月間、全車種、終日無料とする、夏期無料開放キャンペーンを実施します。
この機会に、ぜひ県内の有料道路をご利用いただき、安全・安心で快適な千葉のドライブをお楽しみください。

         千葉県道路公社のご案内  http://www.chiba-dourokousha.or.jp/  

こちらのTVキャスターがファンですのでスイッチを入れましたら、なんと千葉の紹介をしているではありませんか
TV番組では「有料道路が無料に!」のみで千葉県の表示はありませんでしたのでビックリ!
美味しい海の幸を味わいながら海水浴、鴨川シーワールド見学に、美味しいブドウ狩りに、そしてゆっくりくつろげますお宿の紹介に早速子供達と計画を進めております。
TVをご覧にならなかった皆様の夏休みのお役に立てたならばとご紹介させて頂きます。

 



                    海の家 いそはま http://outdoor.geocities.jp/sirasatoisohama/


         高速代金分で美味しく頂けそうです                  この日はアジのつかみ取りの日でした


                  菅谷ぶどう園 http://www.ne.jp/asahi/sugaya/budouking/


           お料理は美味しいでしょうね                 1泊2食付き15000円(税別)からと表示有り

                               お宿「魚眠庵」  http://www.gyominan.com/spa/

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食卓を彩る我が家の最後のトマトとキュウリ

2015年07月24日 00時16分58秒 | 我が家・親族


               最後の立派なトマト               最後のキュウリとミョウガは56個の収穫、しその葉は食事時の5枚のみ   

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日本遺族通信 平成27年7月15日号 遺書と九段短歌

2015年07月17日 03時41分26秒 | 日本遺族通信


                                      平成27年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お兄様が「帝国海軍将校となるべき修養中の御身なれば、目標を高きに置き決死の努力研鑽を望む次第に候・・・」と書かれております事に
海軍兵学校在学中?と想像してしまいました。
お兄様の遺書は昭和20年ですので弟様は戦争に行かなくてすんだのでしょうか?心から願ってしまいました

今号にも遺族関係者の鎮魂の歌12首の掲載を頂きましたのでご紹介をさせていただきます。
お目を通して頂けましたら嬉しゅうございます。 

 両陛下のみ言葉じかに賜はれば呼び醒まさるる父亡き暮らし        青森県 田中様
 両陛下のお言葉賜ひて田中さん「良かったですね」と父に告ぐとふ     千葉市 私
 母魂一度の人生子の為と亡夫の写真胸に生きつつ             甲府市 遺児男性
 街道の五片の白きブルメリア香れる中を友と歩みぬ             石岡市 靖国の妻
 極寒のシベリアに父逝きし日は二十三年一月九日なり            足利市 遺児女性
 特攻に散りにし若者父母もなく平成の世にその遺書を読む        富士吉田市 遺児男性
 姉嫁ぐ日正装の父は申したり海軍大尉殿を信ずる事なり          佐世保市 遺児男性(鳥海艦長子息)
 ひたすらに平和願いて遺児たちは父の顔知らぬまま七十年          長野市 遺児男性
 国のため尽くしたと信じた兄悲し平和のこの世にせめて生きてと       姫路市 遺族女性
 やがて来る生活のつらさわからず武運長久を願ひ万歳となふ         大阪市 遺児女性
 靖國に七十年余り父に逢ふ奥の院にてただ涙する               呉市 遺児女性
 終戦後七十年は人待たず父恋ひの友らと靖國参り              甲府市 遺児男性

この度の歌は、両陛下がペリリュー島を慰霊して頂きましたTV報道2015年04月11日2015年04月13日にUP)に九段短歌に
投稿されております田中様に違いないと田中様に思いを致し詠ませて頂きました。
今号に、ご本人の田中様が感激のお歌を詠まれましたのでご
紹介させて頂きました。

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ささやかな収穫ですが~

2015年07月16日 12時57分14秒 | 我が家・親族

                                      暑中お見舞い申し上げます

        各地に於ける風水害の被害報道に心を痛めておりますが、お訪ね頂いております
        皆様にはどうぞご無事であられますことをお祈り申し上げます。
        皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
             平成27年  盛夏        


平成27年7月16日(木)大  の予報でしたので早朝に庭を見回り、大好きなみょうがが30個も採れました
ナス2本は大きくなり過ぎてしまいましたので焼きナスに、キュウリは丁度食べ頃に、孫が大好きなオクラもなり始めました。
しその葉も大切に、ささやかな夏の彩りと香りを楽しんでおります。

