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最近は寄る年波のためか、ハイキングの連チャンは疲れが残るので
今日は軽めの史跡と伝説探訪。ターゲットは藤岡の金井城址と平井城址、
それと関連の伝説。
金井城は麓城の平井城と組合せの要害城、その歴史的な詳細は次ページの
「蛇足・平井の上杉のこと」に記す。
173線をひたすら南進、左に平井城址を見て「金井信号」を右折して
175号線。僅かの距離で右の山に送電線鉄塔、左に農協と小学校、
その斜向かいの広場に駐車。金井城址登山口の大きな看板があるが、
某医院の看板の方が大きいかな(10.34)。
目指す城址は目の前の山上、間近に迫っているので標高の割には手強そう。
なるほど、小道に入ると直ぐに竹林の急登の始まりで厭な予感。水場の脇に
小さな仏像があるが正体不明。
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古い道標が転がっていた。
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竹林で整備作業中の地元の方と暫し歓談。この城址全体が私有地と言う事
なので若しかすると地主さんだったかな?
登山道はコンクリートの段切り
これも遺構?いや、新し過ぎるな。
新規の看板もあり竹薮の後は檜林、一旦南に回ってから西へと進む。
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やがて右の斜面を稜線めがけてジグザグで高度上げて稜線着(11.03)。
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もう其処は城址の一角、直ぐ右に張り出しの物見台。確かに背後の主郭方面を
除いて全部見渡せる。説明には「天守閣のなかった中世室町期に敵軍の早期
発見、支城・前衛砦との連携、迎撃配置の策定に使われた」に納得。
この城址は東西に長い。多少の登りで西進、頻繁に標示物があつて全く飽きない。
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「清水刻字岩」や「帯曲輪」などを経て本丸跡に着く(11.16-11.42)。
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ベンチもある広場には多数の表示があり、中でも上杉輩下の16ヶ所の城址が
方向別に距離付きで標示してあって面白い。「金山西城」の看板もあるがこれは
太田に因んだ通称で「平井詰城」という言われ方もあつたが、史跡整備事業で
「金山城址」に統一されている。直ぐ脇に立派な東屋風の避難所もある。
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ゆっくり休んでから周回に掛って西に乗り越え開始。こちらのコースは
「鈩(タタラ)沢」までの1.5k。最初は緩やかな遊歩道を沢山の看板に守られるように
進む。右下にはゴルフ場、多分「緑野」だろう。井戸曲輪を過ぎると、普通の
山道(11.49)。
というより、沢下りのようなゴロゴロ道、やがて畑の中の小道に降り立つて
長閑な田園の中を満開の梅などを見ながらのんびり歩く。
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この道標には「鈩タタラ遺跡190m」ともある。藤岡地区の鉄製品の歴史は
五世紀中頃とされ、多くの遺跡を残している。八世紀には金山付近でも
鉄精錬の痕跡があるとの事。この鈩遺跡も当初は製鉄遺構とされたが
その後の研究で炭焼き窯であると認定されている。製鉄炉に燃料として
供給する炭を焼いたところ。
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待望の車道に合流したがこれは175号ではなくグリンパークゴルフ場への道。
勿論、入り口には道標がある。
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ブラブラ下っていくと神社のところで漸く県道に合流。ここには残念ながら
ゴルフ場案内だけ(12.14)。道路標識は「下日野・中倉」。
