クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

紅葉を探しに岩櫃山 H-27-10-31

2015-11-02 08:35:15 | 吾妻周辺
ネット情報で11/3に岩櫃紅葉祭りがあると知ったので今日(10/31)なら頃合いかなと
思って昨年に引き続いて岩櫃山へ行く事にした。だが、今日明日は近くの「コニファーいわびつ」
で「岩櫃城忍びの乱」というイベントがあり先週の箕郷城まつりを盛り上げた「本格格闘甲冑集団」
も出演するというので帰りに寄る便利性から蜜岩コースではなく岩櫃城址からの東ルートとした。

槻木信号を経て原町駅前を通過してr-145の高架がある「大戸口」信号の手前の細道へ右折。
直ぐにイベント関係者が数人並んでパンフレットを配ったり駐車場所の情報を伝えていた。
滝峨山分岐は直進して平沢地区で丁字路、右に行けばコニファーだが、此処は左折して南下。
間もなく岩櫃城址駐車場に着くが坂上の第一は既に満車なので100m下った第二に駐車(10.07)。

正面の山は方角からすると岩櫃山と思われるが何時も見慣れた南面ではないので自信はない。



登山口に向かう途中に半独立の出丸と言われる「天狗の丸」と岩櫃神社への道標。



登山口に到着。ここが「一本松登山口」と言われる場所かな? ここの標高は約515m程だから
本丸跡までの比高は約80m、山頂までは約290mの標高差。



近くには案内図があったので「コニファーいわびつ」を確認しようとしたが見つからない。
但し、「杉並区自然村」の表示があった。旧吾妻町の友好都市だった東京都杉並区の施設として
「すぎなみ自然村」として開業し「すぎなみふれあい公社」が運営していたが
杉並区の財政悪化に伴い、民営化されコニファーいわびつとして再スタートしたと聞いている
のでこの古い案内図の「杉並区自然村」が今の「コニファーいわびつ」なのだと納得。
因みにコニファー(Conifer)とは、「針葉樹」の意味。



数分でこの道標を見て左折、ここは多分「尾根通り分岐」。直進は恐らく「沢通り」行きだろう。



出だしの路面は林道風な幅広で軽く登っていく。



間もなく「中城跡」の表示を見るが草茫々のスペース。



この道標で岩櫃城址に向かって右折。



登り傾斜がややきつくなり写真で感ずるよりも山登り気分。



南が開けて展望台的なスペースが「二の丸」。





木枠段で上にあがると



左手に深い竪堀、この城址は縦横の竪堀が特長との解説を読んだことがある。



そして広場風な「本丸跡」、国土院地形図で594mと表記されている地点だろう。
岩櫃城は岩櫃山802mに在る訳ではなく、東側の尾根筋に築かれていたのだから
山城というよりは、むしろ平山城の類だな。歴史は古く南北朝時代の吾妻太郎行盛に
始まり斉藤氏が綿々と繋いできたとの事。
1563年、武田の上野侵攻で真田幸隆によって落城、昌幸時代を経て真田信幸時代には
沼田城の支城で1600年の関が原も生き抜いたが1615年の一国一城令で廃城と
なるが真田氏とは深い縁で結ばれている。



山崎一氏による概略図。



本丸跡から西に向かって綺麗な登山道を進む。



この道には随所に「真田街道」の幟が立ち、「2016年NHK大河ドラマ・真田丸所縁の地」とも
書き添えられていて地域振興への意気込みが感じられる。群馬の地は今年の大河・花燃ゆ
でも群馬縣令の話が佳境だし、2016年の真田丸は沼田も岩櫃のある東吾妻にとっても
「ご当地もの」の恩恵の期待大。おまけに先日決定された2017年の「まさとら」は
箕輪城主で高崎の名づけ親の井伊直政の「母」だから連続ヒットで地元は力が入っている。



再び、分岐で左へ。反対の原町駅とは沢通り経由だろう。



この道標が念入りのように方向を指示している。赤線のように旋回。



二段構えの木枠段を通過。



尾根道の様子。この辺から岩櫃独特の大岩が目に付く。



この岩は左抜け、踏み跡が明確なので岩場も何の心配も無く歩ける。



尾根筋は南が開けて景観が見事。



尾根の南岸は切れ落ちが物凄く車道からの遠望通りの岸壁が目の前。



タマにはこんな巨木の倒木が道を塞いでいるがほんのご愛嬌程度。



次第に登りの傾斜がきつくなる。



右前方も時には開けて薄い紅葉が楽しめる。



突然、尾根道に尖塔の様な岩、看板には「天狗岩」。



ここから長い岩場が続くので右は迂回の女道だが折角だから左の「岩場あり」を選択。



こんな箇所は下地がザラで滑り易く、軽アイゼンでも付けたくなる。



巨岩二つにギョッとするが案内板が万全で間を難なくすり抜け。



この岩は正面突破。



山側に岩が連なっているが道ははっきりしているので通過は楽々。



再び尖塔、さっきよりやや小振りだから「小天狗岩」と言うところだ。



通り過ぎて振り返ると尾根道が極めて明確。



やがて尾根通り(赤線)と沢通り(黄色線)の合流地点。帰路は沢通りを使う予定。



周囲には見上げるような巨岩が林立。



ここは難なく正面突破。



ロープ付きの木枠段だが、特にロープは必要でなく楽に歩ける。



新しい尾根道も平凡ではないのでハイク気分十分で道中退屈はしない。



僅かに紅葉。未だ早すぎたかな?蜜岩コースはどうなんだろうか。(左クリックで拡大し
拡大画面左向き矢印で戻る)。



この岩の左を抜けると



再び道標。直進の郷原駅とは赤岩コースを下り潜龍院跡を通る道だろう。
この潜龍院とは織田に追われた武田勝頼を迎えようと準備したものだが
勝頼は小山田信茂の離反によって天目山の田野で惨殺されてしまう。



ケルン二個の間を通過すると



その先にも道標



目の前にいきなり「天狗の蹴上げ岩」、何本も似たようなのがあるので
一体どの位の構成なのかは良く判らない(11.18)。



此処を抜けるための第一の鉄梯子。



遥か上方に岩の隙間、あれが「櫃の口」なんだろうか?



