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少し遅くなったが今年も御巣鷹へ慰霊登山。出発9時5分。道中長丁場なの
で覚悟はしていたが結果として行動七時間の内、車の走行時間が4時間50分。
往路は無難な東回り。17号線の新柳瀬橋から13号線に入り鬼石で自動的に
462号。
神流湖北岸を延々と西へ。この沿線は80ヶ所に近いカーブがあるので
走る割合には前に進んでいなくてイライラする。漸く「万葉の里」について
一休み。たったの55kを1時間35分も掛っている。中里で299号線に
替わる。上野村の入り口でシンボルタワーが新しいのに気付いたがアット言う
間に通り過ぎ。父母・乙父トンネルを経て楢原トンネルの先を右折して
「慰霊の園」に着く。(11.17)
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広い敷地には殆ど人影もなくひっそり。大きなモニュメントが夏の日を浴びで
キラキラ光る。
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右手には「明日に生きる」と題した吉田光正作の立像があるが、事故当時に
身元確認に活躍した群馬県歯科医師会の寄贈。多くの人が事故と向き合って
奮闘したのだ。
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再び299線に戻って郵便局角を左折してダム道路。ここは広くて走り易い
が8つあるトンネルが一寸邪魔。中でも三つはトンネル内で大きくカーブして
いるから始末に悪い。
ダムを過ぎると途端に普通の山道、郵便局から17㌔も走って漸く第一駐車場。
去年まではここから歩いたが今年から長い間工事中だった林道が一般に開放
されて、警備員の指示に従って第二駐車場へ。未だ渓谷の堰堤工事が続いている
ので、警備員が一般車両と工事車両の交通整理をしているのだ。第ニまで
1.4k、それだけ従来の登山道が短縮されている訳である。
第二に着くと(12.09)、数台が既に駐車中、案内板がはっきり
登山口を示している。
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登山道はほんの僅かで第一からの旧道と合流するが旧道は既に閉鎖され
ていた。すれ違う団体と挨拶を交わしながらゆっくりペースで登り一汗かいて
何とか「御巣鷹の尾根」。(12.41)
例年の半分以下の時間なので今後は楽ができる。
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何組かの慰霊登山者に混じって先ずはお祈り。
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周辺の設備も見て周る。少し上の小屋には遺族が張り出した犠牲者への
メッセージ。
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事故当時の村長であつた黒沢丈夫氏の記念碑もある。
この黒澤氏、連続十回無投票当選の実力者であるが、元々は海軍士官
の筋金入り。
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昼食・休憩や慰霊登山者たちと暫し歓談の後、(13.16)途中の
遺体発見場所毎の卒塔婆に線香を手向けながら下山して駐車場(13.39)
一服してから第一駐車場を経て再びトンネル潜り。途中に「中止の瀧」看板。
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明治の初め、測量に来た役人が瀧を発見して「作業中止」としてその見事さに
感嘆したので地元民が「中止の瀧」と名付けたらしい。いつも素通りなので
100㍍の看板表示に釣られて見に行った。
山の斜面の急登をジグザグに道があるがとても100㍍なんて言う物ではない。
途中からのパイプの手摺に縋って殆ど稜線近くまで上がってそれから右に
大きく移動して小尾根を跨ぎ、今度はロープで未だ上がる。漸く瀧の見える
場所に到着。規模は丁度、沢渡の「仙人瀧」程度。
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暫く眺めて涼味を満喫、写真を撮って元の場所にとって返す。ナビで計測した
ら標高差だけで70㍍もあるからあれだけのジグザグと横歩きなら距離100
は完全に間違い。まさか直線距離?
下り道を快調に下り郵便局角を来た時と逆に左折、暫くで45号線表示で
右折、長い「湯の沢トンネル」を潜って南牧川の右岸を北上して下仁田
経由で帰宅。(16.10)
往路94k、復路69k。
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
で覚悟はしていたが結果として行動七時間の内、車の走行時間が4時間50分。
往路は無難な東回り。17号線の新柳瀬橋から13号線に入り鬼石で自動的に
462号。
神流湖北岸を延々と西へ。この沿線は80ヶ所に近いカーブがあるので
走る割合には前に進んでいなくてイライラする。漸く「万葉の里」について
一休み。たったの55kを1時間35分も掛っている。中里で299号線に
替わる。上野村の入り口でシンボルタワーが新しいのに気付いたがアット言う
間に通り過ぎ。父母・乙父トンネルを経て楢原トンネルの先を右折して
「慰霊の園」に着く。(11.17)
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広い敷地には殆ど人影もなくひっそり。大きなモニュメントが夏の日を浴びで
キラキラ光る。
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右手には「明日に生きる」と題した吉田光正作の立像があるが、事故当時に
身元確認に活躍した群馬県歯科医師会の寄贈。多くの人が事故と向き合って
奮闘したのだ。
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再び299線に戻って郵便局角を左折してダム道路。ここは広くて走り易い
が8つあるトンネルが一寸邪魔。中でも三つはトンネル内で大きくカーブして
いるから始末に悪い。
ダムを過ぎると途端に普通の山道、郵便局から17㌔も走って漸く第一駐車場。
去年まではここから歩いたが今年から長い間工事中だった林道が一般に開放
されて、警備員の指示に従って第二駐車場へ。未だ渓谷の堰堤工事が続いている
ので、警備員が一般車両と工事車両の交通整理をしているのだ。第ニまで
1.4k、それだけ従来の登山道が短縮されている訳である。
第二に着くと(12.09)、数台が既に駐車中、案内板がはっきり
登山口を示している。
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登山道はほんの僅かで第一からの旧道と合流するが旧道は既に閉鎖され
ていた。すれ違う団体と挨拶を交わしながらゆっくりペースで登り一汗かいて
何とか「御巣鷹の尾根」。(12.41)
例年の半分以下の時間なので今後は楽ができる。
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何組かの慰霊登山者に混じって先ずはお祈り。
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周辺の設備も見て周る。少し上の小屋には遺族が張り出した犠牲者への
メッセージ。
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事故当時の村長であつた黒沢丈夫氏の記念碑もある。
この黒澤氏、連続十回無投票当選の実力者であるが、元々は海軍士官
の筋金入り。
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昼食・休憩や慰霊登山者たちと暫し歓談の後、(13.16)途中の
遺体発見場所毎の卒塔婆に線香を手向けながら下山して駐車場(13.39)
一服してから第一駐車場を経て再びトンネル潜り。途中に「中止の瀧」看板。
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明治の初め、測量に来た役人が瀧を発見して「作業中止」としてその見事さに
感嘆したので地元民が「中止の瀧」と名付けたらしい。いつも素通りなので
100㍍の看板表示に釣られて見に行った。
山の斜面の急登をジグザグに道があるがとても100㍍なんて言う物ではない。
途中からのパイプの手摺に縋って殆ど稜線近くまで上がってそれから右に
大きく移動して小尾根を跨ぎ、今度はロープで未だ上がる。漸く瀧の見える
場所に到着。規模は丁度、沢渡の「仙人瀧」程度。
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暫く眺めて涼味を満喫、写真を撮って元の場所にとって返す。ナビで計測した
ら標高差だけで70㍍もあるからあれだけのジグザグと横歩きなら距離100
は完全に間違い。まさか直線距離?
下り道を快調に下り郵便局角を来た時と逆に左折、暫くで45号線表示で
右折、長い「湯の沢トンネル」を潜って南牧川の右岸を北上して下仁田
経由で帰宅。(16.10)
往路94k、復路69k。
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