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此の辺はしっかりと歩道が付いているので車に気を使う事無く歩ける。
しかし、結構長いのに辟易するが、遠くに目印の送電鉄塔を見て一安心。
駐車場所には12.24。適当なハイキングコース。
急いで平井城址に向かう。この城址の駐車場は隣に牛舎があるらしく
猛烈な臭気で堪らない。夏などどうするんだろう。
広場は歴史を説明する標示物が一杯。平城なので城址と言っても遺構は少ない。
何しろ、周辺全てが住宅地に変貌してしまっているから。
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「関東管領上杉一族の碑」等を含めて歌碑や記念碑が多いが、今日のお目当ては
伝説なのだ。
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一隅に「若君忠照乳母尊霊位」を祭った「分霊堂」と記念碑がある。
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平井落城の時
上杉憲政は息子を置き去りにして逃亡してしまった。一説には後日越後の援助で
直ぐに復帰出きると思っていたとも言われるが、そんなのはシンパの流した
嘘っぱち。
長男・竜若丸は家人に北条へ引き渡され小田原で斬首、次男・鶴若丸は
乳母の懐に抱かれて逃げたが、西平井地区で北条勢に掴まって殺された。
と、言う伝説。
幼君を守ろうとして奮闘の末、死んだこの乳母が地元では英雄。
捉えられたところを「姥が懐」と呼び、祭ってあるらしい。
平井城址にも「奉賛ご詠歌」や「平井城址余情」の碑に顕彰されている。
「上杉城主幾興亡 平井の繁華夢一場 乳母の忠魂地蔵に留まり
千秋万古 人をして傷ましむ」
さて、分霊堂はあつたが本体を探しに出かける。西平井というので金井
信号手前の西への舗装道路を1㌔ばかり、路傍に乳母神社を発見。
今は安産子育て祈願の神社の様である。そこにも記念碑。
この地を姥懐ウバビトコと言う。
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「若君と 共に野末に 散り果てし 乳母の御魂は 尊うとかりけり」
中はこんな感じ。
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竜若丸、当時11才とも13才とも言われるが系図を見ると
憲政正妻の子はこの子一人。側室の子に数人いるので伝説に
残った三男は此方の方かも知れない。次男は難を逃れて
岐阜に逃亡し、其の末裔が今も残るとの噂があるが詳細不明。
いずれにしても長男小田原で斬首の話しの出所は勝者の記録である
「北条記」との事であるので真偽の程は判らない。
一説には竜若は平井で逃げ回るうちに掴まって直ちに殺されたとも
いわれるのでこれが末子の伝説に転嫁されたのかなー。
落城秘話伝説は似たような物が各地にあるが、伝説其のままでなくても
事件は確かにあった筈。昔語りは大切にしたいものだ。
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今日は軽めの史跡と伝説探訪。ターゲットは藤岡の金井城址と平井城址、
それと関連の伝説。
金井城は麓城の平井城と組合せの要害城、その歴史的な詳細は次ページの
「蛇足・平井の上杉のこと」に記す。
173線をひたすら南進、左に平井城址を見て「金井信号」を右折して
175号線。僅かの距離で右の山に送電線鉄塔、左に農協と小学校、
その斜向かいの広場に駐車。金井城址登山口の大きな看板があるが、
某医院の看板の方が大きいかな(10.34)。
目指す城址は目の前の山上、間近に迫っているので標高の割には手強そう。
なるほど、小道に入ると直ぐに竹林の急登の始まりで厭な予感。水場の脇に
小さな仏像があるが正体不明。
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古い道標が転がっていた。
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竹林で整備作業中の地元の方と暫し歓談。この城址全体が私有地と言う事
なので若しかすると地主さんだったかな?
