クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

甘楽の峠を二つほど  H-20-1-8

2008-01-09 15:02:11 | 高崎・甘楽・藤岡方面
大寒までニ週間前というのに三月末の気温の予報、何か狂っているが
老齢ハイカーにとって温暖は有り難い。今日は吉井を発して甘楽の峠を
二つと摩利支天山(仮称)をぐるっと一回り予定。序でに昨年三月に
「元亀穴の住人」氏から依頼されている山中に在る筈の旧亀穴集落
共同墓地の現況偵察も兼ねるのでザックの中にお線香を少々。
先日と同じ大判寺橋脇に駐車、五人釜林道の最高点を目指して発進。
(10.11)
大きく蛇行しながら標高差は約100㍍、直ぐ先に右へ別れる林道、
帰路はここに下ってくる積もりだったが結果は失敗。


20分程も掛けて漸く最高点着(10.33)、ここから右手の作業道に入る。


僅かの距離で分岐、左の急コブに進む。右の道は帰途に使った。


ここのコブは連続二つ、二つ目は厳しい岩コブだが登りきると
赤テープ(10.53)。標高差は約60㍍だった。


今度は西南への岩尾根を慎重に辿るが


前面に再び厳しいコブ、直下で右への獣道が見えるが直登の方に
赤テープがあるので直進、登り切ると方向は西に変わり平坦道、


前面の巨大南北稜線に向かう。
この斜面は直登は無理、直下の赤テープから細いけれどもはっきり
判る右への回り道に入つて北からの稜線に廻りこむ。遠回りになるが
仕方がない。
赤テープの所で稜線に這い上がって(11.29)、


南に向うと直ぐに巨大コブに始まるピーク。ここの標高は約600m。
コブを幾つか越えてピーク直下で又、右への回り道。ピークの
西側細道を延々と進んでゲートの様にマークされた位置で稜線に
復帰(11.50)。


さて、いよいよ最後のピークに掛かる。このピークには東西に
藤岡・吉井の境界線が走っているのだ。境界線に到着、少し休憩しな
がら摩利支天を眺める。(11.57)


ここからはほぼ平坦な境界尾根を南北尾根の見える西に向かって
まっしぐら。
やがて石柱に到着(11.14)。ここが吉井・甘楽・藤岡の分岐三角地点だ。


オッと、樹幹にG氏の新しい道標発見。


ここから北に行けば帰途に寄る三角点の摩利支天山、但し頂上に摩利支天の
石碑が在る事から付けた仮称。
こっちは南へ進んで甘楽町の東南端の石柱を目指す。この手の90度の
範囲が甘楽町、残りは藤岡市だ(12.19)。


今度は藤岡・甘楽境界尾根を西に進んで「鳥屋峠」に向かう。急坂を
下った後は平坦尾根、どちらかと言えば下り気味、帰途の登り返しに
疲れるところ。
峠に到着(12.32)、右に(北に)下れば甘楽町・森林公園園地への峠道、
直進は一山越えて亀穴峠、左は藤岡・矢掛に下る峠道。
ここにもG氏標識が増えて標識二枚。



休む間も無く藤岡側へ西南に少し下って古道標前、これは南の矢掛から
来た人の為に在る「右・鳥屋天引道 左・小幡冨岡道」の道標、つまり
峠の分かれ道だ(12.36)。


更に進んで亀穴峠の真南辺りで峠道は左(東)にヘアピンカーブ、
帰途は直進の道を辿って来た。


落ち葉の深い道の先の杉林手前で分岐、右折(西)して下りつづける。


やがて前方に廃屋、これが「T家納屋跡」だ(12.45)。


左に下ると矢掛だから右折して廃屋の裏の竹薮の中へ。ここからはさっき
降りた分を登り返す事に成る。
道は幅広で西北、途中に明かに住居跡と見られる石垣もある。かつては
ここに集落があったらしい(13.01)。


道は更に荒れて来るが尚も登り。やつと前方に2つ目の廃屋がみえ、
道は手前の土手を避けてぐるっと右から一回りして広場に到着
(13.14-13.33)。これが「A氏住居跡」の筈。

