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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 356 今だから話せる ⑥

2015年01月07日 | 1983 年 



今でも語り草となっている山内選手との「世紀のトレード」で小山投手が入団した大毎は昭和39年から43年までハワイ・マウイ島で、同44年からはアリゾナ州・カサグランデで春季キャンプを張った。これは大毎・永田オーナーと親交のあったSF・ジャイアンツのストンハム会長の全面協力によって実現した海外キャンプだった。また大リーグチームの訪日は日本プロ野球機構を通じてシーズンが終了した秋口なのが普通だったが永田オーナーの個人的な要請で昭和45年の3月末にSF・ジャイアンツは訪日して全国各地で9試合も親善試合を行なった。大リーグチームがシーズン開幕前の大事な時期に日本にやって来るのは異例中の異例だった。それ程までに永田オーナーとストンハム会長の結びつきは強かったのだ。ちなみに親善試合の結果はSF・ジャイアンツの6勝3敗だった。

そのストンハム会長が小山投手を欲しがった。当時の小山投手は36歳で投手としては既に全盛期を過ぎていたが抜群の制球力を誇り、SF・ジャイアンツが喫した3敗のうち1敗は小山投手によるものだった。ストンハム会長は「コヤマは絶対に大リーグで通用する」とベタ惚れで本気だった。チームに同行していた会長付き特別補佐役だったキャピー原田氏から小山譲渡を打診されたのは名古屋のホテルだった。「向こう2年間、小山投手をSF・ジャイアンツに貸して欲しい。サンフランシスコは日系人も多くマッシー村上(村上雅則)の例もあり人気が出るのは間違いない。どうか本人に気持ちを聞いて欲しい。代わりにSF・ジャイアンツの若い有望選手を提供しよう、希望する選手を選んでくれ。何なら2人選んでもらって構わない」という程の本気度だった。

当時の私は大リーグの情勢に明るくなく「選手を選べと言われても…」と戸惑っていると「ウチの3A(フェニックス)にフォスターという選手がいるが彼は将来有望で大リーグでも本塁打王になれる力を持っている。それからキングマンという選手も有望だ」とまくし立てた。フォスターとキングマンの説明は今改めてする必要はないであろう。今一つピンと来なかった私は永田オーナーに報告する前に取り敢えず小山投手本人に話をしてみた。「オッチャン(私は小山を当時そう呼んでいた)、大リーグで投げる気はあるか?」と朝食の席で尋ねると本人はキョトンとした表情で「何を夢みたいな事を言うんだ」と最初は取り合わなかったが事の経緯を説明すると身を乗り出して「ゆっくり考えさせて欲しい」と満更でもない様子。早速に永田オーナーに報告すると「小山本人が行きたいと言うなら行かせてやれ」とGOサインが出た。

永田オーナーの了承を得た私は交換選手の人選に着手した。キャピー原田氏はフォスターとキングマンとの1対2の交換トレードでも構わないと言ったが私は性格が真面目で肩も足もあり三拍子揃ったフォスター1人を指名し細かな契約内容も詰めた。小山投手は1年間SF・ジャイアンツで投げてみて本人が希望すれば翌年も残留、フォスターは小山投手の動向に関係なく3年間大毎でプレーする事に決まった。その後、永田オーナーとストンハム会長のトップ会談で合意し正式な発表を待つだけとなった、筈だった。チームを預かるキング監督が「フォスターは今季中に大リーグに昇格させる予定なので駄目だ」と強硬に反対したのだ。改めて人選をやり直して欲しいとキャピー原田氏に懇願されたが元々が先方から申し出た話であり大毎側が折れるのは筋違いと言う事となり、この話は御破算となった。

この年のSF・ジャイアンツは開幕から低迷し5月中旬にキング監督は解任されてしまった。投手陣の崩壊が低迷の主原因だが、つい小山投手がいたら…と考えてしまう。また成績不振に加えて観客動員の減少も解任の理由とされた。仮に小山投手が入団していたら日系人が大挙して球場に詰めかけていたであろう。フォスターは後にトレードされたシンシナティ・レッズで四番打者となりレッズの優勝に大いに貢献し大リーグを代表する打者となった。今は永田オーナーとストンハム会長は共に野球界から身を引いてしまったが、この様な思い切ったトレードを率先して計画出来るトップがこの頃から存在していた事は興味深い。あの時、フォスターが大毎に来ていたら…と想像すると残念でならない。余談だがフォスターとキングマンの2人は時と場所を変えた現在、NY・メッツでチームメイトである。

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1 コメント

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こんなことが… (ジミー頁)
2015-01-09 11:53:00
いやあ驚きです。小山氏ならコントロール抜群だし活躍出来たかもしれませんね。村上さんの後にこういう話を聞いたことがなかったので、不思議だなとは思ってたんですが、やはり水面下ではあったんですねえ。まあ私の知らないだけでいくらでもあるのかもしれませんが。
いずれにせよ、野茂氏まであれほど日本人が向こうに行かなかったのは残念でした。今の田沢ルールとか閉鎖的なNPBの姿勢も大嫌いです。ゴルフでも松山のことがありますね。
まあ田沢ルールがなければ有望な若手は「巨人かメジャー」となってしまい、ますますつまらなくなるかも…
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