乾燥小屋の玉ねぎを描きました。
主役は玉ねぎ本体ではなく、吊るし役をやる上部の葉(と呼ぶようです)と言ってもいいかもしれません。
なぜ、選りによって、描くには面倒くさそうな光景なのか、
それは、自分にとって玉ねぎの乾燥に関わる二つのことが続けてあったからです。
まず、拙ブログ「春野菜」(22.5.2付)で白い新玉ねぎを描いた時、
玉ねぎの皮が茶色なのは、中の水分が抜けてスカスカになるのを防いだり、
カビの発生や菌の侵入を防ぐという、ちゃんとした効果があることを知りました。
そしてその色を出させるには乾燥という工程が必要だということも初めて知りました。
北海道や兵庫県(淡路島)と並んで玉ねぎの有数な産地・佐賀の出身
であるにも関わらずで、恥ずかしき限りであります。
ともあれ、この印象が強く残る1ヵ月後(6月2日)の教室で野菜類を描いた時、
他の野菜とともに、何と乾燥を終えたばかりの葉つき玉ねぎも並べてあったのです。
モチーフとしては珍しいことで、自分としては初めてのことだと思います。
その教室では時間制限もこれあり、この複雑な部分はカットして描きましたが、
元はと言えば最も関心があった部分です。
茶色のことは自分が知らなかっただけかもしれませんが、
その次の教室で、この珍しい葉つき玉ねぎが出てきたことには驚きました。
ささやかながら、偶然重なったこの奇縁にワクワクしたことでした。
あらためて、ネットの写真などでこの玉ねぎの乾燥風景を見てみました。
そこには、スーパーでの、小奇麗に整った姿とは別の世界がありました。
オーバーを承知でいえば、玉ねぎ本体様を茶色にするため、
この枯れかかった葉たちは、それぞれチームを組みながら、
最後の大事な役割をやっているのだ、と見えなくもなく・・・。
そしてふうっと絵心を擽られ、筆をとった次第です。
拙ブログ「玉ねぎと遠藤周作の『深い河』」(2010.5.31付)でも触れていますが、
玉ねぎには、奥深い不思議な何かを感じます。
淡路島出身ながら私もコメントを読んで初めて知ることばかりです。
作品は複雑な上部の葉が形・陰影ともに見事に描かれていると思います。主役ではないかも知れませんが、玉ねぎ本体も立体感、皮の乾燥具合等が見事に描かれていると思います。
我が家の菜園、毎年玉ねぎを栽培しています。
昨年までは玉ねぎの葉を食べるため半分ほど吊るさず、切り取っていました。
乾燥していない玉ねぎは日持ちが悪く、乾燥の効用を身をもって感じています。
今年は、すぐ食べる早生ものを除き作品のように干してあります。
我が家のベランダを描いてくれたのかと嬉しくなりました。