クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

国峰城址とおまけの三角点 H-25- 4-9

2013-04-10 13:20:15 | 高崎・甘楽・藤岡方面
表題の写真は国峰城祉の出丸(物見台)

今度の日曜日、4/14に小幡の桜祭りを見物に行く予定。で、同じ小幡繋がりで
国峰城址を見学し序に三角点二つほどにタッチしようと思い立った。
勿論、国峰城は16世紀の小幡氏の城で多くの逸話を残しながら1590年の
小田原征伐のときに落城して廃城になっており、桜祭りの武者行列の主役たる
織田氏は1615年からの小幡領有であるから両者に直接的な関係は無い。
この城址には古城址探訪に凝っていた2007-1に来ているが途中降雨のため
中途半端になりその後の台風による崩落情報でそれ以来は行っていない。

小幡の街中の「小幡」信号を右折して二つ目の「善慶寺」を左折、その先の
「善慶寺前」の道標によって再び左折。
くねった道を進んでこの道標の所で左折して橋を渡りやや狭い道へ(9.20)。



直ぐ先にはこんな道標もあるので良くわかる。だが、この道は途中で乗用車では
無理な悪路になるとの事で車の止め処に気を使う。



民家が一旦途絶えて再び数軒の集落が現れたところに道標。小さな橋を渡って
左折するようになっている。



だが、その先の道を観察するとどうも怪しい雰囲気。



結局、橋の手前の小空き地に駐車して歩き出す。案の定、道は直ぐに悪路になるので
歩き出しは正解だった。直ぐ上でなにやら重機の音やチェーンソーの音がしているので
やや不安(9.30)。



やがて山側に防災工事の跡、しかも丸太の切り口を見る限り真新しい最近のもの。



直ぐに崩落修復現場。この地域が大規模崩落を起こしたのは2007年の事だから
この修復はそれとは別物の最近の崩落だろう。
いや 若しかすると崩落ではなくて反対方向へ切り返す新しい林道の建設かな? 



係員の指示で重機の動作が一段落するまで待機。前面の大きな土の塊を
粉砕したところで漸く通過を許可された。



林道の様子はこんなもの。間もなく現れた分岐は切返しのような左を選択。



林間を登っていくと広い場所。御殿平の標識や城址の看板、既に城址の一部に
入っているのだ。御殿平とは本丸直下の居館跡だろう(9.53)。




直ぐに左に伸びる山道に向かう。この道自体が竪堀の跡との事。



道はやや登りだが整備はされている。



左から大きな竪堀が合流してきた。ネットの解説では城址中腹を回る竪堀の
末端がここに来ているとの事。



やがて、尚も伸びる林道から分かれて山手に登る道標が現れ急傾斜の木枠段のぼり
となる。



どうやら反時計回りに大きく山腹を巻きながら高度を上げる様だ。



途中で曲輪状の地形が幾つも現れて城址の雰囲気十分。



直下の木枠段は細かいジグザグをとる。



北に回ったとき、城址の北側を観察したら崖状に切り落とされていた。



やや急な木枠段を経ると漸く稜線に到着した。細長い平坦地には休憩用ベンチが二つ。



前方に鳥居が見えた。両側は竪堀のようだ。



本丸直下、小さな突起という感じで比高は8mと云われている。



本丸に着いて全体の眺め。15m四方程度で本丸という感じより戦闘時の指揮所と
云うほうがふさわしい(10.33)。




北隅にいろいろな表示物。木製の祠が三基。



城址説明板は細か過ぎるな。



この二基は何だろうか? 灯篭の類か。



直ぐ脇にその灯篭風のものの天蓋と思われるものが二体転がっている。



これも灯篭の類かな?



で、本日の爺イ。





さて、今度は本丸の北50mの三角点探し。北側の堀を渡って先の台地に。



台地が切り落ちる突端で発見。
四等で点名「城」 428.4m N-36-12-54-2 E-138-53-49-1 点名が如何にも単純だが
ここの小字名が「城」、従って国土院の地形図も「城山」だ。





さて、次の大予定もあるので直ぐに三角点から本丸に引き返す。堀の中から本丸を
見上げるとこっちのほうが城址らしく格好が良い。



本丸から西に向かって水平直線距離で約1Kほどの三角点を目指す。本丸から直接に
西に降りようとしたら爺イには無理な崖。仕方なく登山道を少し下って斜面を
90度トラバース、この土橋の所で稜線に復帰。



