Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#19 脱・管理野球

2009年04月20日 | 1978 年 
吉田前監督の下、4位に終わった阪神タイガースは後藤次男氏を新監督に据え新たな年を
迎えました。チーム内に細かな規則を作り徹底した管理野球を行なった吉田前監督でしたが
結果はBクラスの4位に終わるも続投に意欲を見せフロントも一時は容認しますが選手からの
反発が強く結局 辞任に追い込まれました。フロントが続投させようとしたのには阪神特有の
お家事情がありました。当時は 吉田vs村山の派閥対立がチーム内に留まらずフロントにも
存在していました。吉田が辞めて村山派が台頭するのを嫌った現フロントは、吉田の続投を
画策するも失敗し次善の策として、どちらの派にも属してない後藤次男氏を監督に迎えました。

現場の権力抗争に興味の無かった後藤は解説者として自由気ままに引退後の生活を送って
いました。そんな自由人 後藤は脱・管理野球を掲げます。以前 "放任野球"で有名だったのが
東映監督時代の大下弘です。大下は"三無主義"を掲げます、「門限・罰金・サイン」を全て無くし
選手の好きにやらせますが結果は大失敗。後藤はそれ以来の放任野球をすると宣言しました。
キャンプも前年までとは雲泥の差の軽い練習で選手には好評でしたが・・

午後の練習は早々に切り上げ、代わりに自主練習を設定、夕食後のミーティングも廃止。夜の
外出・飲酒は自由、門限もあって無いようなもの・・・最初の頃は午後の自主練習をする選手も
いましたが当然のように徐々にいなくなり、中心選手の田淵は課題の守備練習もソコソコに
打撃練習で気分良く柵越えを連発すると練習を切り上げて、夕食も摂らずに夜の街へと消えて…

周囲は ぬるま湯環境が成長株の掛布選手に悪影響があるのではと危惧しますが後藤監督は
「掛布は大丈夫、ヤツは放っておいても自分でやるタイプだから」と放任しますが、掛布もやがて
飲酒運転を起こすなどトラブルメーカーとなっていき、実績だけをみれば監督やコーチの要請が
あってもおかしくない人物なのに引退後 未だに現場を経験していません。 ちなみにこの年の
阪神の成績は41勝80敗で球団初の最下位となり、後藤監督は1年で退くことになりました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #18 練習生 | トップ | #20 選手名鑑 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1978 年 」カテゴリの最新記事