クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

甘楽町小幡の七福神めぐり H-27-12- 9

2015-12-11 13:19:58 | 伝説・史跡探訪
早くも12月も第二週、寒気に弱い爺イはそろそろ冬篭りの準備、もう史跡探訪の
種も尽きているので某サイトに出ていた「群馬の七福神めぐり」でも
してみるかな?の心境。そのサイトの情報では県内13ヶ所のものが
リストアップされていた。
1 鏑川七福神(高崎市・富岡市・下仁田町) 2 小幡七福神(甘楽町) 
3 銅七福神(群馬県みどり市,栃木県日光市 他) 4 桐生七福神(桐生市)
5 上州七福神(前橋市・太田市 他) 6 上州太田七福神・七草寺巡り(太田市) 
7 冠稲荷七福神(太田市) 8 上州邑楽七福神(邑楽町)
9 赤谷七福神(新治村) 10 つつじの館林七福神(館林市・板倉町)
11 榛名山七福神(高崎市) 12 八塩八福神(藤岡市) H21.6
13 あさお七滝七福神(1/7)(安中市)

この中で爺イが見たのは一箇所に纏まっている榛名山と八塩だけ。そこで手始めに
多少地理を知っている「小幡七福神」の探訪を試みたが場所探しに相当な手間がかかった。
追記
2015-12-9小幡七福神、2015-12-17鏑川・麻芋七福神 済み。

(1) 宝泉寺(甘楽町小幡352)-恵比寿-商売繁盛、財福、幸福招来に御利益



r-197で福島を経由して小幡の街中を目指して南進、上信越高速路を潜って小幡中町。
右(西)側を注意しながら進むとこの道標。



門柱の間の細道に入って100m程で駐車できる広場。



直ぐ左手に「宝泉寺の薬師様」の案内柱。



薬師様は三体で薬師如来座像2体、地蔵菩薩座像1体。向かって右から薬師如来座像(天引石)
薬師如来座像(天引石)、地蔵菩薩座像(安山岩)で、南北朝から室町時代頃と推定されるとの解説。画像は資料画像。

 

更に進むと前方に墓地と寺院が見えてくる。



出迎えてくれるのは六地蔵。良く寺で見かけるが 仏教の六道輪廻の思想に基いて、
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道夫々
に檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵を配して
救おうとするものらしい。爺イも間もなくお世話になるので丁重にご挨拶。



ここが寺の入り口



本堂。



本堂前の目立つところに本日の探し物第一号のえびす様。但し何処かの記録に持っている
魚を「鯉」としてあったがそれを確かめるのも今日の目的。



これはどう見ても「鯉」ではなく定番の「鯛」だ。尤も全国を見渡せば日本一のえびす様
として有名だと言う真岡市の大前神社など鯉を持っている恵比寿像も多いとか聞く。



(2) 龍門寺(甘楽町小幡1074)-寿老人-長寿に御利益



宝泉寺を辞してr-197を約1.3kほど南進すると左にGS、二軒手前の高野商店さんの
近くの左折舗装路に入る。



約100mで七福神・寿老人の道標がある。



山門を潜ると



「龍門」の掲額のある本堂と



第二号の「寿老人」。これは参った! 太陽の位置が像の肝心な処に影を作っていて
こんな写真きり。帰途に立ち寄って撮り直そうと決めていたのに実際は
ボケ頭から抜けてしまったらしく立ち寄りを忘れた。



(3) 長厳(ゴン)寺(甘楽町小幡1926)-毘沙門天-仏法の守護神、財宝福徳の御利益



龍門寺から更に南進して織田家七代の墓所を過ぎると右にこんな派手な看板。



右折して橋を渡った丁字路を又右折すると僅かの距離で長厳寺の駐車場。直ぐ前に
寺が見える。



もう今年は終わったとばかり思っていた紅葉。ここの標高は約200mだから平地並みかな?



山門に木魚、三回鳴らして本堂に礼をしてから入るべしとの事なので素直に従う。



右に薬師堂を見ながら



この細道に入る。



直ぐに左手に「毘沙門堂」。この寺の七福神・毘沙門天は唯一屋内にありよく見えない。



汚れたガラスを拭って撮ったがこれが精一杯。



今年の八塩あじさい見物で見た毘沙門天はこんな姿だった。



少し上部に周囲が閉められた観音堂。



この辺から石材を丁寧に組み上げた石段が始まる。



間もなく磨崖仏のある小広場。右手のこの石像物は亀と思う。



改めて顔を見ると確かに亀だ。誰が置いたのか?五円硬貨が目玉の役を果たしていた。



問題はその奥の正体不明君。かって爺イはこれを座っている姿勢から蛙とブログに書いたが



良く顔を見ると蛙より「龍」か「獅子」の方が近いと感ずるが一応「龍」として置くかな。



肝心の磨崖仏はこの広場にあるが縦10m横8mの巨大さの為、少し離れて見上げないと
全容は分からない。



その大きさは赤矢印の先に小さく写っている爺イの姿と比較すると実感できる。



この磨崖仏の事を七年前の爺イのブログから再録すると
「この「仏頭磨崖」の制作者は「吉田文吉」氏という福島の旅館のご主人で
彫刻家ではない。 観音像の並ぶこの通称「連石山レンセキ」に魅せられて寺に
制作を申し出て昭和54年から六年掛かりで完成したとの事。
この山の歴史は古く700年前頃から修験者の道場であり、行を終った
修験者が仏像を残したのが始まりとか言われている」となる。
だから多くの石仏が古来から在り仏頭磨崖が後から作られたということになる。

