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(古代ハスの里の帰路 投稿遅れ)
古代ハスの里では花数が少なく丹念に周回しても
池は小振りなので凡そ30分で終わってしまった。
これだけで帰っては片道50分が何とも空しいので
以前より気になっていた宇芸神社に立ち寄り。
古代ハスの里の背後に長々と横たわる神成九連峰を
西の第九峰から東へ縦走するとその第四峰の頂上に
「神成城址・旧宇芸神社跡」の表示柱を毎回見ているし
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更に東進すると第二峰の先に宇芸神社への道が南への
急斜面に現れる。
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これらを見て何時かは神社への直降路を辿ってみたいとは
思ってはいたがここから下ってしまうとその先にある
「本丸跡・第一峰・姫天狗・御嶽座主石碑・不動尊・地蔵尊」が
見られないのでいつもパス。そこで今日は半端時間の消化で
神社への到着点を逆から確認しに行った。
何時も見ているのだから一度位見なくて良いとは思うが
爺イの脳味噌は大分傷んでいて気に入ったものは全て擬人化して
しまい近くに来たら挨拶を欠かさないようにしてしまうのだ。
古代ハスの里から再び南蛇井駅横を通過してR-254を東進すると
神農原との間にこんな道標があるので細道へ左折。
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鳥居を潜ると参道と思われる直線路が北の九連峰山裾の丁字路
迄続き目の前にひっそりと宇芸神社。
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直ぐに町指定天然記念物の大きなムクロジが目立つ。樹高14m樹齢300年と
あるが西方500mにあった旧社が18世紀後半に大火災に遭いすべての
記録が失われたとされるので正確な樹齢は不明とか。現社は19世紀初頭に
移転したもの。ーーとすると焼失した旧社のあった場所が現在の第四峰頂上の
「旧宇芸神社跡」なんだろう。
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年代を経た様な石灯篭が左右にあり「山神宮」と彫られているが
山神宮とこの神社との関わり合いが理解できない。
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近くに神社沿革の簡易説明看板。記録を調べると確かに平安時代
の927年に纏められた『延喜式』に「官社」に指定されていた式内社だ。
因みに上野國延喜式内十二社 とは貫前神社を一宮として
赤城神社 伊加保神社 甲波宿祢神社 大國神社 榛名神社
小祝神社 火雷神社 倭文神社 美和神社 賀茂神社 宇芸神社
の十二社。
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直ぐに石段を登ると
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質素な手水舎と
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読み取り困難な説明板の貼られた小さな建屋。
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説明板を拡大しても読み取り不能だか何やら平成二十八年の
貫前神社の弐年遷宮祭の時の御仮殿を払い下げられた
事に関連するらしい。確かに貫前神社では十二年毎に
弐年遷宮祭が行われ12月に仮殿遷座祭で宝物を本殿から
仮殿に移して本殿の修理整備をして翌年の3月に本殿遷座祭で
仮殿から戻す行事がある。この粗末な建屋がその仮殿かどうかは
分からないが。
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第二の石段を登ると
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赤鳥居。扁額が二枚並ぶが左は「赤城大神」右が宇芸神社。
ここで何で赤城大神が出てくるのか不明だが。
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右手のこの建屋は造りから多分神楽殿。
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またまた石段。九連峰の急斜面に張り付くように造られた神社は
段付きに広場を作っている。
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拝殿の左右に質素な小屋があり多分「境内社」と思われる宮が並ぶ。
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拝殿とその奥の本殿。
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広場の左右から山に向かって二本の道が開かれているが右の道が幅広で
はっきりしているから九連峰からの直降路に間違いなしと確信して本日の
探索終了。
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登山
35勝33敗 (06/26現在) 首位と5.0ゲーム差 四位 五位とのゲーム差 8,0ゲーム
古代ハスの里では花数が少なく丹念に周回しても
池は小振りなので凡そ30分で終わってしまった。
これだけで帰っては片道50分が何とも空しいので
以前より気になっていた宇芸神社に立ち寄り。
古代ハスの里の背後に長々と横たわる神成九連峰を
西の第九峰から東へ縦走するとその第四峰の頂上に
「神成城址・旧宇芸神社跡」の表示柱を毎回見ているし
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更に東進すると第二峰の先に宇芸神社への道が南への
急斜面に現れる。
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これらを見て何時かは神社への直降路を辿ってみたいとは
思ってはいたがここから下ってしまうとその先にある
「本丸跡・第一峰・姫天狗・御嶽座主石碑・不動尊・地蔵尊」が
見られないのでいつもパス。そこで今日は半端時間の消化で
神社への到着点を逆から確認しに行った。
何時も見ているのだから一度位見なくて良いとは思うが
爺イの脳味噌は大分傷んでいて気に入ったものは全て擬人化して
しまい近くに来たら挨拶を欠かさないようにしてしまうのだ。
古代ハスの里から再び南蛇井駅横を通過してR-254を東進すると
神農原との間にこんな道標があるので細道へ左折。
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鳥居を潜ると参道と思われる直線路が北の九連峰山裾の丁字路
迄続き目の前にひっそりと宇芸神社。
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直ぐに町指定天然記念物の大きなムクロジが目立つ。樹高14m樹齢300年と
あるが西方500mにあった旧社が18世紀後半に大火災に遭いすべての
記録が失われたとされるので正確な樹齢は不明とか。現社は19世紀初頭に
移転したもの。ーーとすると焼失した旧社のあった場所が現在の第四峰頂上の
「旧宇芸神社跡」なんだろう。
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年代を経た様な石灯篭が左右にあり「山神宮」と彫られているが
山神宮とこの神社との関わり合いが理解できない。
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近くに神社沿革の簡易説明看板。記録を調べると確かに平安時代
の927年に纏められた『延喜式』に「官社」に指定されていた式内社だ。
因みに上野國延喜式内十二社 とは貫前神社を一宮として
赤城神社 伊加保神社 甲波宿祢神社 大國神社 榛名神社
小祝神社 火雷神社 倭文神社 美和神社 賀茂神社 宇芸神社
の十二社。
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直ぐに石段を登ると
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質素な手水舎と
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読み取り困難な説明板の貼られた小さな建屋。
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説明板を拡大しても読み取り不能だか何やら平成二十八年の
貫前神社の弐年遷宮祭の時の御仮殿を払い下げられた
事に関連するらしい。確かに貫前神社では十二年毎に
弐年遷宮祭が行われ12月に仮殿遷座祭で宝物を本殿から
仮殿に移して本殿の修理整備をして翌年の3月に本殿遷座祭で
仮殿から戻す行事がある。この粗末な建屋がその仮殿かどうかは
分からないが。
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第二の石段を登ると
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赤鳥居。扁額が二枚並ぶが左は「赤城大神」右が宇芸神社。
ここで何で赤城大神が出てくるのか不明だが。
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右手のこの建屋は造りから多分神楽殿。
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またまた石段。九連峰の急斜面に張り付くように造られた神社は
段付きに広場を作っている。
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拝殿の左右に質素な小屋があり多分「境内社」と思われる宮が並ぶ。
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拝殿とその奥の本殿。
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広場の左右から山に向かって二本の道が開かれているが右の道が幅広で
はっきりしているから九連峰からの直降路に間違いなしと確信して本日の
探索終了。
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