日 時 6月27日(第4水) 13:30~
参加者 9名
毎月、幹事さんに歌会10日前までに2首提出により、全員の歌が事前に配布されますが、今月も「あまちゃ」「弘法麦」「鰺刺」の歌を詠まれた方、「糞」=まり
と読む等・・・又、新しきを学び にHPの御世話になりました。
少しお節介と思いながらもHPから「弘法麦」「鰺刺」友人の庭のお花から「甘茶」を印刷して持参しましたところ、皆様から「百聞は一見に如かず」と喜んで頂きました。
先生のご指導から
歌の詠み方については日頃からご指導を頂きますが、改めてお伺いしましたように新鮮な気持ちで学ぶことが出来ました。
又沢山のプリントをご用意下さいまして幅広く学ぶことの大切さにも触れることが出来ました。
なかでも吾が先生がお書きになられた「鎌足桜」については身近な郷土千葉県が遠い時代から詠まれておりましたことに興味深く存じましたので一部をご紹介させて頂きます。
万葉集第14巻東歌の中の相聞に
馬来田の嶺ろの篠葉の露霜の濡れてわ来なば汝は恋ふばそも
馬来田の嶺ろに隠り居斯くだにも国の遠かば汝が目欲りせむ がある。
「馬来田」(うまぐた)は、今の千葉県木更津駅から久留里線で六つ目の駅に「馬来田」(まくた)があるからその辺りであろう。
「嶺ろ」はそこから北東に見える望陀辺りの丘陵と考えられている。
(中 略)
木更津駅からバスで内陸に入って行くと途中のバス停に「鎌足○○」とか「鎌足小学校」というのがあって、その呼称に興味をそそられた。
「鎌足」と言えば「藤原鎌足」(614~669)に決まっている。
何でここが鎌足なのかと関心は募り、「鎌足村史」等を調べた。
すると鎌足の祖父猪野の長官が矢那の郷に住んでいたが、子宝に恵まれず近くの高倉観音に百日間お参りすると女子を授かった。
その女子は器量がよくなく縁遠かったのでまた観音様に百か日お参りすると、縁あって常陸国鹿島に嫁ぎ、男の子を授かった。
名を「鎌子」といい、それが鎌足という伝えである。鎌足の出生地については諸説あるが、祖父の猪野の長官の屋敷跡辺り一帯は、現在も猪台と呼ばれ、末裔と伝えられている旧家も存在していると言う。
そして大織冠(鎌足のみ授かった。後の正一位に相当)なった鎌足が高倉観音へお礼参りに来た時、着替えのため、持っていた桜の杖を挿した所、杖がそのまま根付いて桜木と
なり、「鎌足桜」とよばれ、千数百年に亘って語り継がれている由もうこうなったら実際に見たいと思った。
4月中旬に尋ねた。
(中 略)
平成17年に木更津市の天然記念物に指定されたので、文化財として市に寄贈、現在は鎌足がお礼参拝に来たといわれる高倉観音(高蔵寺)の境内に移植されてあった。
(中 略)
最先端の産業研究の拠点となる地が、一方で鎌足への信奉あつく千数百年の歴史を今に語り伝えている。
新緑の農村での心足る小半日であった。
以上、先生の 「鎌足桜」 (一部省略有り)を親しみをもって拝読させていただきました。
今月の参考歌
「この鳥には鰺刺(あじさし)と言う名前がついていて川が海に流れ込むあたりに群れている。
又、都会の中心に近い内堀などでもそこに棲む魚にねらいを定めて、急降下を繰り返していることもある。」HPより抜粋
鰺刺の抱卵どきの九十九里浜糞(まり)かぶるなと漁夫がいましむ M様
砂浜が黄色っぽく見えることがあります。弘法麦です。
名前の弘法は、根茎の繊維を筆に使い、書道家としての弘法大師から麦は麦に似ているからだそうです。」HPより抜粋
智恵子碑のたつ砂浜にたくましも弘法麦の竝びて鎧ふ M様
「甘味用に栽培され6月頃、「がくあじさい」に似た花が咲く。
甘茶とは干したこの甘茶の葉を煮出しした甘い飲み物。葉っぱを乾かすと甘くなるそうです。
毎年4月8日の灌仏会(かんぶつえ)という仏教のお祭りではお釈迦様の像にこの甘茶を注ぐ。
灌仏会=お釈迦様の誕生日。その日、甘露の雨が降ったという言い伝えがあることから、
4月8日にはお釈迦様の像に甘茶をかける風習があるといわれております。」HPより抜粋
あぢさゐに良く似たあまちゃ白と藍茶席の床にあざやかに映ゆ N0様
先生より「あざやかにはよろしくない。お茶席のわび・さびを考えてもう一工夫しましょう。」
今月の入選歌
コンバインあたりに爆音轟かせ黄金に実る麦を刈りゆく NO様
「おお来たか」その言葉はもう聞けず火炉を出で来し御骨を迎える K様
永平寺・東尋坊・越前海岸 福井県名所めぐりの
日 時 平成19年5月29日(火)~30日(水) 一時小
参加者 15名
集 合 13:00 武生駅
