クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

虻田福寿草の里 R- 2- 3- 6

2020-03-07 05:58:57 | 妙義・下仁田・富岡・南牧
]
今月から六時間のフリー行動が出来る日が週二回になっているが
一回目は生憎の事に荒天で外出には不向き。
二回目の今日は「穏やかな晴天」の予報なので下仁田・虻田に
向かった。現地までは丁度40km、赤城大沼への距離と同等だが
ほほ平地直線走行なので全く負担にはならない。
約20kmの走行でR-18、r-10を経て富岡・小沢でR-254に到達。
あとはひたすら西進して下仁田市街地を抜け「中小坂」で
r-51に乗り換えて妙義に向かえば数キロで幟が林立し大きな
看板のある入口角、駐車場は下から観光バス用・第三・第二・第一と
続くので祭り当日以外は何の心配もない。

今年の福寿草祭りは明日の3/7だが残念ながら花は未だ満開とは言えなく
日照は十分なのに花の勢いはなく圧倒的な群落の迫力は見られなかった。
その代わりに千本と称する紅梅が真っ盛りで蝋梅・白梅と絶妙な
コントラストを演じておりカメラを向ける先は福寿草と五分五分。
但し、福寿草の花一つ一つの顔の違いに執着して写した。
その様子はyoutubeで。
虻田福寿草の里


「蛇足 だそく ダソク」
「虻田アブタ」という変わった名前の地名の由来を知りたいが
未だに良く分からない。
かつて北海道の洞爺湖町に併合された人口10.000人程度の小さな町に
「虻田町」というのが存在していた。この「アブタ」の地名の由来に
ついては複数の研究者の見解があり、その中の一つに「アイヌ語の
「ハプタウシ」が語源で「いつもウバユリの球根を掘るところ」と
言うのがある。アイヌの古老の伝える言伝にも「かって原野には
ニンニクやウバ百合が一杯あったーー」とある。確かに古代では
この二つの植物の根は貴重な食糧だったようだ。由来不明の地名を
なんでもアイヌ語起源で片づける風潮には聊か抵抗はあるがウバ百合
追っかけ隊の爺イとしては一寸惹かれる説だ。群馬でアイヌ語とは
?だが同じ下仁田地名の「南蛇井ナンジャイ」の起源がアイヌ語の
「ナサイ」とされるから有り得るかも知れない。
物知り博士さん教えてください。
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