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フィリピン慰霊巡拝レイテ班 富山県の旅 2日目  

2015年07月14日 04時20分21秒 | レイテ班の旅

二日目 5月29日(金)  気温

華山  ホテル 8:00  スタート → 棟方志功記念館「愛染苑」・「鯉雨画斎」・「青花堂」3カ所見学へ
記念館は、棟方志功の人物像と制作姿勢に感銘を受ける。
棟方志功の才能を知る高坂貫昭氏(光徳寺前住職)らは、棟方が存分に制作できる拠点を求めようと、独立した建物の工面に奔走しました。
当時、富山の戦災跡地の住居建築を担当していた波多製作所が、昭和21年、棟方のためにと一棟を融通したのが、現在の「鯉雨画斎」です。
棟方ははじめて持った自分の家にことのほか満足し、アトリエとして使用していた8畳間の板戸に書きなぐったといわれています。
「滝登りの鯉」「雨に打たれた鯉」にちなんで「鯉雨画斎」と名づけました。
この住居では、棟方の家族6人が過ごしたほか、芸術関係者が多く訪れ、夜通し語り合ったといいます。
8畳間の板戸の鯉や鯰のほか、厠には生き生きとした天女や菩薩が描かれ、住居跡全体から棟方志功を感じることができます。
説明者も待機しており、棟方の魅力を存分に楽しめます。(富山県南砺(なんとう)市の広報より転載)
       
        
愛染苑所以之記 = 想いゆたかにして風光さかんな美しいこの所は心おなじくする愛ふかく思い大きく染むる人たちを多く迎いおくり、また待ち
                                 つづけます。
               愛染苑と称ぶ所以であります。
               文豪谷崎潤一郎先生がもってそれを賛して命記の筆を執ってくれました。   昭和二六年霜月十七日
                                                                                棟方 志功 


      「愛染苑」とは当時の棟方住居の呼称でした                ← の展示品の一部 紫袂の柵 

       旧棟方志功住居 鯉雨画斎(りうがざい)             ← の展示品の一部  厠(かわや)の天井画

「鯉雨画斎」 = は当時、画室名でしたが、今は旧棟方住居全体を指しています。
         画室とした8帖間の板戸には鯉や鯰等が描かれ、厠(かわや→トイレの事)には生き生きとした天女や菩薩が描かれています。

 
        民藝館 青花堂(しょうげどう)                ← の展示品の一部 石崎俊彦の旧居の愛蔵品

「青花堂」=棟方志功が石崎俊彦に与えた堂号です。
石崎は棟方の良き理解者として住居「愛染苑」の土地を貸し与え、自らその隣に家を建て棟方から版画の摺りを任せられたほどの人物でした。
「民藝館青花堂」=石崎俊彦の旧居を改装したものです。
石崎が、棟方や民藝の指導者たちの交流の中で培った自らの目を通して蒐集した愛蔵品の数々を展示しています。

に恵まれ、のどかな田園風景を左右に眺めながら訪ねました「棟方志功記念館」には、9:00開館を待つ大勢の見学者がすでに並んでおりました。
多くのボランティアの皆様が待機され、手順良く説明、誘導がなされ、棟方志功の作品はもとより、素晴らしい奥様とお子様達、又多くの知人、友人に恵まれました
ご生涯と伺い、初めて知る多くのことに有意義な見学が出来ました。
あるお方が、「目の不自由な遺伝はなかったのですか?」に「遺伝性のご病気では無く、お子様たちに全く影響はありませんでした。」に安堵致しました。
又、お子様達もそれぞれにご活躍ともお伺い致しました。

富山県護国神社参拝


Toyamaken-gokoku-jinja haiden.jpeg
       素晴らしく管理された富山県護国神社                 宮司様の丁寧なご案内を頂く

      「遺芳館」 英霊の遺書・遺品を保管展示         御英靈たちが、戰地から送られた便りや、お父様お母様兄弟へ
                                   最後の気持を綴られた遺書等を創建九十周年(平成十四年)の
                                   記念事業として発刊されました遺芳録を頂きました。              


             護国神社参拝記念               宮司様から特別に  頂きました短歌集(378ページ)

護国神社参拝から昼食会場 → 五万石へ


五万石で富山の味ひとすじに朝獲れたてのキトキト魚介や豊かな野の恵み四季の旬の素材鮮やかなランチを頂きました
 に恵まれました富山県の旅も10名の参加者全員が元気に昼食会場へと足を運ぶことが出来ました。
郷土料理に舌鼓をうちながらも名残惜しく語り合い、28年度当番幹事の福井県の佐野さまより富山県幹事の竹腰さまとご協力頂きましたご主人様へ御礼と
福井県へのお誘いのお言葉を頂き、JR富山駅15時散会といたしました。
皆様どうぞお元気でお過ごし頂きまして平成28年度の佳き日に福井県でお会い致しましょう。