平成12年(2000年)にフィリピン慰霊友好親善事業訪問団、全国から125名の遺児は6斑に分かれ、私たちはセブ島・レイテ島慰霊巡拝班16名でした。
その折の16名は「慰霊巡拝レイテ班」として各県持ち回りで幹事を務め、年1回の旅行を楽しんでおります。
かつての苦労話にも皆様は笑みを浮かべながら今の幸せに感謝をしながら友情の絆を確かめ合いました。
初めて降り立ちました集合場所の福井県の「武生駅」
武生駅 → にて一路、幹事佐野様宅の丹精されたトマトのビニールハウスにご案内いただきました。
美味しい トマト の食べ放題に一同 続いて モロッコインゲン のもぎ取り
奥様がご準備下さいましたモロッコインゲンとトマトをお土産に頂きました
お土産のトマト
お土産を に積み、大本山・永平寺参拝へ
「曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の信仰の源になっています」と今春大学を卒業され入門された雲水さんに館内を1時間余丁寧に説明を頂きました。
拝観記念 ご朱印 入り口
仏 殿 鐘 楼 堂
仏 殿 七堂伽藍の中心に位置し、永平寺のご本尊、釈迦牟尼仏が祀られています。
鐘楼堂 「除夜の鐘」で有名な大梵鐘は重さ約5トン。
大梵鐘は1日に朝・昼・夕方・夜の4回修行僧が撞きますが、一撞きごとにお拝をして撞かれる梵鐘の音は、単なる行持の合図というだけではなく、
聞く人全てに清らかな心の安らぎを与えてくれるそうです。
17:00 北陸・あわら 美松 到着
美松 全景 楽しかった懇親会
この度の再会に男女2名の欠席に淋しく存じましたが、幹事役の佐野様の奥様にご一緒していただき、会を盛り上げていただきました。
懇親会では美味しい郷土料理に舌鼓を打ちながら一年ぶりの再会に近況を語り会い、富山県の現役ガイドの竹腰さんの名司会に あり、踊りありで再会の
乾杯 が何回も行われ、楽しいひとときを過ごしました。
2日目 (5月30日) 一時小
おわら 8:40 スタート → 東尋坊にて遊覧船乗船
→ 越前水仙の里公園見学
越前海岸にて昼食後の記念撮影
→ 福井市へ → 名勝 「養浩館」 庭園 (旧御泉水屋敷) 見学 (希望者のみ)
入 場 券 正門入口
庭園の一部 解散後自由見学をした皆様と
→ 福井駅 14:00 着 ~ 解 散
心配しましたお天気もまあまあの2日間、体調を崩された方もなく、楽しい再会の集いとなりました。
お世話になりました佐野様ご夫妻様に心から感謝を申し上げております。
又、ご丹精された美味しい トマト とモロッコインゲン のお土産まで頂きまして本当に有り難うございました。
来年は 「愛知県の旅」 西脇さん、宜しくお願い申し上げます。
皆様、再会の日を楽しみにしております。
お元気で
6月靖国神社社頭に掲示された遺書
6月の「愛しきものへ」は愛知県出身の21歳のお方の遺書でした。
ご両親への感謝、妹達への気遣いを切々と綴った文章にただただ残念の思いです。
先日、父兄から学校へのクレームなるものに耳を疑うような放映がありました。
一方的なコメントは差し控えたいと思いますが、相談窓口として弁護士さんにお願いする事もあるやに伺いました。
古い昔から、いいえ今もと信じておりますが、親を敬い、師を敬い、先輩を先輩として尊敬し、「親の背を見て育つ」に教えられ、
私自身、親としての自覚を保ちながら今は成長した子供達の叱咤激励に耳を傾け、懸命に生きてきた遺児の一人です。
戦争のない平和の時代に真の幸せとは 強く考えさせられました。
今号にも全国12名の方の鎮魂の歌が寄せられ私もお仲間に加えていただきました。
学校行事には両親に代わっていつも祖父の熱心な姿があり、感謝こそあれ親に勝る者はありませんでした。
夫を、父を、兄を、叔父を偲ぶ皆様の歌をご紹介させていただきます。 合掌
ペリリュウ島の兄の慰霊碑に吾が吊りし南部風鈴故国の音になる 横手市 女性
南溟に続ける海より還り来て夜釣に顕たす父にあらずや 松山市 女性
道の辺のすみれの短歌一首あり遠く戦地に征きにし父の 青森県 女性
海ゆかばの楽曲流れると戦死せる叔父しのばれて涙あふれる 青森市 男性
四十の父も勇みて立ち征きし産土神社に想ひ秘め持つ 大阪市 女性
輸送船船尾に立ちし父送り今はビルマの山河に眠る 唐津市 女性
国の為如何なる思ひぞ踏みしめた征きて還らぬ宇品桟橋 広島県 女性
大戦に死したる兄等のご加護うけ豊かになりし世謝して暮らさむ 江南市 女性
フィリピンの小石を墓に納め来てやっと私の戦後終りぬ 新居浜市 男性
亡き兄の老いたる姿偲べども満ちた青春昨日のごとく 京都市 男性