登山道はコンクリートの段切り
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これも遺構?いや、新し過ぎるな。
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新規の看板もあり竹薮の後は檜林、一旦南に回ってから西へと進む。
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やがて右の斜面を稜線めがけてジグザグで高度上げて稜線着(11.03)。
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もう其処は城址の一角、直ぐ右に張り出しの物見台。確かに背後の主郭方面を
除いて全部見渡せる。説明には「天守閣のなかった中世室町期に敵軍の早期
発見、支城・前衛砦との連携、迎撃配置の策定に使われた」に納得。
この城址は東西に長い。多少の登りで西進、頻繁に標示物があつて全く飽きない。
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「清水刻字岩」や「帯曲輪」などを経て本丸跡に着く(11.16-11.42)。
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ベンチもある広場には多数の表示があり、中でも上杉輩下の16ヶ所の城址が
方向別に距離付きで標示してあって面白い。「金山西城」の看板もあるがこれは
太田に因んだ通称で「平井詰城」という言われ方もあつたが、史跡整備事業で
「金山城址」に統一されている。直ぐ脇に立派な東屋風の避難所もある。
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ゆっくり休んでから周回に掛って西に乗り越え開始。こちらのコースは
「鈩(タタラ)沢」までの1.5k。最初は緩やかな遊歩道を沢山の看板に守られるように
進む。右下にはゴルフ場、多分「緑野」だろう。井戸曲輪を過ぎると、普通の
山道(11.49)。
というより、沢下りのようなゴロゴロ道、やがて畑の中の小道に降り立つて
長閑な田園の中を満開の梅などを見ながらのんびり歩く。
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この道標には「鈩タタラ遺跡190m」ともある。藤岡地区の鉄製品の歴史は
五世紀中頃とされ、多くの遺跡を残している。八世紀には金山付近でも
鉄精錬の痕跡があるとの事。この鈩遺跡も当初は製鉄遺構とされたが
その後の研究で炭焼き窯であると認定されている。製鉄炉に燃料として
供給する炭を焼いたところ。
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待望の車道に合流したがこれは175号ではなくグリンパークゴルフ場への道。
勿論、入り口には道標がある。
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ブラブラ下っていくと神社のところで漸く県道に合流。ここには残念ながら
ゴルフ場案内だけ(12.14)。道路標識は「下日野・中倉」。
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此の辺はしっかりと歩道が付いているので車に気を使う事無く歩ける。
しかし、結構長いのに辟易するが、遠くに目印の送電鉄塔を見て一安心。
駐車場所には12.24。適当なハイキングコース。
急いで平井城址に向かう。この城址の駐車場は隣に牛舎があるらしく
猛烈な臭気で堪らない。夏などどうするんだろう。
広場は歴史を説明する標示物が一杯。平城なので城址と言っても遺構は少ない。
何しろ、周辺全てが住宅地に変貌してしまっているから。
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伝説なのだ。
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一隅に「若君忠照乳母尊霊位」を祭った「分霊堂」と記念碑がある。
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平井落城の時
上杉憲政は息子を置き去りにして逃亡してしまった。一説には後日越後の援助で
直ぐに復帰出きると思っていたとも言われるが、そんなのはシンパの流した
嘘っぱち。
長男・竜若丸は家人に北条へ引き渡され小田原で斬首、次男・鶴若丸は
乳母の懐に抱かれて逃げたが、西平井地区で北条勢に掴まって殺された。
と、言う伝説。
幼君を守ろうとして奮闘の末、死んだこの乳母が地元では英雄。
捉えられたところを「姥が懐」と呼び、祭ってあるらしい。
平井城址にも「奉賛ご詠歌」や「平井城址余情」の碑に顕彰されている。
「上杉城主幾興亡 平井の繁華夢一場 乳母の忠魂地蔵に留まり
千秋万古 人をして傷ましむ」
さて、分霊堂はあつたが本体を探しに出かける。西平井というので金井
信号手前の西への舗装道路を1㌔ばかり、路傍に乳母神社を発見。
今は安産子育て祈願の神社の様である。そこにも記念碑。
この地を姥懐ウバビトコと言う。
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「若君と 共に野末に 散り果てし 乳母の御魂は 尊うとかりけり」
中はこんな感じ。
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竜若丸、当時11才とも13才とも言われるが系図を見ると
憲政正妻の子はこの子一人。側室の子に数人いるので伝説に
残った三男は此方の方かも知れない。次男は難を逃れて
岐阜に逃亡し、其の末裔が今も残るとの噂があるが詳細不明。
いずれにしても長男小田原で斬首の話しの出所は勝者の記録である
「北条記」との事であるので真偽の程は判らない。
一説には竜若は平井で逃げ回るうちに掴まって直ちに殺されたとも
いわれるのでこれが末子の伝説に転嫁されたのかなー。
落城秘話伝説は似たような物が各地にあるが、伝説其のままでなくても
事件は確かにあった筈。昔語りは大切にしたいものだ。
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先日、山の上から見た緑野では好天のせいか
平日でも盛んにプレーをしていました。
小生、登山路の無い藪山歩きが多く急降時に
枝を掴んだままの度重なる滑落
で上腕部の筋肉が捻り上げられ
腕が上がらなくなってしまっているので、どうも
ゴルフは出来なくなったようです。