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わずか8日間の会期。
しかも公式サイトにはいまのところまったく言及がない(Instagram と Facebook Page には同時投稿あり)ので、ここに記録を残しておきます。
同館が着実にコレクションを充実させていることがわかる展覧会でした。
冒頭画像は三岸好太郎「北海道風景」。
三岸の初期作品でよく見られる、あのもっさりとしたビリジアンが全面に配されています。
(画像は、背景がやや白く飛びすぎてしまいました)
三岸はほかにペン画「蝶」が出品されていました。
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朝井閑右衛門「路上早春之図」
右上にサインがあり、そこに「大正甲子」とあるので、1924年(大正13年)作とみられます。
朝井閑右衛門 (あさい・かんえもん、1901~1983)の二科初入選は26年、文展の初入選は36年(昭和11年)なので、それに先立つ初期作なのでしょう。戦後の朝井は既成の団体公募展から距離を置き、通好みの洋画家として知られていたようです。
道路の両側に電柱と電信柱が並んでいる、都市郊外のゆるやかな坂道。どこかアンリ・ルソーにも通じるようなほのぼのとした感じが、特に点景で描かれた通行人に漂います。
いまの目で見ると、例えば、同じように坂道をモティーフにした岸田劉生の「切通之写生」などにくらべたら、なんどものどかな空気感が伝わってくるようなのですが、当時はどんな感じで受け止められたのでしょうか。
岡田三郎助「北国の冬」。
岡田(1869~1939)は明治から戦前にかけての洋画壇を代表する画家のひとり。
サインの下に「1918」とあるのが読み取れます。
1918年(大正7年)の第12回文展に「忍路」「北国の雪」を出品しているので、あるいは同じ時期に取材したものかもしれません。
もっとも、とてもよく雪の情景をとらえていると思いますが、2軒とも瓦屋根のように見えるので、北海道取材作かどうかは微妙です(大正期ならトタン屋根が普及していないかもしれないし、なんともいえません)。
増田誠「リュ・ムッシュ・パリ」。
釧路からパリに渡り、長く同地で活躍した洋画家。
もう1点、「ムフタールの朝市」という群像画が出品されており、そちらのほうが、とりわけ人物の表情などに増田の画風をよく伝えているのですが…。
パリの街角風景は、荻須高徳や佐伯祐三をはじめ多くの日本人洋画家が手がけていますが、これは典型的なものではないかと思います。
このほかの出品作は次のとおりでした。
児玉幸雄 「ムフタール通り」「ノルマンディーの港」「ノルマンディーの教会」
三岸節子 「静物」「16区の家」「海際の家」「花」「城の道」
小野末 「教会イタリー」「晩秋風景(下関)」「火山のある風景」「花」
田村孝之介「新緑の函館」
猪熊弦一郎「婦人像」
野口弥太郎「摩周湖」
香月泰男 「カタツムリ」「トマト」「避難民」
浅井忠 「金刀比羅宮(絵馬回廊)」「桃畑」
長原孝太郎「静物」
小磯良平 「女」
宮本三郎 「横臥裸婦」「フィリピンの街角」
和田三造 「富士山」
宮本の「フィリピンの街角」は、あの「山下、パーシバル両司令官会見図」の翌年、昭和18年(紀元2603年)に描かれています。
戦争画として知られる「山下」が凡庸なリアリズムにのっとって描かれているの対し、こちらはスナップ写真のような素早い筆遣いで雑踏をとらえています。
2025年1月30日(木)~2月9日(日)午前10時~午後5時(入館1時間前)、月・火・水曜休み
HOKUBU記念絵画館 (札幌市豊平区旭町1)
500円
しかも公式サイトにはいまのところまったく言及がない(Instagram と Facebook Page には同時投稿あり)ので、ここに記録を残しておきます。
同館が着実にコレクションを充実させていることがわかる展覧会でした。
冒頭画像は三岸好太郎「北海道風景」。
三岸の初期作品でよく見られる、あのもっさりとしたビリジアンが全面に配されています。
(画像は、背景がやや白く飛びすぎてしまいました)
三岸はほかにペン画「蝶」が出品されていました。
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朝井閑右衛門「路上早春之図」
右上にサインがあり、そこに「大正甲子」とあるので、1924年(大正13年)作とみられます。
朝井閑右衛門 (あさい・かんえもん、1901~1983)の二科初入選は26年、文展の初入選は36年(昭和11年)なので、それに先立つ初期作なのでしょう。戦後の朝井は既成の団体公募展から距離を置き、通好みの洋画家として知られていたようです。
道路の両側に電柱と電信柱が並んでいる、都市郊外のゆるやかな坂道。どこかアンリ・ルソーにも通じるようなほのぼのとした感じが、特に点景で描かれた通行人に漂います。
いまの目で見ると、例えば、同じように坂道をモティーフにした岸田劉生の「切通之写生」などにくらべたら、なんどものどかな空気感が伝わってくるようなのですが、当時はどんな感じで受け止められたのでしょうか。
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岡田(1869~1939)は明治から戦前にかけての洋画壇を代表する画家のひとり。
サインの下に「1918」とあるのが読み取れます。
1918年(大正7年)の第12回文展に「忍路」「北国の雪」を出品しているので、あるいは同じ時期に取材したものかもしれません。
もっとも、とてもよく雪の情景をとらえていると思いますが、2軒とも瓦屋根のように見えるので、北海道取材作かどうかは微妙です(大正期ならトタン屋根が普及していないかもしれないし、なんともいえません)。
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釧路からパリに渡り、長く同地で活躍した洋画家。
もう1点、「ムフタールの朝市」という群像画が出品されており、そちらのほうが、とりわけ人物の表情などに増田の画風をよく伝えているのですが…。
パリの街角風景は、荻須高徳や佐伯祐三をはじめ多くの日本人洋画家が手がけていますが、これは典型的なものではないかと思います。
このほかの出品作は次のとおりでした。
児玉幸雄 「ムフタール通り」「ノルマンディーの港」「ノルマンディーの教会」
三岸節子 「静物」「16区の家」「海際の家」「花」「城の道」
小野末 「教会イタリー」「晩秋風景(下関)」「火山のある風景」「花」
田村孝之介「新緑の函館」
猪熊弦一郎「婦人像」
野口弥太郎「摩周湖」
香月泰男 「カタツムリ」「トマト」「避難民」
浅井忠 「金刀比羅宮(絵馬回廊)」「桃畑」
長原孝太郎「静物」
小磯良平 「女」
宮本三郎 「横臥裸婦」「フィリピンの街角」
和田三造 「富士山」
宮本の「フィリピンの街角」は、あの「山下、パーシバル両司令官会見図」の翌年、昭和18年(紀元2603年)に描かれています。
戦争画として知られる「山下」が凡庸なリアリズムにのっとって描かれているの対し、こちらはスナップ写真のような素早い筆遣いで雑踏をとらえています。
2025年1月30日(木)~2月9日(日)午前10時~午後5時(入館1時間前)、月・火・水曜休み
HOKUBU記念絵画館 (札幌市豊平区旭町1)
500円