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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 465 ダメ虎返上

2017年02月08日 | 1985 年 



阪神タイガースの安芸キャンプを分析する前に敢えて私は強調しておきたい事がある。それは私と吉田監督の関係である。とかく私と吉田監督はライバル関係にあり何かと世間に好奇の目で見られている。共に現場を離れ解説者として活動していた時期に「タイガースを去って何年も経つのに何で世間は俺達を興味本位に見るのか」とお互いに話した事があった。確かに私と吉田監督のタイプは水と油で性格も違う。それは突き詰めるとチームの命運を背負って投げる力投型の投手とチーム全体を統括しなければならない守りの要の役割を担う内野手とでは自ずと日頃の生活観、野球観が違って当然である。例えば巨人のONでも強烈なゴロを受け止め処理するミスターとミスターからの送球をジッと待つワンちゃんとでは野球の見方や考え方が違って当然ではないのか?敢えてこのような馬鹿馬鹿しい事を書かねばならぬ程、やじ馬にとって他人を喧嘩させるのは面白いらしい。

私がプロ入りした昭和34年当時は小山投手が文字通りライバルだった。テスト生として阪神に入り苦しい練習に耐えてエースにまで昇りつめた小山さんにとって大学日本一の肩書きを引っ提げて鳴り物入りで入団した私の存在は強烈な商売仇の出現と映ったに違いない。同じ投手として私も負けていられない、と思ったのも事実である。しかし吉田さんには堅実な守備で何度も助けてもらった事があったこそすれ対立する理由は無かった。昭和44年のオフ、辞任した後藤監督の後を受け次期監督は私か吉田さんかと騒がれた。球団は年長の吉田さんではなく当時32歳の私に白羽の矢を立てた。どこの企業や組織の人事でも " 順番 " が替わると如何なる大義名分があってもギクシャクするものである。この時の逆転現象が後々まで私と吉田さんのライバル物議の発端となった。不思議なもので当人同士は何のわだかまりは無くとも周囲が妙に気を使って微妙な距離を保とうとする。

昨年の暮れの次期監督選びの際も再びマスコミの餌食になった。今度は吉田さんが監督に就任したが私の時と同様に根拠のない記事が紙面を飾った。吉田さんが監督に就任した翌日にわざわざ吉田監督本人から私に「ムラ、期せずしてこういう事になったが宜しく頼む」と電話を頂いた。「ヨッさん、俺に出来る事なら何でもしまっせ」と答えた。また久万さん(阪神オーナー兼阪神本社社長)が直々に芦屋の拙宅まで訪ねて下さり「色々と騒がせたがOBとして吉田君を助けてやって欲しい」と挨拶を頂戴した。私はこの久万オーナーの行動が非常に嬉しかった。いわゆる新聞辞令のせいで監督候補の大本命とされ自分の意図とは別に騒動に巻き込まれて私は勿論、家族にまで迷惑をかけてしまった事を久万オーナーは気遣ってくれたのだ。それもこれも阪神タイガースを強くしたい、という思いから出た行動である。実は吉田監督就任後、再三に渡り2人だけでチームについて話し合ってきた。吉田監督はチームの土台作りをチーム再建の柱としたいと熱く語っていた。

話の前置きが長くなってしまったが阪神の安芸キャンプを訪れたのは2月中旬。甲子園球場の自主トレの頃から米田投手コーチが絶賛していた仲田投手を見るのが楽しみだった。仲田投手はシート打撃に登板して打者15人に5安打。直球のみと限定されての快投を目の前にして、評論家である事を忘れて阪神タイガースのイチOBとして興奮する自分がそこにいた。「コラッ仲田、まだ上半身だけで投げる癖が直っとらんじゃないか。もっと軸足のケリを強くしろと言われたのを忘れたんか!」と自分の立場を忘れて仲田投手を叱り飛ばしてしまった。昨年の夏場にまだ評論家だった吉田監督と共に臨時コーチとして仲田投手をはじめ御子柴投手や源五郎丸投手ら若手投手を浜田球場で指導した。その時から上体だけで投げる悪い癖があり矯正したのだが直っていなかったからだ。何とかモノになって欲しい、もっと良くなる、阪神タイガースの伝統を守る一人となって欲しいという気持ちから部外者でありながらつい声を荒げてしまった。

翌日の安芸は雨だった。雨宿りをしながら吉田監督や阪神OBの鎌田実さんとで雑談に花が咲いた。やがて私と吉田監督の2人だけになると「ムラ、若い連中を見てくれんか」と切り出した。一軍選手に私がしゃしゃり出ては米田コーチもやりにくいだろうし「ヨネの邪魔にならない二軍なら喜んで引き受けましょう」と答えた。翌日の紙面に『村山へ臨時コーチ要請』と仰々しい見出しが躍ったがそんな大袈裟な話ではなく、気が付いた事をアドバイスする程度のものだった。OBの力を結集してタイガースを再建したい、という吉田監督が行動を起こし私もそれに応えたという当たり前の事である。はっきり言って阪神再建の鍵は投手陣が握っている。ここ数年の阪神投手陣は目先の勝利に拘ってつぎはぎの補強を行ない新陳代謝を怠った結果、野村や山内といったベテラン投手頼りが顕著となってしまった。峠を越した彼らに広島~巨人~中日と続く開幕戦シリーズを託すのは心もとない。伊藤や工藤や池田がシャンとしなければ長いペナントレースを乗り切るのは苦しい。

一体どうすればいいのか?評論家としては外野席の気分で心配事を羅列しているだけで済むが、一応は " 臨時コーチ " であるから私案を述べると二軍での厳選主義を提案したい。有望な若手投手を結果に一喜一憂する事なくローテーションに組み込み、むやみに一軍に昇格させず徹底的に鍛える。とにかく阪神は投手陣の体質改善と抜本的改革が必要でそれがチーム再建の最大急務である。毎年、この時期はどの球団も活気があり、マスコミも希望的記事を書きたてる。安芸キャンプはメニューそのものは安藤
監督時代と余り違いはなかった。同じ内野手出身監督らしく緻密にメニューを組み立てていた。確かに新たな息吹を感じ取れたが、それがペナントレースで結果として現れないと意味は無い。昔、ピンチで苦しい場面で吉田さんはマウンドに駆け寄り「ムラ、空を見ろ。空を」と声を掛けてくれた。今度は私が言う番である。ヨッさん、空を見なはれ。深呼吸して見なはれ…苦戦はするだろうが今シーズンの阪神は粘っこい戦いをする、と私は確信した。

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