昼食後、問題の共同墓地を探すが雑草の茎が背高く残っているせいか
見付らない。付近はこんに広々しているのに。


仕方なく「元住人」氏の言う通り東の道を辿りながら周囲を探るが駄目。
「元亀穴の住人」さん、若しこのブログを見る機会があったらA氏住居跡
からの方向と大体の距離を教えて下さい。
踏み跡を辿って稜線裾の日当たりの良い草原を東に向かってさっきの分岐
まで戻った。(13.51)
ここから峠への踏み跡を通って「亀穴峠」、


ここにあったG氏の標識がなく爺イのものだけ。(14.00)


直ぐに鳥屋峠に向かって東の小ピークへ。石柱が二本、右の背の低いのが
図根点。



ここから北ヘの稜線を辿れば三角点・天引に達してその手前から右斜面を下れば
公園園地。
さて、東の鳥屋峠に向かって山を降りる。僅かな距離で峠着(14.11)。


張って来た脹脛を休ませる間にこれからの登り返しに備えて軽アイゼン装着。
予定より遅くなっているので大急ぎで往路に通過した3市町境界(14.36)。
右へ下れば往路だが、摩利支天山に向かって直進。北から見るとトンガリの
この山も南の稜線が高いので、此方からは只の丘程度。
頂上の三等三角点、點名は「裡山」、読みは相変らず判らない。
「うち」?「うら」?


オッと一大事、G氏の新しい頂上標識があったが、何と「天引山」とある。


権威者のご託宣ならそうなのかな?仮称・摩利支天は今日から爺イの
ブログでも天引山と改称とするほかはない(14.40)。
北ヘの乗り越しに掛かる。とんでもない急坂ではあるが下地が柔らかいので
難なく滑り降りる。下の境界杭はNO.597。


ここからは多くの赤テープを見ながら
降り口のNO.575杭までまっしぐらだ。NO.586とNO.584の小ピークを抜けて
NO.582を確認してルンルンで下る。
が、途中で異変に気付いた。今まで右前にあつた自分の影が左前に在る。
行く手は断崖で稜線はブツ切り、降りられない。


慌てて地形図とナビで確認すると北ではなく東への尾根を下っていた。
何たる事か、地形図にはNO.583は右、NO.582は左と注意書き込みまで
して有るのに。NO.582杭の分岐を反対の右に来たのだ。相当下ったので
もう登り返しの体力もやり直しの時間も無い。もう一度地形図を睨んで
右下の沢に降りる事にした。深山で迷ったら沢はご法度だがこの辺の
里山は大丈夫。特にこの稜線の東側の沢は必ず大判寺沢に集約になるから。
(15.11)
斜面を斜めに滑り降りて沢に降り立ったらやっぱりここも水害で大荒れ。


アイゼンも外して沢の岩を渡り歩くと左の土手に作業道跡(15.22)。


但し、沢の荒れで寸断されているので沢の中を歩いた方が早い。
漸く作業道部分が多くなってホッとすると間も無く往路で分岐した
林道最高点に到着(15.36)。いつか辿ろうとした林道を計らずも通過したのだ。
夕暮れを気にしながら駐車場所に到着が15.57、辛うじて自宅まで
無点灯で帰れた。やれやれ、帰途には油断大敵だ。
「元亀穴の住人」さん、今回は失敗ですがあの地域には未だ機会が
ありますので場所の情報を下さい。



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2 コメント

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ご無沙汰しています (wassy)
2008-01-10 06:52:08
爺ぃ様

大変ご無沙汰しています。
病気を患ったところまで読んでましたが、久しぶりにアクセスさせていただきました。
相変わらず、お元気に我が地元及び近郊を攻めているお姿に、安心しました。

当方、現在失業中で時間たっぷり(悲
お近くにおいでの際はぜひ連絡ください。
OFF会、しましょう
返信する
RE:ご無沙汰 (爺イ)
2008-01-10 09:34:17
wassyさん
此方こそご無沙汰ばかりで。
去年のHPリニューアル以来の日記記事内容から
何かあったな?とは感じていましたが、人生色々ですね。
でもまちすい等で相変わらずご活躍の様子なので
一時の休養なんだろうーと思って余り心配はしていません。
冬場はせっせと里山を這いずり廻ります。
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