クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

かみつけの里・古墳祭 R- 1-10-19

2019-10-20 15:32:03 | 伝説・史跡探訪
高崎市の「上毛野はにわの里公園」には、二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の
三つを総称した保渡田古墳群があり1985年に国の史跡に指定されている。

この地は1500年前の古墳時代、英明な王たちのもと繁栄したが数度の榛名山の
大爆発で埋没してしまった。その発掘を機に豊富な考古資料によって
「王の儀式再現の会」が古墳祭りとして毎年再現劇を演ずるようになって
今年で10回目。

雨も上がったので数年ぶりに見学に行ってきた。天気予報が余り良くなかったので
観客の集まりは良くない感じ。長々と続く来賓挨拶が終わった後、二子山古墳の上に
大王の率いる古代人が姿を現し、従者の少年たちが先導して大王の館に進む。



大王が着座して再現劇の始まり。先ず劇中人物がその役割の解説付きで紹介される。


(以下の説明文は進行役のナレーションの文字起こし、画像は撮った動画からの
スナップショットなのでオールボケ写真)

「伴(とも)」
王の従者と農民たち。左端の伴の長は長袖上着で髪型は「下げ美豆良(みずら)」。
その他のものは「貫頭衣」で髪型は耳の横で束ねる「上げ美豆良」。



「盾持ち人」
奇妙な頭巾を被り派手な模様の付いた盾を構える。八幡塚古墳から
出土した盾持ち人埴輪がモデル。盾に描かれた三角の模様は
鋸の刃を思わせる様なもので魔物を退ける力を誇示し恐ろし気な
顔も魔除けの意味を持つ。



「すまい人」
きついメイクや褌が特徴。古墳時代には男たちが相撲をとる
事によって悪霊を地に封じ込めるとされた。
力強く四股を踏むことで大地の魔物を追い出し豊穣を祈願する役割。
これらは大陸や朝鮮半島から伝来した習俗で二子山古墳の北側から
出土した力士埴輪がモデル。



「猪狩りの狩人」
烏帽子を被り背には矢を背負って腰には木で作った猪の形を
付けている。神聖な猪狩りの狩人で猪の形は殺した猪の血を
塗りつけ猪の魂を封じ込めるための物。凶暴な猪を仕留め
神に捧げることは重要な行事だった。モデルは二子山北側からの
出土埴輪。



「太刀合わせ武人」
当時の文明の象徴・鉄製の鎧と冑を着用した上級の武人。戦いの儀礼を行い
負けた方が刀を折って大王に服属を誓う。二子山古墳出土の武人埴輪が
モデル。ヘルメットの様な眉庇付冑を被り「短甲」の鉄製鎧。
眉庇付冑は、ほぼ正円半球型の冑本体(鉢)の前頭部に、野球帽の鍔の
ような「眉庇」が付き「短甲」は実践向きの鉄鎧で後年には丈が長い挂甲に
変化してやがて直垂が生まれる。



「王に仕える女性たち」
王に従う族長や村長の娘たちからの選抜。アップにした髪を前後に振り分け
巻き込むように束ねた髪を潰した「潰し島田」というこの時代の女性髪型の
典型。同時代の男性の髪型定番は耳の横で左右に分けて結ぶ「美豆良(みずら)」。



「神事を司る巫女」
当時の政治は呪いや祭祀に強く左右されたので神の言葉を伝える巫女の権限は強く
潰し島田の髪形にリボンを飾り、肩には色鮮やかなストールのような「おすい」
を掛け、首にはガラス・メノウ・ヒスイの首飾り、手足には玉を付けた華麗な
装い。八幡塚古墳出土品がモデル。



「渡来人技術者」
大王の招聘で朝鮮半島から渡来してきた技術者・百済手伎(くだらのてひと)
倭人とは異なる筒袖の服を着ており今回は当時の最新技術で生産した絹布を
王に献上する。
古墳時代の日本はアジアとの交流が盛んで多くの学者や技術集団が
渡来して先進文明を伝えた。
服装は埼玉県の古墳出土品からの再現。



