以下に記す文章はとうてい客観的な展覧会紹介にはなり得ないので、その点をお含み置きください。
ベストセラー作家渡辺淳一の代表作『阿寒に果つ』の主人公のモデルで、天才少女画家として騒がれたが19歳で世を去った加清純子についての展覧会が、札幌・中島公園の道立文学館で開かれ、連日多くの客が訪れている。
筆者が彼女の存在を知ったのはもう40年近くも昔、札幌南高新聞のバックナンバーに掲載された彼女のカットを見たのがきっかけだが、その後『阿寒に果つ』を読んだり、彼女の画集を見たりしても、なぜ彼女があれほど伝説的な存在とされていたのか、正直なところピンとこない部分があった。たいへん失礼な言い方だが、残された写真を見ても美人という印象はあまり受けないし、道展や自由美術に入選した絵もどちらかといえば平凡だし、それに今回の展覧会図録で初めて読んだのだが小説なども「高校生としてはうまい」という以上の感想を持てないのだ。
(話は少しそれるが、姉の加清蘭子=故人=は掛け値無しの美人で、今回の展示で初めて、純子と2人で並んで写った写真が展示されている。自由美術の代表的な画家として活躍した井上長三郎の家で撮影されたものらしい)
彼女の絵画の実物を何枚も見るのは今回が初めてだが、当時の札幌の高校生の間では話題になったのだろう。いろいろな情報が行き渡っている現代の高校生はもっと気の利いた絵を描くだろうし、いま「ほおずきと日記」が学生美術全道展や道展U21に名を隠して出品されても、上位入選は難しい。
だから今回の展覧会は、彼女がすぐれた画家・文筆家であったから文学館で紹介するということよりも、また、彼女がモデルである渡辺淳一や荒巻義雄の小説を顕彰するということよりも、彼女が駆けぬけた時代と青春とについて焦点を当てているーとみるのが適切だろうと考える。
彼女が生きたのは激動の時代だった。
「激動の時代」という言い回し自体が、手垢のついた表現だが、世の中の風潮も学校の制度も、日本の歴史上で最もめまぐるしく変化したのが、彼女の生きた年代だった。
軍国主義に覆われていた小学校(国民学校)の時代。その後、平和と民主主義の時代が来て、彼女の通う女学校も共学の新制高校になるが、終戦後わずか数年で朝鮮戦争が起き、レッドパージが吹き荒れ、再軍備が推し進められる…。
きのうまで鬼畜米英を叫んでいた大人が突然、
民主主義や共産主義を説き、あるいは米兵相手に春をひさぎ、さらにその数年後には共産主義者を追放する。そんな大人たちの姿を目の当たりにして、加清純子の世代の少年少女がニヒリズムに陥ったり、何も信じられなくなったりするのは、むしろ当然だろう。アプレゲールとかアンファンテリブルと呼ばれる若者が出現するような時代背景があったのだ。
展覧会場で、純子の生きた時代の詳しい年表が架けられた壁の反対側に、終戦直後に若くして命を絶った作家たち(原民喜、田中英光、久坂葉子、原口統三…)を取り上げているのも、あまりに振幅の大きな世相を生き急いだ同時代の作家との共通点が、加清純子の軌跡に見いだせるーそう、企画者が考えたからではないか。
ただし、『阿寒に果つ』を読むと、彼女の死因は自殺としか考えられなくなるのだが、実際に遺書が見つかったわけではない。
死の直前に阿寒で制作した油絵が今回展示されているが、むしろ希望を感じさせる穏やかな風景画で、とても死を覚悟していた心境がうかがえるようなものではないのだ。
ついでに言えば、『阿寒に果つ』はあくまで小説である。
書かれていることをすべて事実として受け取るわけにはいかない。
渡辺淳一は図書部長ではなかった、という証言もあるという。
もう少し露骨なことを書くと、筆者は生前の菊地又男さんに
「『阿寒に果つ』は読みましたか」
と聞きたい気持ちはあったけれど、さすがに聞けなかった。
あの小説での、菊地又男さんがモデルとされる画家の描かれ方は、ちょっとひどい。もし自分だったら怒ると思う。