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フィリピン慰霊巡拝レイテ班 富山県の旅 1日目    

2015年07月12日 01時33分19秒 | レイテ班の旅

             世界遺産 五箇山相倉(ごかやまあいのくら)集落見学と華山  ホテル1泊2日の旅
                 平成27年5月28日(木) ~ 5月29日(金) 

富山県当番幹事 竹腰様よりのご挨拶                 平成27年2月4日
記録的な大と寒波に見舞われました日本列島も立春を迎えました。
皆様にはお変わりもなくご健勝にてお過ごしの御事と拝察申し上げております。
北陸は、3月14日に開通します北陸新幹線の話題でいっぱいです。富山駅も装いも新たに改装中です。
今年のレイテ班の旅は5月28日(木)~29日(金)1泊2日に決定させて頂きました。
新緑の美しい季節に、庄川狭の上流に遺ります懐かしい合掌造りの五箇山をご案内させて頂きます。
どうぞ皆様、体調を整えられまして全員の皆様のご参加をお待ち申し上げております。
整いませんが、まずはご案内まで申し上げます。    以上

私達は、平成12年度(2000年)フィリピン慰霊友好親善事業訪問団 全国遺児125名の一員として参加をさせていただきました。

多くの慰霊先がありますことに、A班からF班に分かれ、私たちF班はレイテ島内のマハンラグ、タクロバンなどを慰霊巡拝いたしました。
後に「慰霊巡拝レイテ班」と名付け、各県持ち回りで、年一回の親睦の旅を続けておりますが、各県当番幹事は2回目に入りました。
     悲しみを語り継ぎ来し十五年絆深めけりレイテ班の旅に
戦後父親のいない寂しさを共に過ごして参りましたお仲間3人はすでに鬼籍には入られました。

皆様で心からご冥福をお祈り申し上げ、健康に感謝を申し上げながら友情の絆を確かめ合いました。
     身罷りし遺児三人を偲びつつ亡父追慕のレイテ班の旅
1.集  合  JR富山駅北口 12時30分
2.参加者  10名 
   神奈川県 (2名) ・ 埼玉県 (1名) ・ 新潟県 (2名) ・ 富山県 (2名) 
    福井県  (2名) ・  千葉県 (1名) ・  愛知県 (欠席) ・ 山梨県 (欠席)
3.物故者  3名 (神奈川県1名) ・ (山梨県1名) ・ (千葉県1名) 合掌
4.宿泊先  福光 華山温泉 
5.行  程 
一日目 5月28日(木)  気温

富山駅北口12時50分  → 環水公園(世界一美しいスターバックスを車窓より) → 富山西IC → 庄川峡 小牧ダム遊覧(25分) 


    前田氏13代が育んだ富山藩の城下町。                              美しい新緑に囲まれた小牧ダム遊覧
    築城400年の歴史と、北に富山湾、
   富山は、全国に名高い薬の町でもある。   2001年には、土木学会土木学会選奨土木遺産に認定、2002年には河川用ダムとしては南に劍・立山連峰が従えた
                                     風光明媚な初めて登録有形文化財に登録された。                                                                           
                                また、2007年には経済産業省近代化産業遺産(近代化産業遺産群「中部電源」の
                                庄川の水力発電産業遺産)の登録を受けています。
  
五箇山相倉(ごかやまあいのくら)集落(世界遺産)見学

 
              相倉民族館見学                          参加者10名の皆様と
 
      合掌造りの家が民宿として繁栄しておりました                 冷たい甘酒を頂いて一休み
        
                 美しく懐かしい日本の原風景 ↑ および説明文 ↓ は観光案内より

 一歩足を踏み入れると、美しくてどこか懐かしい日本の原風景に引き込まれる五箇山相倉合掌造り集落。
平成7年12月、ユネスコの第19回世界遺産委員会において、岐阜県白川村荻町、富山県五箇山相倉、菅沼の各合掌造り集落が「世界遺産」として登録されました。
日常を忘れ、四季折々の景色に包まれると、なぜか心が落ち着きます。
日中はもちろん、季節ごとに行われるライトアップは必見! 幻想的な空間に心奪われ、非日常を堪能できます。
集落を見下ろせる展望エリアでは美しい相倉の全容が望めるので、ぜひ訪れたいところ。
「合掌造り」と呼ばれる茅葺の家屋は、国内ではこの近隣でしか見られない大変貴重な民家の形式で、今もここ相倉合掌集落には、23棟の合掌造り家屋が現存し、生活が営まれています。昔ながらの生活が息づく山間の小さな集落です。(以上はHPより)

