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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 464 問題児 ③

2017年02月01日 | 1985 年 



" ツッパリボーイ " は案外と根は純情なものである。例えば斎藤明投手(大洋)。セ・リーグで最後まで統一契約書にサインしなかった男だが、内心は「俺は本当にやれるんだろうか」という不安感が渦巻いていた。新任の近藤監督は「斎藤は先発で使う」と宣言したがリリーフ業がすっかり身について先発転向は容易ではない。不安に揺さぶられ続け、必死の抵抗が功を奏したのか近藤監督はキャンプイン直前になって撤回したが「やれ一安心」と息つく暇もなく今度は大物新人の竹田投手とのダブルストッパー構想をぶち上げた。セーブ記録を達成した事もある斎藤にとってはプライドをいたく傷つけられるものだった。しかし近藤監督の真意は斎藤をのっぴきならない状態に追い込む事であった。救援投手として確固たる地位を築きチーム内にライバルがおらずマンネリ化して緩んだ気持ちに刺激を与える事が狙いであったのである。

竹田が一軍の練習に合流しブルペンで初投球を披露した際に印象を聞かれた近藤監督は「抑えより先発向き。オープン戦でテストする」と即決したが、竹田本人が「肩に張りがあり六分の出来」と言った通り、いくら投手を見る目に長けている近藤監督でも先発OKと判断できる筈はない。「自分で抑え役を希望した以上はキッチリやってもらう(近藤監督)」という全ては斎藤に対する牽制であった。先発転向を撤回する際に近藤監督は「五度のうち四度は抑えて合格」と厳しい条件をつけた。昨シーズンまでの斎藤は弱小チームゆえ「二度に一度」で満足していただけに慌てた。確かに斎藤の眼の色が変わってきた。練習中の口数もめっきり減り「こうなったら結果で示すしかない(斎藤)」と昨年までのツッパリボーイが今や優等生。だが斎藤が途中でシラケてしまう危惧があるのも事実。それは大洋球団には " 去るのは選手ではなく監督 " という悪しき伝統があるからだ。しばらくは目が離せない。

今や押しも押されぬリリーフエースの牛島投手(中日)をツッパリボーイと呼ぶ人はいないだろう。だがしかし昔の顔をチラリと覗かせてしまう事もある。中日投手陣には欠かせない存在になり年俸も昨年の契約更改で倍増の三千六百万円にアップし、投手陣トップの高給取りとなった。この結果を牛島自身も当然の事と受け止めるような言動をした事にカチンときた選手がいた。このニュースを聞いた小松投手は「エエッ?なんでウシがそんなにアップするの?」と仰天し、郭投手は無言で " WHY? " のポーズをとったとか。これは複数のスポーツ紙記者が見聞きした事なので作り話ではなさそう。昨シーズン、牛島は6敗しているがその内の4敗が小松と郭の勝ち星を消したもので2人は「俺らは先発したら必ず完投しよう」と誓い合ったそうだ。牛島の年俸が自分より低かった昨年までなら我慢できても逆転された今シーズンは腹の虫が治まらない。この事が先発陣と牛島との間に溝を生んでしまったら中日投手陣の結束は乱れ、それは即ちチームの崩壊を意味する。

ツッパリボーイの元祖、工藤投手(日ハム)が今もがき苦しんでいる。昭和57年に20勝4敗で最多勝、最優秀防御率賞、後期MVPと我が世の春を謳歌していた。あれから2年半、多くの人が工藤の雄姿を忘れてしまっている。昨年の名護キャンプでブルペンで投球を開始した日に肩痛を発症。右肩靭帯損傷で昨シーズンは1試合・1/3イニング・24球のみで終わってしまった。今年になりようやく痛みは消えたが今度は別な問題が工藤を襲った。「良かった時の投球フォームを思い出せないんです。ビデオで確認してイメージは出来ても、いざ実際に投げてみてもシックリ来なくて…」と工藤は溜め息をつく。当然調整は遅れて未だ五分程度だ。「今のままでは開幕は無理でしょうね。いいんですよ、5月でも6月でも。極端な事を言えば来年にまでズレ込んでも」とは高田監督。いわば現状では工藤は構想外扱いなのだ。嘗ては「練習なんか大嫌い」とウソぶいていた " 問題児 " が今や " 問題外 " の人に転落してしまった。

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