展覧会の図録に、画集「わがいのち『阿寒に果つ』とも」に掲載されていた菊地さんのインタビューが再録されている。菊地さんとしては、流布されている虚構の話の軌道修正を図りたい気持ちがあったのだろうが、この話の内容をそのまま信じて良いのかどうか…。
しかし、なによりもすごいのは、彼女自身というより、彼女をめぐる登場人物の華麗さだ。
東京で長年活躍した芸術家ならともかく、まだ人口30万人の北海道の地方都市で、高校3年生で早世した人の周辺に、有名な人がこれほどたくさん出てくるということは、ちょっと信じられないほどだ。一種の奇跡と称して差しつかえないと思う。
展覧会場に出てくる名前については、次の項で述べよう。
2019年4月13日(土)~5月31日(金)午前9時半~午後5時(入場4時半まで)、月曜休み(ただし4月29日と5月6日は開館し、5月7・8日は休み)
道立文学館(中央区中島公園)
加清純子さんの回顧展 札幌 「阿寒に果つ」モデル (2019/04/13)北海道新聞
参考になるブログ
□山花咲野鳥語 https://artemisia.at.webry.info/
・地下鉄南北線「中島公園駅」3番出口から約410メートル、徒歩6分
・地下鉄南北線「幌平橋駅」から約480メートル、徒歩7分
・市電「中島公園通」から約550メートル、徒歩7分
・中央バス、ジェイ・アール北海道バス「中島公園入口」から約200メートル、徒歩3分
ベストセラー作家渡辺淳一の代表作『阿寒に果つ』の主人公のモデルで、天才少女画家として騒がれたが19歳で世を去った加清純子についての展覧会が、札幌・中島公園の道立文学館で開かれ、連日多くの客が訪れている。
筆者が彼女の存在を知ったのはもう40年近くも昔、札幌南高新聞のバックナンバーに掲載された彼女のカットを見たのがきっかけだが、その後『阿寒に果つ』を読んだり、彼女の画集を見たりしても、なぜ彼女があれほど伝説的な存在とされていたのか、正直なところピンとこない部分があった。たいへん失礼な言い方だが、残された写真を見ても美人という印象はあまり受けないし、道展や自由美術に入選した絵もどちらかといえば平凡だし、それに今回の展覧会図録で初めて読んだのだが小説なども「高校生としてはうまい」という以上の感想を持てないのだ。
(話は少しそれるが、姉の加清蘭子=故人=は掛け値無しの美人で、今回の展示で初めて、純子と2人で並んで写った写真が展示されている。自由美術の代表的な画家として活躍した井上長三郎の家で撮影されたものらしい)
彼女の絵画の実物を何枚も見るのは今回が初めてだが、当時の札幌の高校生の間では話題になったのだろう。いろいろな情報が行き渡っている現代の高校生はもっと気の利いた絵を描くだろうし、いま「ほおずきと日記」が学生美術全道展や道展U21に名を隠して出品されても、上位入選は難しい。
だから今回の展覧会は、彼女がすぐれた画家・文筆家であったから文学館で紹介するということよりも、また、彼女がモデルである渡辺淳一や荒巻義雄の小説を顕彰するということよりも、彼女が駆けぬけた時代と青春とについて焦点を当てているーとみるのが適切だろうと考える。
彼女が生きたのは激動の時代だった。
「激動の時代」という言い回し自体が、手垢のついた表現だが、世の中の風潮も学校の制度も、日本の歴史上で最もめまぐるしく変化したのが、彼女の生きた年代だった。
軍国主義に覆われていた小学校(国民学校)の時代。その後、平和と民主主義の時代が来て、彼女の通う女学校も共学の新制高校になるが、終戦後わずか数年で朝鮮戦争が起き、レッドパージが吹き荒れ、再軍備が推し進められる…。
きのうまで鬼畜米英を叫んでいた大人が突然、
