フィリピン慰霊巡拝友好親善訪問団
平成12年12月3日(日)~12月9日(土)
F班(レイテ島方面)日程表
私は平成12年度(2000年)フィリピン慰霊友好親善事業訪問団全国遺児125名の一員として参加をさせていただきました。
多くの慰霊先がありますことに、A班からF班に分かれて私たちF班はレイテ島内のマハンラグ、タクロバンなどを慰霊巡拝いたしました。
この度フィリピンの甚大な被害の報道にあの折りにお世話になりました現地の皆様、ホテル、特に友好親善事業として訪問致しました
小学校の生徒の皆さまは如何かしらと心が痛みます。
フィリピンの被害報道に目を覆ふ慰霊に訪ひしあの島あの街
レイテ島の真青なる海にはしゃぎゐし子らの安否を祈る日も夜も
13年前の思い出のアルバムを紐解きご無事をと祈りながらお世話になりましたフィリピンの多くの皆様を案じながら父への初めての慰霊巡拝に想いを寄せさせて頂きました。
13年前のオルモックの港です 小学校を訪問してサッカーボール・学用品・Tシャツをする今は亡き熊川様
新潟県角様 ↑ 戦死された場所にての慰霊祭 慰霊祭の準備等にご尽力頂きました今は亡き ↑ 村松団長
リモン峠の第一師団の慰霊碑 レイテ上陸記念公園 (マッカーサーパーク)
私の慰霊祭はレイテ島に上陸後の12月7日(木)気温に行って頂きました。
12月のレイテ湾の温みの感想を詠む
レイテ湾の海の温さに手を浸すこの底いづこに父眠ります
レイテ島東方沖に向けて用意頂きました祭壇 「お父さんへ」の追悼文に思いを込めて
レイテ湾に献花の写真は成田様から頂きました オルモックの海岸
私達がお世話になりましたレイテ島のこの海岸はどのようになったのでしょうか?とても心配です
父乗りてゐむ鳥海へ届けと真青なるレイテの海へ献花を捧ぐ
散華せし父の温もり知らぬ吾に慰霊の旅路波音遠く
奇麗に整備されたカリラヤの日本人墓地に於いて大使のご参列を頂き合同慰霊祭を挙行致しました
五十万柱眠れるカリラヤの日本人墓地に最後の祈り
フルーツのお店がとても奇麗でした A班~F班まで一同に会しての懇親会に「故郷」を捧げる
フィリピン独立の英雄ホセ・リサールを記念した記念碑 記念碑の前でレイテ班の皆様
リサール公園(Rizal Park)はマニラ市の中心、マニラ湾が見渡せるロハス大通りの北端にある約58ヘクタールの公園です。
リサール公園の歴史は1800年代初期のスペイン統治時代に始まりました。
この地域は、スペイン植民地時代にはバグムバヤン(Bagumbayan)新しい町と呼ばれ、三日月形に形づくられていたため後に、ルネタ(Luneta)という名前がつけられました。
ルネタ(Luneta)は、フィリピンの歴史で最も重要な場所の一つです。
フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール(Jose Rizal)が1896年12月30日に記念碑の場所で処刑された所で、公園の名称は、彼に対する敬意からリサール公園と公式に名前を変えら
れました。
1946年6月4日は、フィリピンのアメリカからの独立宣言が行われた場所でもあります。
記念碑の場所は、フィリピン全ての都市への距離の起点とされています。(以上はHPより転載させて頂きました。)