(1)村上家の館内見学および五箇山の歴史などの説明を聞く

                 玄関前の案内板                          国指定重要文化財合掌造り 村上家


     五箇山の歴史、こきりこ節、ささら(細い竹や板を使った楽器) ↑ 等のお話を聞く囲炉裏のある大広間。説明終了後にお茶の接待を頂きました

こきりこ節こきりこ節・筑子節(こきりこぶし)は、富山県南砺市五箇山地方(旧 東礪波郡平村上平村利賀村)に伝わる麦屋節とともに五箇山地方を代表する全国的に有名な古代民謡(古謡)で1953年昭和28年)に、改正前の文化財保護法に基づき、文化財保護委員会(現 文化庁)第四次選定の「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定され、1973年(昭和48年)11月5日には「五箇山の唄と踊」の中の一曲として、国の選択無形民俗文化財に選択された。なお現在も保存伝承団体が複数あり、それぞれの団体で保存・育成に努めている。

さ さ ら =  ささらは645年の大化の改新の頃に生み出されたとされている古代楽器です。主に田楽系統の踊りに用いられました。
       富山県の五箇山(ごかやま)地方に伝わる民謡「筑子(こきりこ)唄」(中世15~16世紀頃)に合わせて、ささらを打ち鳴らしながら踊ります。                                                                                     
(2)流刑小屋見学
                                               流刑小屋の脇に立つ説明板
  


    断崖絶壁に建つ流刑小屋までの階段は結構大変でした         説明板 ↑      小さな窓を交代でのぞいて罪人の人形を確認 

五箇山地方の東岸は、庄川の断崖絶壁に隔離されて、江戸時代に加賀藩の流刑地として8ケ所あった流刑小屋のうちのひとつであり、現存するのはここだけ。
小さな茅葺き造りで、入口の柱には小さな口が開けられ、ここから罪人に食料を与えていたそうです。
平の流刑人は住民との交流を許されていたので、学問や社会知識の指導者として慕われていた人もいたそうです。
しかし重い罪人は3.6m×2.7mの「お縮(しま)り小屋」に入れられ、住民と語る事も出来なかったそうです。
現在、中には罪人の人形(侍みたいな格好をしていました)が置かれていました。
元々の建物は、昭和38年(1963)の豪雪で倒壊。昭和40年(1965)10月1日に復元された現在の建物が、県の有形民俗文化財に指定されています。

(3)菅沼集落(世界遺産)車窓より見学 
            
                のどかな田園風景の中に佇む9棟の合掌造りが今も生活を営まれています
       国指定史跡 昭和45年12月4日指定 上平地域 重要伝統的建造物群保存地区 平成6年12月21日選定

                      世界文化遺産 平成7年12月9日登録

懇親会場 = 福光 華山  ホテル 17:30到着

1年ぶりの再会でしたが、16名の会員から3名がご逝去、そして高齢化によります体調不良のお方などに会員としては7名でしたが配偶者のご協力を頂き、何とか10名の
参加となりました。
この度の幹事の竹腰様はバスガイドとして長くご勤務され、今なお、後輩のご指導にご尽力をされておりますお方ですので、素晴らしい説明をいただきながら思い出に残ります世界遺産の見学をすることが出来ました。
2001年よりの開始のレイテ班の親睦旅行は、今年は15回目を迎える運びになりました。
15回めの懇親会に何度も杯   を高く上げ、旬の食材を取り入れました美味しい創作会席   に舌鼓を打ちながら友情の絆を確かめ合いました。
食後は、初めて経験しました砂風呂、 に心が癒されました素敵な一夜さを満喫致しました。
                 