振り返って回避した岩場の下り。年寄りの一人旅では登りでも下りでも一旦
ビビッたらなるべく回避した方が良い。萎縮して上手く行動できない危険がある。



休みながら進路を観察、林の中には踏み跡もあるので問題はなさそう。



城址の一部なので直ぐに掘り切りを渡る。



一つ渡ったら又深い掘り切り。吉井・八束山西コースの補助ロープつきの
連続堀切渡りを思い出す。



と、静かな空間に小鳥の鳴き声。近いと思って停止して岩となって様子を伺う。
見えた!距離はあるが羽色の派手な小鳥が地表を歩いている。小鳥など小枝に居る物と
思っていたので意外。何とか撮影したが何しろ距離があるので安物デジカメでは
これが限度。若しかするとこの小鳥は山雀(ヤマガラ)かも知れない。
ヤマガラと云えばその昔、飼育・訓練されて見世物などでおみくじ引きの
芸を見せていたと聞いたことがある程、人懐っこいそうだから野鳥の癖に
人の気配を感じても逃げずにチョロチョロと採食していたのだろう。






小鳥と分かれて稜線を進むとやや藪道になる。



突然、稜線が断ち切られた。これも竪堀の類なんだろうか? 捉まる立ち木も少ないし
上からは断崖に見えるが脇道も見つからないので時間を掛けて突破。
降り立って振り返ると帰りにどうやって登るのか不安。



前方に小ピークが見えた。



頂点に立つと「出丸」の木柱。これが物見台だ。多くのネットの城址解説にはこの
写真は見当たらない。多分、解説紀行を書かれた人は城址の重要なこのポイントに
来ていないのではないかな。



近くに石造物が数基並んでいる(11.26)。ここから三角点までは直線で0.9K位の見込み。



ここから登り返しを考えると憂鬱になりそうな下り一方の稜線。



と、前方が明るくなり石碑群とお宮風な建物。



石碑群、どうやら庚申塔関連らしい。







目の前の林道の反対側に朽ち果て寸前の建屋、お宮ではなくお堂の感じ。



さて、お堂裏から竹やぶの稜線登りが始まるが地形図を見る限りこの山塊は長くて
複雑なので逃げ道を探しながら。



左斜面に道跡発見、先日の迂回失敗が頭をよぎるがこの山塊は勘弁してもらおう。



竹やぶの中をずっと続くのでやや不安、但し下りではなく登り加減なのが慰め。



又、林道分岐にぶつかって突っ切る。



脇に廃棄自動車、分岐する方を見ると舗装されているからそっちから搬入された?



やがて畑地の中の作業道になった。これは稜線とは関係ない畑地用なので
ぐるぐる周りで引き回されるがもう逆らうのも面倒で成り行き任せ。



右手は未だ竹やぶの山が続いているので未だに迂回中なんだ。



作業道の終点から少し山手に寄ると漸く迂回が終了して稜線復帰。前面は
新しい尾根だが何とも憂鬱になる藪道だ。



藪を突破すると平均的な林の中の道。境界杭の様な物もある。



林間で歩き易いなと思っていたら突然稜線は断ち切られて急降、下には又もや
林道が走っている。



林道は立派なもので帰路はこれを使えばとも思ったが全く離れた集落に降りる
可能性もあるので安易には利用できない。



林道を突っ切って新しい尾根。



僅かの距離で三角点発見。四等で点名・森下 413.6m N-36-12-49-2 E-138-53-06-2
大休止で日向ぼっこしながらのんびり昼食(12.21)。これで本日の目的達成。







稜線は西のほうに尚も綺麗に伸びているが帰路につく(12.49)。



先ほどの林道を突っ切って新しい尾根、往路では気にしなかったが相当な長い登り。



畑の道に入る。良く見ると一面にこんなもの、ゼンマイ? ワラビ?





僅かではあるが畑の縁に花々。





放置自動車脇の通過が13.05。



ウンザリするほど長い竹やぶの迂回道を黙々と歩く。



お堂に到着して表に向かうと何やら歌碑のようなもの。



お堂への入り口もしっかりした石垣作りだつた。



出丸通過(13.35)。



難物の崖登りの前。休憩しながら回り道探しに時間を掛ける。
結局、右手に薄い踏み跡を見つけてそれを辿るが、岩場ではなく下地がやわらかい
土で尚且つ捉まる立ち木が多数ある。但し傾斜は同じく崖同然。



漸く、這い上がったら目の前に目印リボン。ここが下り口の目印だろう。
何だか榛名・大鐘原ケ岳の西の地蔵峠への迂回下り口に似ている。



城址に近づいてこんな竪堀を二つほど越える。



城址の直下に来たがこれを登る必要は全くなく斜面を右にトラバース。



右後方から鳥居に到着(13.59)。



台地に降りて往路でも見たベンチ二つ、折角だから少々足休めしてから
木枠段下り開始。



こんな道に来てやっと今日も無事に終わったなーーと一安心。



城址入り口で林道に降り立つ(14.13)。



数分で御殿平を通過して



工事現場で挨拶して車道近くなると今朝は無かった
通行止めの柵が立てられていた。で、駐車場所着は14.27。10600歩のハイキング。



尚、城址に関しては手前味噌ながらこちらをご参照。

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