❸ プレーオフなし。阪急が強すぎたパ・リーグの悩み
「今年は2シーズン制への挑戦の年だった。ある意味では日本一よりも前後期制覇の方が意義があったかもしれない」と上田監督は言う。元々阪急は昭和48年から続いている2シーズン制が大嫌いなのである。それでいて昭和50年はプレーオフで近鉄を破り、今季はプレーオフなしで共に日本シリーズに駒を進め日本一になった。それでも上田監督は2シーズン制を嫌うのは「安定した力で1年間を根をつめて試合が出来ない。急場しのぎの陣容整備や鍛錬の仕方では選手寿命を縮めてしまう(上田)」からなのだ。今季は前期優勝を決めたが後期のスタートで躓いた。「そりゃ仕方ないよ。私がいくらハッパをかけても緊張感が切れてしまった選手の動きは鈍い(上田)」
2シーズン制を否定するのは上田監督だけではない。「2シーズン制は短期勝負。ウチには不向き(ロッテ・金田監督)」「2シーズン制は気苦労ばかりで残ったのは空虚な疲労だけ(南海・野村監督)」など現場はこの制度に反対するが来季も続く。「連盟の事務局で机に向かっている人には分からないのだろうね…」と上田監督は嘆く。2シーズン制で1年間のヤマ場を多くして観客動員を増やそうというのがパ・リーグとしての最大の狙い。2シーズン制以前の1試合平均の観客数は6千人前後だったが、2シーズン制を実施した昭和48年以降は9千人前後に増えたのは事実である。
ただし前後期それぞれ違った球団が優勝してこそ2シーズン制の面白みが増すわけだが「これからしばらくは阪急の天下が続きそう」と金田監督が言うように現在の阪急のチーム力は頭一つ抜けている。近鉄は昭和50年に後期優勝したがプレーオフで阪急に敗れた。「阪急はプレーオフの短期決戦の戦い方も熟知している。日本シリーズに進むのは至難の業」と近鉄・西本監督。過去11年に渡り阪急を率いて阪急を強くした張本人が言うのだから信憑性は高い。
前期を制するカギはスタートダッシュである。開幕から勢い良く飛び出してしまえば他球団は後期に備えて無理はしない。それだけに各球団のエースたちは中3日、もしくは連投といった無理を強いられるケースもしばしば。阪急・山口、ロッテ・村田、南海・佐藤らは連日ベンチ入りし登板に備える日々が続く。こうした無理が選手寿命を縮めてしまう事を監督ら首脳陣は分かっている。分かってはいるがやらなければペナントレースに勝ち残れない。この現状をリーグ関係者はどうするのか。放置したまま選手が壊れれていくのを手をこまねいて見ているだけなのか・・
❹ 一番地味な男がやらかした派手すぎた天国と地獄
末次利夫。1シーズンでこれほど明と暗の両極端の主役を演じた男もそうはいない。先ずは天国・・6月18日の阪神戦、初めて対戦する江本投手に巨人打線は0対2に抑えられ9回裏を迎えた。このまま負ければ阪神に1.5ゲーム差に迫られ首位の座も危ぶまれた。先頭の淡口は左飛、柴田は四球で出塁したが高田が三ゴロに倒れて二死一塁。続く張本は左二塁打して二死二三塁となった所で吉田監督は江本に代えて山本和を投入した。山本は王を歩かせて二死満塁となった。打席には末次が入った。この日の末次は遊直・二ゴロ・三振と抑えられていたが「江本は初めての対戦で手こずった。投手が交代してもう好球必打しかないと何度も自分に言い聞かせた(末次)」と。
ボールカウント0-2からの3球目は満塁押し出しを嫌う山本が投じたハーフスピードの直球が来た。だが「外角寄りだったので長打になりにくい(末次)」と判断し見送った。この冷静さが快打を生んだ。カウント2-2からの5球目は末次の狙い通り内角に来た。一閃されたバットに弾かれた打球は左翼スタンド中段に飛び込んだ。逆転満塁サヨナラ本塁打。長嶋監督がナインの先頭を切ってベンチから飛び出しホームベースで待ち構える。場内は歓声と紙テープが乱れ飛んだ。「本当に興奮しました。どうやって四つのベースを回ったのか憶えてない。何が何だか分からない…」と普段はポーカーフェイスの末次も体を震わせ声も上ずっていた。
興奮のクライマックスは試合後の風呂場だった。王や張本らが「万歳、バンザイ!」と言いながら末次にお湯をかけ、裸の大人達が子供のようにハシャギ回った。だがその末次を地獄が待ち構えていた。9月7日、甲子園球場での阪神戦。巨人は8対6と2点リードで7回裏を迎えた。二死満塁の場面で打席には池辺選手が入った。池辺の打球は詰まり力なく右翼方向へのポップフライ。バックする二塁手・ジョンソン選手、センターの柴田選手と前進する末次の3人が落下地点に走り寄って来た。セオリー通り打球方向正面の末次が捕球態勢に入り打球はグローブに収まった…ように見えた次の瞬間、ポロリと白球がこぼれ落ちた。
満塁の走者が次々と生還し巨人は逆転負けした。" 世紀の落球 " と周囲は大騒ぎし、末次は奈落の底へと突き落とされた。宿舎に帰っても末次は部屋から一歩も外へ出ず朝を迎えた。翌朝になると宿舎や球団事務所に末次への激励の電話や電報が殺到した。『コンニチノキョジンガアルノハ、アナタノオカゲ。クヨクヨセズニガンバレ』というご婦人からの電報は沈んだ末次の気持ちを勇気づけた。「皆さんの優しい気持ちが一番嬉しかった。このお礼は必ずします(末次)」と気持ちを切り替えた。末次にとっては幸せポロポロと、涙々ポロポロの1年だった。
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