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平成27年度 千葉県書道協会員に推薦頂きました    

2015年07月11日 16時54分22秒 | 書道

千葉市民展出展入選2回、グループ展の白扇書道会出展7回に入選・入賞のご指導を頂いております先生の推薦を頂き、千葉県書道協会
会員738名の先輩の皆様の中に、平成27年度から新会員34名の一員として会員名簿に名前を連ねて頂きました。
本日7月11日(土)上記が届きましたので、記念に収めさせて頂きました。
平成15年 (2003年) 1月から 「漢字」 ・ 「かな」 ・ 「ペン字」 ・ 「漢字条幅」 ・ 「かな条幅」 の5点の作品を市川蘭華先生に御指導を頂き
ましてから12年目を迎え、
半紙漢字・ペン字部門は師範を頂いております事も推薦理由と伺いました。
今年初めての出展作品は、市民展出展の「良寛の歌二首」を再度清書して提出致しました。
筆を持つ事が出来ます日々に感謝をして今後も精進して参りたく思います。
私事に大変失礼を致しました。
お訪ね頂きまして有り難うございました。

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平成27年 第55回 白扇会展入賞通知を頂きました

2015年07月08日 01時01分36秒 | 書道

    

この度、 「第55回白扇書道会展」 出展の審査結果通知を頂きました。
昨年よりも1日早く、7月7日(火)嬉しい七夕の日に。
作品は、『平成26年度 NHK全国短歌大会入選作品』 から

   鎮魂と思慕を詠みたるわが歌の百首となりぬ南海の父よ
        戦後七十年 父を偲ぶ 
 子 詠む

清書致しました。
NHK短歌大会へは、
2回目の投稿でしたが、幸いにも応募者数21,517首の中から、入選4,712首の1首に選歌を頂きました。
今までの書道出展作品は臨書が多く、一枚の清書に5~6時間を要する作品でしたが、今年は戦後七十年にあたり父を偲んで
入選歌を清書したいと申しあげてご指導を頂く事が出来ました。
おかげさまで昨年に続いて嬉しい「白扇会賞」を頂く事が出来、父への想いに感無量です。
一枚の清書時間こそは短縮されましたが、創作にかなりの時間を要し、なかなか納得出来る作品が出来ませんでしたが、短歌
入選の喜びを父に伝え、そして偲びたく悔い無き練習だったと考えております。
おかげ様で戦後70年の節目に父を偲ぶことが出来ましたことに短歌選者の先生方、そして出展作品をご指導頂きました先生に
心から感謝を申し上げたく存じます。
誠に有り難うございました   
                                        

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「千葉空襲」平和祈念碑が完成

2015年07月05日 17時05分45秒 | 千葉の事


              熊谷俊人千葉市長を迎えての除幕式および建立された「平和祈念碑」     はNHK首都圏ニュースより

千葉市における戦災の状況(千葉県HPより)

空襲等の概況

千葉市は、明治末期から太平洋戦争中にかけて、千葉聯隊区司令部、千葉陸軍病院、 鉄道第一聯隊、千葉陸軍兵器補給廠、気球聯隊、陸軍歩兵学校、千葉陸軍戦車学校、
千葉陸軍高射学校、陸軍市下志津飛行学校などの軍事施設が設置され、蘇我地先の埋立地(現川崎製鉄千葉製鉄所付近)には、軍需工場の日立航空機千葉工場が設置され、
「軍郷千葉市」と呼ばれていた。

太平洋戦争中、千葉市への空襲は数度あったが、米軍が千葉市を目標にした空襲は、昭和20(1945)年6月10日と7月7日(七夕空襲)の2回であった。
この空襲で中心市街地の約7割(約231ha)が焼け野原となりました。
この2度にわたる空襲により死傷者は1,595人、被災戸数8,904戸、被災者4万1,212人に及んだ。(千葉戦災復興誌より)

(参考:昭和20(1945)年12月末の人口は、9万5,903人)

この度の「千葉空襲」平和祈念碑が完成の事は7月4日(土)NHK首都圏ニュースで放映されましたので知ることとなりました。
そして本日、千葉日報の紙面に大きく掲載されておりましたので、合わせてご紹介させて頂きます。
焼け野原になりました当時の千葉市に思いを致し、犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げたく存じます。
祈念碑が建立されました場所は、我が家からも近くですので家族でたずねて平和の尊さを語り合いたいと思います。

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広くなった公園に聞こえる子供達の声

2015年07月01日 09時07分35秒 | 町内会関係

            
                              再度伐採前と比較してみました ↑↓ の  は、ほぼ同じ場所です

           
                 今まで両側に大木のケヤキに挟まれて姿の見えなかったケヤキ ↑ が美しい姿を見せています

          
                梅雨の晴れ間の下校時のひとときを収めてみました。             孫です↑
               整備された公園に感謝をしながら毎日の道路掃除も楽しく行えるようになりました。
               いずれも我が家前から写しておりますが、美しい公園を眺める私が一番幸せ!

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