巨大磨崖仏の本体下部に二つの磨崖蓮華座が彫り込まれている。
「磨崖蓮華座」とは台石の蓮華部分のみが岩肌から
直接彫り込まれているもので切り出された石を素材に造立されて移動することが
可能な一般的なものは単に石仏だし「独立石仏」とも云う
ーーーとは100%ネット情報の受け売り。





折角だから連石山の遊歩道を一回りする。登山道入り口には磨耗して読み難いが
「六尺観音登山口」との石造りの道標。六尺観音とは簡単な話、等身大と言うこと。



直ぐにハイキングコースの案内でやや荒れた竹林に入って行く。



道脇には石仏が点在する。本堂脇に「33観音」との案内が有る通りこの山には
修験道場の古来から33体があったらしいが明治初期の「廃仏毀釈運動」の
被害にあって相当数が失われその上に冨岡製糸所の建設のため、ここから岩石が
大量に切り出されたので、かっての霊山・観音山の趣きは破壊されたらしい。
寺でも何体かは修復・補充したが現存は23体と云う。--これは住職さんから
聞いた話。











道は部分的に木枠段が付けられているが老朽の上に分厚く落ち葉が堆積しているので
軽装のスニーカーではエッジが効かずにズルズルに滑る。ロープもあるが
とても使いたくなる様な代物ではない。



道形は明瞭で山の斜面を上手く回って高度を上げる。



遊歩道の頂点で左右に分岐、右は週回路だが左のダルマ岩方面の尾根を目指す。



尾根途中から周辺の景観、未だ秋が残っている。







尾根頂点からダルマ岩を眺める。成るほど上部のクビレなどから確かにダルマに
擬せられないこともない。



頂点から一寸辺りを眺めてから分岐に戻り周回の再開。

 



下りの途中で展望広場の真ん中に六尺観音像、頭部の造りから見ると11面観音だ。



あとは一気に下って紅葉に迎えられて周回終わり。うっかりして本堂左奥の天狗岩に
タッチするのを忘れていた。



(4) 宝積(シャク)寺(甘楽町轟774)-布袋尊-中国の高僧



長厳寺を辞して次の宝積寺に向かう。この寺は甘楽里山巡りの折りに何回も来ているが
枝垂れ桜の奥にある布袋様の所までは行っていない。
県道から林道に乗り換えて坂を登り大駐車場脇に布袋の看板。



参道の石段の途中に「みがわり地蔵」。1769年の建立で子宝安産・病気平癒に
の地蔵として信仰されており背中が大きく抉れているのは病人が地蔵の石を削り取って
飲むことで治したからとの説明。現在はみがわり地蔵札に変わっている。



正面に回ると本堂を望む位置に「菊女観音像」。この寺にまつわる菊女伝説に
対応している。



本堂前には大きな枝垂れ桜。春には見事な花で楽しませてくれるが樹齢140年
と伝えられ「甘楽名木10選」に選ばれている。



その奥に目的の布袋様。「なで布袋」と称されて信者が頭をなでながら願い事をする
ために頭部分はテカテカに光っていた。



更に奥に進むと「天狗の腹切り岩」。元々は僧侶の修行用なのだか1563年の宝積寺合戦
のとき奮戦した寺僧がこの岩で自決したと伝わり腹切り岩の名が付いたらしい。



墓地の奥に菊女とその母の墓碑。



小幡氏歴代の墓。



(5) 天徳寺(甘楽町秋畑3596)-弁財天-水神、財宝を司る



宝積寺から山を下ってr-46を西進、戦場・樅の木平を経てこの道標で二股分岐を右。
秋畑の表示を見ながら赤谷に向かう。



やがて目印で左下の道に下ると



古い石仏に迎えられて



本堂への石段を登ると



弁財天にご対面だが残念にも逆光。



(6) 福厳(ゴン)寺(甘楽町善慶寺421)-福禄寿-学業成就、合格祈願、立身出世に御利益



今度は一気に街中の小幡信号まで戻って左折、物産センターの次の信号で再び左折して
南進、この道標で右折。



池の端を回り込むと



山号を大きく掲げた本堂。



その脇に福禄寿。長頭が何か愛嬌がある。



(7) 興巌(ガン)寺(甘楽町国峰1931)-大黒天-国家、領内安寧、福徳に御利益



最後の七つ目、元の県道まで戻って西進して国峰城址入り口信号で左折、道なりに西南進して
城址入り口を左に分けて直進。



間もなく左にこの道標。



反対側の門柱を通過して参道を進むと



六地蔵



馬頭観世音などの石像物を見ながら。



石段を登って山門を潜り本堂へ。



七福神探訪の〆はこの大黒天。



以上で一回り終了。予想外に場所探しに戸惑ったので別の七福神めぐりをするなら
余程の下準備が必要と実感。






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