遺骨なく位階をしるした板切のことこと鳴りたる音は忘れず 常滑市 女性
参観日に一番のりの祖父あれど父の幻顕たせゐし我 千葉市 私
千葉実年大学校 歴史倶楽部 6月定例会
日 時 平成19年6月3日(日)
参加者 53名
集 合 東武 野田駅 09:35
「野田市について」
野田は醤油のふるさと。野田で本格的な醤油醸造が始まったのは江戸時代。江戸川、利根川を利用し、醤油をより早く江戸の大消費地へ届けられた商業的な有利さ。
大豆、塩などの原料を身近に入手できた地理的な条件の良さ、醤油づくりに適した温度で 湿潤な気候。このようないろいろな条件に恵まれ、野田は日本一の醤油の産地として発達してきた。
散策スタート
先ず「キッコーマン・もの知りしょうゆ館」到着
「しょうゆ館内」見学
醤油が出来るまでの行程や歴史を映像やパネルを使って解説していただきました。一部醤油を造る実際の行程を見ることができます。
「上花輪歴史館」到着
役員さんお疲れ様です! 入場券
当歴史館は敷地面積3,000坪。古い建物明和3年(1766年)築。上花輪村(現野田市上花輪)に古くから居住し、江戸時代には上花輪村の名主であり醤油醸造を家業としていた「高梨兵左衛門
(高梨本家) 」が永年に亘って維持してきた居宅や庭園、 土蔵、社祠、掘構えとその屋敷林など、また収蔵していた生活用具、醸造用具、地方文書等の歴史的価値は高く、これらを広く一般に
公開して郷土の歴史や文化を研究する一助として開設 いたしました。
特に江戸時代から昭和初期にいたる建物が混在しておりますがそれらと庭園との調和は大変優れています。
平成13年8月にはその学術的価値が認められ、町人の居宅として初めて 「国指定文化財 名勝 高梨氏庭園」に指定を受けました。
邸内北側にそびえるタブの大木を山に見立て、西側に広がる屋敷林と共に「西に森、北に山」という江戸時代の屋敷建築の基本を今に伝えております。
日本の風景の一番の基礎は田園と屋敷林、両方とも減っている中で当家の屋敷林は比較的にその姿が残っている貴重なものです。(以上館長のご挨拶より転載)
庭園の一部 柏の木
当歴史館では例年、月遅れの「端午の節句飾り」の最後の日、6月5日にこの柏の木の葉を使用した「柏餅付抹茶セット」500円がいただけるそうですが、2007年は6月4日(月)から約2年間、
改修工事の為に閉館ということで私たちは最後の柏餅を予約販売で購入することが出来ました。
6月1日に葉を落とし、菓子店で蒸したものと伺いましたが色鮮やかな香りも良い柏餅でした。
見学が終了して柏餅をお土産に とても柔らかな柏餅でした
「キッコーマン本社」、「興風会館」(国登録文化財)等は外から見学
「野田市郷土博物館」
昭和34年に開館。
郷土の歴史や文化に関する資料が豊富、特に醤油関係資料の豊富さは他に例がない。
「市民会館」(国登録文化財)
醤油醸造家、茂木佐平治邸として大正13年1月頃に完成した。
昭和31年市に寄付された屋敷博物館。
緑の広い庭園に囲まれた純和風のたたずまいになっており、市民に部屋の貸し出しも行なっているそうです。
見学が終わり時はすでにお昼を過ぎておりましたが、徒歩20分のウォーキングを経て いよいよ空腹を満たすべく「幸楽愛宕店」に到着。
"春の宴会コース”で新入生歓迎会を開催。
53名の皆さんがそれぞれに個性溢れた自己紹介に あり、 あり、程良い疲労感に とても美味しい にひとときを楽しみました。
いつもながら、綿密な企画をして下さいます会長さんを初め役員の皆様に御礼を申し上げます。
お陰様で又新しい思い出を綴ることが出来ました。
千葉県遺族会第一ブロック(市原市・船橋市・習志野市・八千代市・千葉市)研修会開催
期 日 平成19年6月4日(月) ~5日(火)
場 所 草津温泉ホテルリゾート
各遺族会の参加者総勢35名は 一路、碓井軽井沢 IC (昼食) 会場へ → 軽井沢鬼押出し で休憩
鬼押出し園 千葉市遺族会の皆さん
14:30緑の中に佇む高原リゾートホテル到着
到着後、研修会開始。
千葉県遺族会会長さんご出席のもと、当番幹事の千葉市遺族会役員が司会進行を務め、開会の言葉に続いて英霊に対し黙祷を捧げた後
各市の活動報告の発表及び質疑応答が活発に行われました。
問題点及び課題といたしまして
1.会員の高齢化に伴う組織の対応策
2.転入者に遺族会の存在を知らせる方法
3.県・市の戦没者追悼式の継続に伴う参加者の意識問題など・・・について3時間に及ぶ研修会が進行されました。
18:30 懇親会開催
緑の中に佇む高原のホテル!