直ぐに第二の鉄梯子。



巨岩の隙間を通過。こんな造型は自然に出来たものだろうか?人の手が加わっている気配もする。



この先も岩場は続く。



鎖もあるが浮石は無いし、足場がしっかりしているので特に必要は感じない。



上方はやや荒れ道になるが何とか歩ける範囲。



又、少し紅葉が目に入る。(左クリックで拡大し拡大画面左向き矢印で戻る)。




倒木?と思ったら理由は不明だが切り倒し。



傍の切り株にストックを添えて見たが径はそれを越えていたから確かに巨木だ。



上に新しい尾根の稜線が見えてきた。これが最後の尾根だろう。



鎖場、短いが傾斜は崖同然。鎖を引っ張って左に寄せてクリヤ。



鎖場の上は八合目だつた。



未だ先があるなと思ったら途端に足が重くなる(11.39)。



紅葉を眺めながら一寸休憩。(左クリックで拡大し拡大画面左向き矢印で戻る)。



賑やかな人声に迎えられて九合目の小広場、但し複数のグループが丁度昼食中で
座るスペースは無い。前方の頂上突起にも登山者が見えるし途中にも行き来する
人が多数。ここは東西コースの休憩所だから入れ替え回転の効率は悪い(11.49)。



隅っこに立ったまま景観を楽しむ。(左クリックで拡大し拡大画面左向き矢印で戻る)。



この広場の突端に展望台のような突起があるので三人サンの後から移動。だが、ここも
スペースが狭くて座れる雰囲気は無く



突起から展望するがアングルはさっきと同じ





80歳を超えた最近は握力・腕力の低下を自覚しているので昨年も頂上への鎖場は回避しているが
今年も止めにして九合目から眺めて登頂した気分で済ます。
突起から戻るとグループの人が荷物を整理してスペースを作ってくれたので漸く座って
休憩と昼食。さっきの突起には次々と登山者が登っていくのを眺めながら。



本日の爺イ、近くで休憩中の人が撮ってくれた一枚。



十分休んでからこの景色を最後にして下山開始。不味い事にすぐ後ろを団体に付かれ
たので下りで抜かれるのも嫌なので追われる様に急ぎ足。登りはフツーの人の
二倍は掛かるが下りと平地はほぼ人並み(12.16)。



伐採巨木通過。



もう一度、天狗の蹴上げ岩の豪快さを堪能(12.36)。



分岐で沢通りへ向かう。ここからは完全な一人旅。



最初は普通の登山道だったが



何時の間にか、沢歩き。但し右岸左岸の何れかに必ず踏み跡があるので拾っていくのも
面白い。



本丸跡への分岐に来たが今日は山中から直接にコニファーに行きたいので直進。



こんな道を進んで楽勝かと思ったが今日は生憎の事にナビを持参せず地形図も
頭の中だけなので勝手なショートカットなどを試みたのが運の尽き、長時間
を彷徨で無駄にした。



漸く林を抜けて無人の最奥民家を通過すると北側から賑やかな太鼓の音や音楽。
方向を北に変えて台地に上がりキャンプ場を横断してつり橋を渡ると到着。



もう、大方のイベントは終了しているらしいが観客は多く店も開いている。



格闘集団・式の諸君は扮装のままなので直ぐに見つけて再会。武者姿に観光客が
群がって演武を所望したら気軽に応じて一戦を特別サービスでご披露。
人気者になると大変だな。



暫く見物してここから1K程の駐車場所まで車道をテクテク歩いて無事に帰着。
既に駐車場はガラガラだった(14.10)。12.000歩の楽しい一日だった。






コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第十三回 箕輪城祭り 2015 ... | トップ | 高ヂョッキから標識が消えた?... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
岩櫃山 (あにねこ)
2015-11-02 19:54:01
爺イ先生、こんばんは。
私も同じ10/31に岩櫃山に登っておりました。
頂上が10:05、一本松登山口が11:00なので、
尾根通りの途中でお会いしているはずと思いますが、
うっかりしていたのか、気がつきませんでした。残念。
岩櫃山は初めて出かけて、密岩通りから登りましたが、
頂上付近の岩場や断崖絶壁はかなりスリルがありますね。
ミニ妙義と感じました。
返信する
残念 (爺イ)
2015-11-03 07:54:19
aninecoさん
折角のチャンスだったのに気付かず失礼しました。
時間からすると小生が城址を出たのが10.30頃て゜
木枠段が10.35ですから最初に大岩が出る辺りで
すれ違ったはず。小生は必ず挨拶は欠かしませんから
声を掛け合ったことは間違いありません。
気が付けば2008-4の極楽とんぼさんの慰霊祭以来と
なったのに残念至極。
益々のご健勝を祈ります。
返信する

コメントを投稿

吾妻周辺」カテゴリの最新記事