「王に忠誠を誓う王族」
大王の一族、王と共にこの地を治め大和にも出かけて朝廷との
調整をやつたり大和に駐在して朝廷の仕事に励んだものもいる。
金の冠などの豪華なアクセサリーをまとっている。八幡塚古墳出土。



「大和からの使者」
この神事の為に大和から派遣されてきた使者「物部連」モノノベノムラジ。
大和と同盟を結んでいた大王のもとには定期的に使者が訪れていたと
推定されるが今回の贈り物は「画文帯神獣鏡」。
これは中国の後漢代に作られた鏡の一種。神仙や霊獣の像を主文様とし、
外側に、日輪を従えた車、それを曳く獣、飛仙などの群像を描いた
画文帯をめぐらしている。弥生時代後期~古墳時代に日本にもたらされ、
とくに畿内を中心とした古墳から数多く出土している。



大王
三つ寺遺跡に居住し八幡塚古墳を築城した王。榛名山麓に水田を開発し
渡来人の技術者を呼び寄せ産業の振興に尽くした開明の大王。




「王の館」での祭りが始まる。
(以下文章はかみつけの里博物館の「王の儀式」より画像は動画からの
スナップショット)

「水取の儀」
石敷きで行われた流水の儀礼。巫女が汲み上げた聖水を捧げると
王と王族が飲み干して豊穣を祈る。



「農耕儀礼・すまいの儀」
大男たちによる相撲。力士が大地を踏みつけることで地中の魔物を退け
作物の魂を活気付ける。



実際の取り組み

すまいの儀


「田の舞い」
伴と采女が田作りから収穫までを演ずる儀礼。田作りから田植えの仕草を
コミカルに行うミニ演劇。



「イノシシ狩りの儀」
神聖な猪狩りを行う狩人登場して狩りの儀礼を展開する。犬を使って
猪を追い詰め最後は射止めて地の神・山の神に捧げる。



「祝言の儀」
服属儀礼で王族が大王に忠誠を誓う儀礼。王族は大王の祖先がこの地で
繁栄するまでの由来を述べ王の治める世の繁栄を称える祝言を披露する。



「太刀合わせの儀」
王の武人と敵方の武人が模擬的に戦う儀礼。



負けた方は刀を折って大王に忠誠を誓う。



太刀合わせはこんな具合。

太刀合わせの儀


「絹の献上」
献上儀礼の一つで渡来人の百済手伎クダラノテヒトは朝鮮半島から
招聘された先進技術者。その最先端技術で生産した絹布を献上する。



「大和からの贈り物」
これも献上儀礼。ヤマトからの使い物部連モノノベノムラジはこの儀礼のために
ヤマトから派遣されてきた。携えてきた画文帯神獣鏡を王へ下賜する儀礼。



大王は鏡を民衆に披露し「皆の者 わが奥津城オクツキへ参らん1」と
宣言して王の館の祭りの終わりを告げ古墳での祭りへ移動する。

移動


「古墳での祭り」

大王の一行は八幡塚古墳の「前方部」に並び古墳上の儀礼が始まる。

「榛名イカホの神への祈り」
巫女が榛名山に向かって儀式を行う。当時の榛名山は活動期の活火山で
その山の怒りを鎮めようとする。続いて王が山を称え豊穣を記念する。
「祖霊への祈り」
一同が古墳の後円部を向く。後円部には先祖が埋葬された石室があるのだ。
古墳に眠る先祖たちは薮原や芦原を開墾して水路を掘って田や畑を作り
土器を焼き鉄を鍛え馬を育てるなどをして繁栄の礎を築いた。
王族は祖先の功績に感謝し地域の繁栄を祈る言葉を述べる。
「民への祝言・国誉めの儀」
見よ! 我が国は何と美しき国である事か!ーーと王が両手を広げて民に
語り掛ける。この国を誉め民の安寧と繁栄を宣言する儀礼をもって終了。

古墳の儀式



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