佐々木雅子(1970年-、札幌)「臍の緒」「天から降ってきた」「Head of Dinosaur」など12点。いずれも、人形や赤ちゃんの服、離乳食器といった育児にまつわるものを漆で固めたり、漆布で覆ったりした作品。
筆者は男性ですが、このきもちはなんとなくわかります。子育て中は、じぶんのしたいことが思うようにできません。佐々木さんの家庭はどうなのかはわかりませんが、もし共働きかつダンナが非協力的だったりするとイライラすることでしょう。そういう状況を逆手にとって、育児をアートにしちゃったんですね。
漆で固められた産着を見ていると、あらためて、赤ちゃんって小さいんだなあ、じぶんもかつてはこうだったんだなあとしみじみ思います。
八子直子(1967年-、札幌)「メタモルフォーゼ」「ドールズ」など。画面に穴をあけたり、木片を打ちつけて浮き立たせたりした、版立体的なパワフルな絵画です。
6点のうち「蟻プリン」が2003年で、あと5点はすべて昨年というのも、旺盛な活動を物語っています。
ただし、もう長いこと子どもをモティーフとしてきた八子さんが、「山のあなた」「ソナチネ」「Mt.Book」では、風景のようなものを描いています。アミューズランドで「子離れ」というのも、なんとなくおもしろかったりします。
高木正勝(1979年-、京都)「light park」は、四つの部分に投影される映像と音楽を、来館者がブランコに乗って鑑賞するという作品。
映像は、だいたい四つのパートに分かれており、とくに冒頭や末尾はきまっていないようですが
1 遊園地のスカイチェアー(たくさんブランコがついていて、ぐるぐる回る遊具)
2 満天の星空を思わせる光が浮遊する中で響く子らの歓声とシルエット
3 野山をかける女の子たち
4 公園のブランコなどで遊ぶ子ら
みたいな構成になっています。ただし、3はごく短く(5、6小節ほど)、4はいったん映像が消え沈黙が挟まった後で、みじかいコーダみたいな映像が続きます。どれも、登場人物などをシルエットだけにするなどの映像加工を施しており、見る人に、じぶんの子ども時代をふりかえらせるような懐かしさをたたえています。
ブランコに乗りながらブランコの映像を見ていると、じぶんも子どもに戻ったみたいな気もします。
でも、2の最後に顔が見える人物って、どうもオバサンに見えるんだよなあ。ふしぎ。
長くなってきたので、なるべく手短にいきます。
牧谷光恵(1973年-、千葉)
子どものころの写真をもとに、スチロール板に、装飾文様とともに自画像を切り出して重ね合わせた作品と、スナップ写真のようなドローイング。
上原三千代(1966年-、群馬)
仏像彫刻にもちいられる木心乾漆(もくしんかんしつ)という技法による立体。ナメクジやヤギなどがあるのがユニーク。「TOYOKO -2000,1,12 Age60」は、女性の上半身像だけど、リアルさがすごい。生きているみたいです。
丸山直文(1964年-、神奈川)
「Colar Shadow」など絵画。絵の具をにじませて描いた、ぼやーっとした感じの絵。
樋口佳絵(1975年-、宮城)
「ドアは開いたのか」など3点は、いずれも少年たちがモティーフ。おなじ顔の反復、遠近法に依らない画面構成、陰影の排除などが、現代っぽい。
以上3人は「作家蔵」が1点もないのがすごい。
美術館の皆さん、お疲れさまです。
このほか、会場入り口に「参加型プロジェクト マイ・スイート・メモリーズ」というのがあって、一般の人から集めた思い出の写真をスライドで映写していました。
17分間、全篇見ちゃいましたが、意外に、新しい写真と、子どもの写真が多かったです。50、60年代が各1枚ぐらいしかなかった。
で、全体を通して思ったこと。
こんなにスイートっていうか、多幸症的でいいんかい。
じぶんで問題提起しといてナンですが、いいと思います。
美術館の浅川真紀学芸員も、無料でもらえるワークブックの末尾に
「ほんとうのところ、ビターなメモリーの方が多いかもしれません」
って書いてるじゃないですか。
でも、美術館に来たときぐらい、苦い日常から離れてゆっくり過ごしたいですよね。
だから、ま、いいんじゃないかと。
もうひとつは、こんなに目が内向きでいいのかってこと。
家族や子どもが題材の作品が多く、時代背景や社会情勢を反映した作品は皆無です。
で、これも結論からいうと、かまわないんじゃないの、と。
すごくおおざっぱに言っちゃえば、近代の自立した個人が自然や社会に反撥(はんぱつ)したり賛同したりしながら表現する-というシェーマ(図式)のなかで、なにが見落とされてきたかというと、どうやってメシを食うかとか、子育てをどうするかっていう、生活の根っこの部分じゃないかと思うんですよ。男どもは、世界に広く目をむけるのはいいんだけど、その分、生活の根っこの部分を女に押し付けて、すごく大事なハズなのに「見えないもの」にしてすましてきたんじゃないですかね。
まあ、えらそうに言える立場にないわけですが(笑)。
でもね、たとえば高木さんの作品を見て、スカイチェアーになんらノスタルジーを感じない人っていると思うんですよ。筆者も乗ったことないし。まあ、子どもや孫が乗っているのを見たことならある人は多いでしょうし、高木さんの映像は自然のなかのもあるのでバランスはとれてるんですけど。
で、なにが言いたいかというと、子どものころを思い出させる一見普遍的な要素なんて、じつは限定的な時代や環境でしか通用しないものではないかと。団地もスカイチェアーもむかしの田舎にはなかったのです。「外部」の存在を知りつつ内向きの作品をつくるぶんにはべつにかまわないけど、「外部」「他の環境、時代、国」があることすら知らず内向きでいるのは、悪しきオタク的態度に堕するのではないかと。
うまくいえませんが、むしろ見る人の想像力が問われているのではないかと思います。
12月14日-1月29日
道立近代美術館(中央区北1西17)