前置き
「三世紀の頃、高度な農業技術を持った大集団が東海地方から海路で東京湾に上陸、
利根川を遡上して高崎周辺の低湿地帯に至り、その灌漑技術によって現地の
弥生人たちが為し得なかった湿地の水田化を実現した。不毛の地が「毛野」に
変貌した瞬間である。彼らの頭領たる王はその死後、高崎・元島名町の
「将軍塚古墳(県内最古)」に葬られた。それが四世頃の事。
「群馬は海に無縁」ではなくこの様に1700年も前から群馬の物流・情報は
遥か大海に繋がっていたのである。
そして五世紀の後半、榛名山東南麓を開発する豪族が活躍。彼らは周到な計画を以って
渡来人を多数招聘して先進技術を導入、農業・馬生産・手工業を興す。その大王たちは
井出から保渡田に至る古墳群に眠っている。
だがこの地域はその絶頂期の五世紀末に火砕流を伴う第一回の榛名山大爆発に
見舞われる。火砕流は広範囲の森林・耕地・村々を焼き払い、せき止められた自然ダムが
決壊して土石流が山麓を埋め尽くした。六世紀中期には第二回の爆発で大量の
軽石が山麓に数メートルも降り積もる。そして、高崎に文明を開いたこれら豪族達は
古墳を残して忽然と消息を絶つた。
五・六世紀に活動したこの先人たちは二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で
相次いで建設し、この地に有力な豪族がいたことを現代に伝えた。その名は
上毛野氏の同族の「車持氏」。
だが、二度に亘る榛名山大噴火の後、1500年後の2012年11月、群馬県埋蔵文化財
調査事業団の発掘調査によって発見され、その全容が確認されるまでこの豪族の
痕跡は永く眠り続けたのであるーーーー
そして現代、地元では古墳を残して姿を消した先人たちを偲んで「かみつけの里
古墳祭り」を催し当時を再現してその偉業を伝えている。
当日の祭りは10時から各種イベントが開催されているが古墳祭りは13時から。
定刻前に現地に向かうが博物館付近の駐車場は満車と分かり切っているので
約2km弱離れた「高崎ソフトボール会場」駐車場に向かった。ここは
UTSUGI STADIUM」と名付けられ折しもJDリーグ真っ盛りで今日も午前中は
「NEC vs ホンダ」、午後はビックカメラも登場するので会場付近は賑やか、
当然のことにここも駐車場は満車で「清水善造メモリアルテニスコート」より先の最奥の
臨時駐車場とされる休耕地に漸く落ち着いた結果、マツリ開場まで30分も歩かされた。
今にも降り出しそうな怪しげな雲行きの下で15分間も開会式でのお歴々のマンネリ的定番の
挨拶を聞かされた後、二子山古墳から下ってくる王の一行を迎えて
「王の儀式・王の館でのマツリ」が丁寧で分かりやすい解説付きで進行した。
王の館での祀り
それが終わると王の一行は八幡塚古墳上で行われる第二部のために大勢の観客共々
移動し古墳の最上段に王や巫女、中段に王の従者、下段にムラビトが整列する。
八幡塚古墳への移動
古墳での祀りは「祖霊への祈り」「榛名(イカホ)の神への祈り」「民への祝言・国誉めの儀」
が荘厳さを伴って挙行されてマツリは終了、途中で僅かな霧雨が流れてきたが
傘も必要なく無事に過ごせて目出度し。ご出演のボランティアさん始め関係者の
皆さんご苦労様でした。
八幡塚古墳での祀り
八幡塚古墳埴輪群
「三世紀の頃、高度な農業技術を持った大集団が東海地方から海路で東京湾に上陸、
利根川を遡上して高崎周辺の低湿地帯に至り、その灌漑技術によって現地の
弥生人たちが為し得なかった湿地の水田化を実現した。不毛の地が「毛野」に
変貌した瞬間である。彼らの頭領たる王はその死後、高崎・元島名町の
「将軍塚古墳(県内最古)」に葬られた。それが四世頃の事。
「群馬は海に無縁」ではなくこの様に1700年も前から群馬の物流・情報は
遥か大海に繋がっていたのである。
そして五世紀の後半、榛名山東南麓を開発する豪族が活躍。彼らは周到な計画を以って
渡来人を多数招聘して先進技術を導入、農業・馬生産・手工業を興す。その大王たちは
井出から保渡田に至る古墳群に眠っている。
だがこの地域はその絶頂期の五世紀末に火砕流を伴う第一回の榛名山大爆発に
見舞われる。火砕流は広範囲の森林・耕地・村々を焼き払い、せき止められた自然ダムが
決壊して土石流が山麓を埋め尽くした。六世紀中期には第二回の爆発で大量の
軽石が山麓に数メートルも降り積もる。そして、高崎に文明を開いたこれら豪族達は
古墳を残して忽然と消息を絶つた。
五・六世紀に活動したこの先人たちは二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で
相次いで建設し、この地に有力な豪族がいたことを現代に伝えた。その名は
上毛野氏の同族の「車持氏」。
だが、二度に亘る榛名山大噴火の後、1500年後の2012年11月、群馬県埋蔵文化財
調査事業団の発掘調査によって発見され、その全容が確認されるまでこの豪族の
痕跡は永く眠り続けたのであるーーーー
そして現代、地元では古墳を残して姿を消した先人たちを偲んで「かみつけの里
古墳祭り」を催し当時を再現してその偉業を伝えている。
当日の祭りは10時から各種イベントが開催されているが古墳祭りは13時から。
定刻前に現地に向かうが博物館付近の駐車場は満車と分かり切っているので
約2km弱離れた「高崎ソフトボール会場」駐車場に向かった。ここは
UTSUGI STADIUM」と名付けられ折しもJDリーグ真っ盛りで今日も午前中は
「NEC vs ホンダ」、午後はビックカメラも登場するので会場付近は賑やか、
当然のことにここも駐車場は満車で「清水善造メモリアルテニスコート」より先の最奥の
臨時駐車場とされる休耕地に漸く落ち着いた結果、マツリ開場まで30分も歩かされた。
今にも降り出しそうな怪しげな雲行きの下で15分間も開会式でのお歴々のマンネリ的定番の
挨拶を聞かされた後、二子山古墳から下ってくる王の一行を迎えて
「王の儀式・王の館でのマツリ」が丁寧で分かりやすい解説付きで進行した。
王の館での祀り
それが終わると王の一行は八幡塚古墳上で行われる第二部のために大勢の観客共々
移動し古墳の最上段に王や巫女、中段に王の従者、下段にムラビトが整列する。
八幡塚古墳への移動
古墳での祀りは「祖霊への祈り」「榛名(イカホ)の神への祈り」「民への祝言・国誉めの儀」
が荘厳さを伴って挙行されてマツリは終了、途中で僅かな霧雨が流れてきたが
傘も必要なく無事に過ごせて目出度し。ご出演のボランティアさん始め関係者の
皆さんご苦労様でした。
八幡塚古墳での祀り
八幡塚古墳埴輪群
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