Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#40 西武ライオンズ 誕生 ①

2009年06月20日 | 1978 年 
かねてより噂されていた西武がクラウンライターを買収しプロ野球界へ進出して来ました。10月12日に
開かれたオーナー会議でクラウン・中村オーナーより球団譲渡に関する緊急動議が出されて売却が
公になりました。実は地元九州では6日付の一般紙でクラウンの身売りが報じられてました。この時期
身売りに関する報道には慣れっこになっていたファンに驚きは少なく、平穏さを保っていました。それは
身売りになっても福岡を去ることは無いとタカを括っていたからでした。

本拠地移転となる事が分かって地元は大騒ぎになりましたが、時すでに遅しでした。中村オーナーと
堤氏は並んで会見に臨みましたが、終始 笑顔の中村オーナーと対照的に硬い表情の堤氏が買収
までの経緯を説明しました。


「私はこれまで繰り返し申し上げてまいりました通り、今すぐプロ野球球団を持つ気は無かった。過去何度も中村氏に頼まれても
お断りしてきましたが、今回はパ・リーグ会長直々の申し出で 次の3か条を満たして貰えるという事でしたので決断しました」
  ・円満に本拠地を所沢に移転させる
  ・両リーグ 全12球団が西武のプロ野球進出を理解・歓迎してくれること
  ・オーナー会議で全会一致で賛成してくれること

こちらから積極的に乗り込んで来たわけではない、頼まれて「プロ野球のために…」と買収に応じたのであって、九州のファンの
憤りは心外であると言いたかったのでしょう、球界の敵役にされるのはたまらないという心理が見てとれます。


だが誰一人として堤氏の発言を信じておらず、用意周到なプロ野球界への殴りこみだと考えてました。
堤氏は常々「いろいろ検討してもパ・リーグならメリットは無い」と公言していました。ライオンズには
全国区のスター選手もいない、なのに何故買収したのか?それは「江川の交渉権」以外有り得ない。
10億円も出して買収したのは江川を獲得できるから、そんな西武の思惑に横槍が入ります。 …つづく

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1 コメント

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未知の時代 (生ハム)
2009-06-21 09:16:58
激動の1978年ですね。いよいよ江川事件が起きるのですね、楽しみです。
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