民主主義や共産主義を説き、あるいは米兵相手に春をひさぎ、さらにその数年後には共産主義者を追放する。そんな大人たちの姿を目の当たりにして、加清純子の世代の少年少女がニヒリズムに陥ったり、何も信じられなくなったりするのは、むしろ当然だろう。アプレゲールとかアンファンテリブルと呼ばれる若者が出現するような時代背景があったのだ。
展覧会場で、純子の生きた時代の詳しい年表が架けられた壁の反対側に、終戦直後に若くして命を絶った作家たち(原民喜、田中英光、久坂葉子、原口統三…)を取り上げているのも、あまりに振幅の大きな世相を生き急いだ同時代の作家との共通点が、加清純子の軌跡に見いだせるーそう、企画者が考えたからではないか。
ただし、『阿寒に果つ』を読むと、彼女の死因は自殺としか考えられなくなるのだが、実際に遺書が見つかったわけではない。
死の直前に阿寒で制作した油絵が今回展示されているが、むしろ希望を感じさせる穏やかな風景画で、とても死を覚悟していた心境がうかがえるようなものではないのだ。
ついでに言えば、『阿寒に果つ』はあくまで小説である。
書かれていることをすべて事実として受け取るわけにはいかない。
渡辺淳一は図書部長ではなかった、という証言もあるという。
もう少し露骨なことを書くと、筆者は生前の菊地又男さんに
「『阿寒に果つ』は読みましたか」
と聞きたい気持ちはあったけれど、さすがに聞けなかった。
あの小説での、菊地又男さんがモデルとされる画家の描かれ方は、ちょっとひどい。もし自分だったら怒ると思う。
展覧会の図録に、画集「わがいのち『阿寒に果つ』とも」に掲載されていた菊地さんのインタビューが再録されている。菊地さんとしては、流布されている虚構の話の軌道修正を図りたい気持ちがあったのだろうが、この話の内容をそのまま信じて良いのかどうか…。
しかし、なによりもすごいのは、彼女自身というより、彼女をめぐる登場人物の華麗さだ。
東京で長年活躍した芸術家ならともかく、まだ人口30万人の北海道の地方都市で、高校3年生で早世した人の周辺に、有名な人がこれほどたくさん出てくるということは、ちょっと信じられないほどだ。一種の奇跡と称して差しつかえないと思う。
展覧会場に出てくる名前については、次の項で述べよう。
2019年4月13日(土)~5月31日(金)午前9時半~午後5時(入場4時半まで)、月曜休み(ただし4月29日と5月6日は開館し、5月7・8日は休み)
道立文学館(中央区中島公園)
加清純子さんの回顧展 札幌 「阿寒に果つ」モデル (2019/04/13)北海道新聞
参考になるブログ
□山花咲野鳥語 https://artemisia.at.webry.info/
・地下鉄南北線「中島公園駅」3番出口から約410メートル、徒歩6分
・地下鉄南北線「幌平橋駅」から約480メートル、徒歩7分
・市電「中島公園通」から約550メートル、徒歩7分
・中央バス、ジェイ・アール北海道バス「中島公園入口」から約200メートル、徒歩3分
(この項続く)
>美人という印象はあまり受けない
>絵もどちらかといえば平凡
>小説なども「高校生としてはうまい」という以上の感想を持てない
正直な所、これを読んでホッとしました。
私にもこの人の良さが全く分からなかったからです。
酷いことを言えば、男に流されていたから、彼らの思いこみで、こうなっただけなのではないかと。
(私は人の事をどうこう言うほど、道徳的な人間ではありませんが)
「時代なんですね~」というのも、何も言っていないのと同じですしね。
まあ、展覧会としては面白かったです。
私の感想はちょっと違っています。
当時リアルに会った人が声をそろえて「美人だった」「すごい人」というのですから、私の結論は
「写真は当てにならない」
です(笑)。
やっぱり、実際に対面してみないとわからない「何か」がある人だったんだと思うんですよ。
オーラっていうんですかね。
昔の感想は何割か増しだったりするので、私は完全には信じられないのですが、まあ、それも良しですか。