Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 651 十大ニュース ➊

2020年09月02日 | 1976 年 



今年も色んなことがありました。歓喜に叫んだり、腹を立てたり、眉をしかめたり、また苦笑いさせられたり・・時には考え込んだり。恒例の十大ニュースを編集部がちょっとひねってピックアップしてみました。

❶ 長嶋巨人、大逆転しながら日本一成らず
それは今年に限らずプロ野球の歴史の中でも奇跡的で壮絶な戦いだった。阪急が日本一に王手をかけた日本シリーズの第6戦。巨人が日本シリーズ史上初の7点差をひっくり返した逆転劇の幕は、すでに照明塔の影が伸び始めていた5回裏から上がった。得点は0対7と阪急に大量得点を許し敗色濃厚で阪急の2年連続日本一は時間の問題と誰もが思った。5回裏、先頭の淡口が四球、続く柴田が二塁打で無死二・三塁。しかしマウンドの山口は大量点をバックに慌てない。張本の内野ゴロと王の中前ポテンヒットで2点を失い5点差になったが「どうと言うことなかった」と上田監督の言葉通り試合は淡々と進むと思われた。

続く6回裏、高田が粘って四球で出塁すると山口に悪い癖が出始めた。続く吉田も四球。ここで淡口が3ラン本塁打を放ち2点差に詰め寄ると山口に代わってエースの山田がマウンドに送られたが球場内の雰囲気が徐々に変わり始めた。8回裏、淡口が安打で出塁すると、今シリーズ第4戦で4連敗を阻止する2ラン本塁打を放った柴田が再び起死回生の2ラン本塁打を放ち同点となると球場内は興奮のるつぼに。試合は同点のまま延長戦へ突入し10回裏、今シリーズ不振にあえいでいた張本が一塁線を破る二塁打を放つと王は敬遠。ここで打席は投手の小林だったが二塁内野安打で満塁とし、一打サヨナラの場面を迎えた。

打席には第5戦でようやくヒットが出た不振の高田。カウント1-1後の3球目を打つと打球はライト前に糸を引くようなクリーンヒットでサヨナラ勝ちした。これで3連敗から3連勝で対戦成績をタイに持ち込んだ。「これで勢いは完全に巨人。明日も勝って日本一だ!」と多くのファンは信じて疑わなかった。ところが第7戦はベテランの足立投手の巧みな投球を打ち崩せず、逆転日本一は成らなかった。今年の巨人はいつもこうだった。シーズン序盤は打線が奮起し連戦連勝。夏休み中にマジックが点灯するのか、とファンを喜ばせたが後半戦は一転して投手陣が踏ん張れず連敗を喫っしてファンをハラハラさせた。

リーグ優勝もすんなり決めるものと思っていたらモタモタしている間に阪神が息を吹き返して肉薄し、リーグ最終戦の広島戦でやっと決めるなど長嶋流ハラハラドキドキ野球の1年だった。その集大成とも言えるのが日本シリーズだったのだ。勢いに乗って勝つと思わせて負ける。まさに天国と地獄。「あの大逆転の第6戦をスタンドで見ていたんです。でも0対7になって阪急の胴上げは見たくないから試合途中で帰っちゃいました。ところが家に帰ってテレビを見たらサヨナラ勝ちでしょ、嬉しいやら悔しいやら。期待して第7戦をテレビ観戦したら今度は手も足も出ずに完敗。まったくねぇ…」とファンは残念がる。



❷ 王のホームラン700号 ~ 714号騒動の周辺
「見送ればボールになるシュートでした。あまりにアッサリ出たので…」10月11日の対阪神23回戦で山本和からベーブルースの記録を破る715号本塁打を放った王は冷静だった。しかしこの日までの周囲の大騒ぎといったら・・記念すべき一発が右翼ポールに直撃したのを確認した王は両手を広げ30㌢ほど飛び上がった。それが精一杯の喜びの表現だった。国松一塁コーチを経て王の元へ戻ったホームランボールは " 715号・王貞治、S51年10月11日 " と書かれ野球博物館へ寄贈された。しかし寧ろこの記念すべき715号より、その前の700号騒動の方が遥かに凄まじかった。

700号を巡る狂騒曲は7月3日、ナゴヤ球場での中日戦で鈴木孝から逆転の32号、すなわち699号アーチをかけた時から始まった。それは王がかつてないプレッシャーとの戦いでもあった。 " あと1本 " にマスコミをはじめ日本中が騒ぎ出した。試合のたびに右翼観覧席にジッと座り続ける記者やバックスクリーン後方にはバズーカ砲のような超望遠レンズを付けたカメラがズラリと並んだ。だが翌4日の試合は敬遠作戦にあって5打席4四球。名古屋から札幌へ舞台が移った対広島3連戦でも王のバットから快音は聞かれなかった。「700号は通過点。いつかは出ますよ」と言う王もやはり人の子。日ごとに口数は減り報道陣の前にあまり姿を見せなくなった。

打てない焦りから打撃フォームを崩した。悩み考え苦しみ、自律神経をやられ背中と腹の筋肉が硬直した王が突然嘔吐したのもこの北海道遠征だった。北海道から帰京し迎えた対阪神3連戦は全て雨で中止となり、700号狂騒曲は鹿児島と熊本に舞台を移した。しかしこの九州遠征でも一発は出ず、オールスター戦を挟んで後半戦に持ち越された。王が悩んだのは自分のバットが湿るのと同時にチームの調子が下り坂となり、オールスター戦を前に阪神に首位の座を奪われてしまった事だ。「いくらホームランを打とうがチームが勝たなくてはしょうがない。記録よりも勝って優勝したい(王)」と苦悩の日々は続いた。

オールスター戦が終わり一息ついた王は多摩川で約1時間・180球の特打ちをして気分転換をした。それが功を奏したのか翌日の川崎球場での大洋戦の5打席目に待望の700号を鵜沢投手から放った。数々の記録を打ち立てた王が苦しんで3週間もかかってようやく樹立した大記録だった。午前3時過ぎ、テレビ局の取材から解放された王は自宅に帰って来ると「長い間ありがとう。今後も忙しくなるけど宜しく頼む」と恭子夫人と2人だけで祝杯をあげた。700号の大騒ぎは一段落ついたが、次はベーブルースの714号更新が待っていた。記録更新への道は途中に腰痛という予想外のアクシデントに襲われてペースが乱された。

713号、タイ記録の714号が出た10月10日の後楽園球場の一塁側ベンチ後方のボックスシートにいる筈の母親・富美さんの姿はなかった。実は朝一番の新幹線で京都の伏見稲荷へ願掛けに行っていたのだ。数ある神様の中で " 戦いの神 " といわれる熊鷹神社に息子の大記録成就を祈ってきた。富美さんがトンボ返りで東京に戻り自宅のテレビのスイッチを入れると間もなく714号が飛び出した。更に翌日、ジッと両手を胸の前で合わせて祈りながら見つめる両親の前で、あの715号が右翼ポールを直撃したのだ。今回の大騒動は恐らく来季に訪れるであろうハンクアーロンの持つ755号の記録を破る狂騒曲のプレリュードに過ぎない。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« # 650 サッシーのお値段 | トップ | # 652 十大ニュース ➋ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1976 年 」カテゴリの最新記事