イオウ分が多く美肌効果 に優れた名 に身をかがめ、旬の素材を活かした会席膳を囲んで隣接市遺族会会員の皆様と親睦を図りました。
福の湯露天風呂 お疲れ様!当番幹事千葉市遺族会の皆様
この度、妻の立場のお方の参加者は米寿を迎えられた千葉市遺族会副会長の小名木さんお一人でしたが、歩く姿勢、民謡を歌われたハリのあるお声に
益々お元気にご活躍の我らが先輩に皆さんから大きな が贈られました。
2日目 (平成19年6月5日)
草津白根山 の旅を楽しみました。
新緑と残雪 草津白根山ドライブウェイ
白根山への観光コース 山頂のカルデラ湖「湯釜」
市原市遺族会の皆様と 観光客で賑わう「湯釜」
市原市遺族会の相川様が山頂にて歌を詠まれましたのでご紹介させていただきます。
上州を訪ねて
ここかしこ熊笹に埋もれり万年雪草津白根の水無月の朝
ループ式の白根の山道ゆっくりとバスは走れり万年雪見つつ
鮮やかなコバルト色の湯釜には群なす人に冷風吹けり
鮮やかな緑したたる高原は旅する人の春となりけり
爽やかな新緑の旅のご様子を詠まれたお歌に学ばせていただきました。
懐かしい30年振りの草津白根山の旅に、子供達が小学生の時、お絵かき教室の皆さんと を携えて思い思いに絵筆を走らせた懐かしいひとときに
思いを寄せることが出来ました。
所在地 岐阜県羽島郡岐南町薬師寺5-23
管理者 松原武徳・京子様 (京子様撮影より)
松原家の由来より転載
「松原家は旧薬師寺村の庄屋を永く勤め、家作に関する古文書、長屋門、旧薬師寺伽藍の礎石、水琴窟などが太刀、遺訓などとともに伝えら れている。
松原家長屋門は江戸末期の建造とされ、明治8年に現在地に移築された。
岐南町にはこのような長屋門が58棟あることも注目され、代表的建物として昭和62年に明治24年の濃尾震災にも倒壊を免れたが、平成18年老朽化および震補強のために修理復元
された。」と述べられております長屋門訪問が実現しました。
ブログの友人として短歌の先生としてご厚誼を頂いておりますが、この度お目にかかれますご縁を頂き、友人2人と午前中は名古屋城と障壁画展をご案内頂きました。
午後はご自宅にお邪魔いたし待望の「長屋門」見学を致しました。
構 造
間口8.5間、奥行2.5間の3部屋構成(作業場、倉庫、作男の部屋)切妻造桟瓦葺
木鼻の繰型 扉、親柱など欅造りで木目が美しい入り口で
美しい箱根空木に迎えられて 素敵なご自宅でお薄を頂きました
主な展示品
刀剣類 太刀 宗近、刀 孫六兼元
書 画 富岡鉄斎の梅、南天棒の書
古文書 遺訓、千文字、十八史略、孟子、江戸時代の百科事典
陶磁器 四耳壺、須恵器
民 具 農機具、木臼、和釘
頂きました資料から展示品を一部ご紹介させていたださきます。
明治24年濃尾震災の遺訓 総庄屋松原家からの御注進(江戸時代)
千字文(江戸時代) 孟 子
孫六兼元、濃州関 稲畑天神
南天棒 山岡鉄舟 梅 富岡鉄斎 四耳壺(李朝期)
祥瑞の大皿 手水鉢
臼と杵 唐 箕
中庭を散策して
薬師寺伽藍石と伝えられる踏み分け石(平安時代) 織部灯籠
中庭には にご紹介の貴重な品々がありますが、民家に残る歴史遺産は、風格を漂わせながら、江戸後期から明治時代の町の動きを静かに伝えています。
見学には事前連絡を要しますが貴重な展示品を公開しております。