8/4は夕方から元の勤務先で恒例の納涼祭があるので山には行かない。
尤もこんなに急激な猛暑では老人の過労は禁物だから丁度良いのだ。
替わりに先日の白髪岩・三角測点について色々と調べてみた。
先ず「地理局の全国三角測量」なるサイトに「この白髪岩登山口からは
稲含山に向かっての踏み跡があるが、白髪岩そのものは登山道から外れて
いるので長い事、三角測点は発見されなかった。これを最初に発見したのは
「甘楽町・天野若男」氏、詳細の報告書によって登山雑誌に紹介したのは
「深谷市・飯島仁」氏、共に2001年」とあつた。
明治初期の三角測点は次第に一等三角点に置きかえられていくが、
ここだけは他の測点との視通の関係で赤久縄に一等三角点が設置されたので
三角測点があっても地形図上では三角点表示されなくなったとの事。
全国の旧測点は随時撤去されたので現存の三つのうちの一つという
貴重品とか。
甘楽町・天野若男?何処かで聞いた事があるなと、老人ボケの脳味噌を絞って
考えたら何と私共がamanoさんと言っているhobby-siteの
主宰者ではないか!天野氏のHPの内、登山部門は中級以上向けなので
爺イの程度では余り活用は出来ないが、同氏の「甘楽の峠」は熟読して
亀穴峠を中心に冬季には周辺を歩き尽くしている。飯島氏の事は良く
知らないが、日本で2枚目と言われる貴重な古地図を発見して話題に
なった方かな?amanoさんの大物振りに改めて敬意表明。
それはそうと、地理局の全国三角測量の中に下の写真がある。
撮影は2003-11でそんなに古くは無いが、爺イの訪問した時は
赤丸部分の表示物は無かった。遠景写真でも確認したが間違い無く
見当らない。これは地元の方々が設置した三角測点の説明だったらしい。
破損したか?取り外したか?
もう一つの話題。
先日の帰途、余りの悪路に路面だけ必死に見ていたので、肝心の「杖植峠」
の確認が出来ずに素通りしてしまい、返す返すも残念至極。色々なサイト
を見たら林道から少し上がった笹薮の中との記事もあったので路傍に
何かあると思いこんでいたのも、失敗の元かも知れない。あんな悪路は
もう二度と行かないと思うが面白い事を発見した。
先ず、下の写真を見て下さい。
これはかの有名な「岩佐徹道」氏の「群馬の峠」の写真の転載である。撮影は
1971年であるから35年前であるが、峠は標識の満艦飾である。氏は
峠調査の最後の150番目にここを選び、記念のプレートをつけている。
2枚目の写真を見て下さい。これは「西上州界隈―」なるサイトの
写真。1999年。
岩佐氏のプレートが写っているが周辺には他の標示物が無いし、取りつけ
られている木が違うように見える。岩佐氏は「錦木の老樹」に打ちつけた
と記述しているので若しかすると老木が朽ち果てて岩佐氏の標識のみが
他の木に付けられたのかも知れない。1971の写真でも既に他の標識は
相当古びており、峠名のものなどこの時既に老朽して木の根元に立てかけて
あるだけだから。
或いは林道建設は1973-1983年であるから岩佐氏の写真は建設前、従って
建設の過程で再整備されたのか?
そう言えば誰かのHPに「杖植峠」には岩佐氏の記念プレートがある筈とだけ
書いてあったような気がする。
林道沿いにあると言う下の写真のものも見かけなかった。
杖植峠でないところに「杖植峠」の表示があるとのこの話は2001年の
「西上州界隈―」から。
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
尤もこんなに急激な猛暑では老人の過労は禁物だから丁度良いのだ。
替わりに先日の白髪岩・三角測点について色々と調べてみた。
先ず「地理局の全国三角測量」なるサイトに「この白髪岩登山口からは
稲含山に向かっての踏み跡があるが、白髪岩そのものは登山道から外れて
いるので長い事、三角測点は発見されなかった。これを最初に発見したのは
「甘楽町・天野若男」氏、詳細の報告書によって登山雑誌に紹介したのは
「深谷市・飯島仁」氏、共に2001年」とあつた。
明治初期の三角測点は次第に一等三角点に置きかえられていくが、
ここだけは他の測点との視通の関係で赤久縄に一等三角点が設置されたので
三角測点があっても地形図上では三角点表示されなくなったとの事。
全国の旧測点は随時撤去されたので現存の三つのうちの一つという
貴重品とか。
甘楽町・天野若男?何処かで聞いた事があるなと、老人ボケの脳味噌を絞って
考えたら何と私共がamanoさんと言っているhobby-siteの
主宰者ではないか!天野氏のHPの内、登山部門は中級以上向けなので
爺イの程度では余り活用は出来ないが、同氏の「甘楽の峠」は熟読して
亀穴峠を中心に冬季には周辺を歩き尽くしている。飯島氏の事は良く
知らないが、日本で2枚目と言われる貴重な古地図を発見して話題に
なった方かな?amanoさんの大物振りに改めて敬意表明。
それはそうと、地理局の全国三角測量の中に下の写真がある。
撮影は2003-11でそんなに古くは無いが、爺イの訪問した時は
赤丸部分の表示物は無かった。遠景写真でも確認したが間違い無く
見当らない。これは地元の方々が設置した三角測点の説明だったらしい。
破損したか?取り外したか?
もう一つの話題。
先日の帰途、余りの悪路に路面だけ必死に見ていたので、肝心の「杖植峠」
の確認が出来ずに素通りしてしまい、返す返すも残念至極。色々なサイト
を見たら林道から少し上がった笹薮の中との記事もあったので路傍に
何かあると思いこんでいたのも、失敗の元かも知れない。あんな悪路は
もう二度と行かないと思うが面白い事を発見した。
先ず、下の写真を見て下さい。
これはかの有名な「岩佐徹道」氏の「群馬の峠」の写真の転載である。撮影は
1971年であるから35年前であるが、峠は標識の満艦飾である。氏は
峠調査の最後の150番目にここを選び、記念のプレートをつけている。
2枚目の写真を見て下さい。これは「西上州界隈―」なるサイトの
写真。1999年。
岩佐氏のプレートが写っているが周辺には他の標示物が無いし、取りつけ
られている木が違うように見える。岩佐氏は「錦木の老樹」に打ちつけた
と記述しているので若しかすると老木が朽ち果てて岩佐氏の標識のみが
他の木に付けられたのかも知れない。1971の写真でも既に他の標識は
相当古びており、峠名のものなどこの時既に老朽して木の根元に立てかけて
あるだけだから。
或いは林道建設は1973-1983年であるから岩佐氏の写真は建設前、従って
建設の過程で再整備されたのか?
そう言えば誰かのHPに「杖植峠」には岩佐氏の記念プレートがある筈とだけ
書いてあったような気がする。
林道沿いにあると言う下の写真のものも見かけなかった。
杖植峠でないところに「杖植峠」の表示があるとのこの話は2001年の
「西上州界隈―」から。
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