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二部黎さんが矢臼別に自作を展示する美術館。31日にオープン

2017年07月25日 23時13分06秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞2017年7月24日夕刊、第2社会面のトップに、彫刻家の二部黎 に べ れいさんの記事が載っていました。
 筆者が北見に住んでいたときには、斜里町にいた二部さんですが、いまは矢臼別 や うすべつ演習場の一角に住んでいると知り、おどろきました。

 以下、引用。

 【別海】陸上自衛隊矢臼別演習場(根室管内別海町など)内の牧場で暮らす彫刻家の二部黎さん(74)が、住居の一部を使い、自作を紹介する美術館を31日にオープンする。二部さんは牧場での創作活動を通じて平和の大切さを訴えてきた。美術館を「平和の家」と呼び、「芸術は平和の象徴だと思う。美術館に来てもらって、戦争とは、平和とは何かを肌で感じ、考えてほしい」と呼び掛けている。

 二部さんは小樽出身。道教大釧路校を卒業後、釧路管内の中学校で美術教師を務めたが30歳で教職を退き、札幌出身の彫刻家、故本郷新氏に師事して彫刻の道に入った。2003年に作品素材の石が採れるオホーツク管内斜里町に移り住み、5年前に同演習場内の川瀬牧場で開かれた矢臼別平和盆おどりに参加。(中略)

 川瀬牧場は、反戦地主の川瀬氾二さん(09年に82歳で死去)が演習場整備のための国の用地買収を拒み、住み続けた場所で、敷地は約35ヘクタール。演習場に囲まれた牧場には砲弾の音が鳴り響き、馬やエゾシカが草をはむ横を戦車が走っていく。

 二部さんは牧場の牛舎を改造した住居に滞在し「石を削る音は平和の音。戦争の音には負けない」と訴えながら、元ベトナム帰還兵で2009年に亡くなった平和運動家アレン・ネルソンさんがモデルの石の頭像「釈阿蓮しゃくあれん」などの作品を彫ってきた。今年5月には「演習場の中で日常を送ることも平和運動の一つの形」と考えて生活の場を牧場に移し、住居2階の約80平方メートルを美術館にすることにした。

 展示するのは、人や鳥をモチーフにした木彫など約50点。重量のある石の作品3点は屋外に展示する。「戦争で失った命を思い、形にすることがここに住む意味。命の重さが明確に感じられる矢臼別の力を借りて作品にしている。社会のひずみを肌で感じてほしい」と二部さん。

 美術館は土、日曜開館(7月31日~8月7日は毎日開館)で入場無料。

(以下略)

 矢臼別演習場は、釧路管内厚岸、浜中、根室管内別海の各町にまたがる、自衛隊最大の演習地です。
 Wikipedia によると面積は160平方キロメートルを超えています。大阪府や香川県の1割に該当する広大さで、こんな演習場の敷地があるのも北海道らしいといえます。

 しかしいくら北海道といえども、周辺には牧場などがあります。砲弾の爆音で、牛の乳の出が悪くなったりすることもあります。広い敷地を砲弾が飛び越えないとも限りません。
 自衛隊だけならまだしも、米軍がやって来て訓練することも多く、日米共同の軍事訓練の舞台となってきました。
 このため地元では粘り強い反対運動が続いてきました。

 一方、二部さんは全道展会員で、1990年代には会場でも最大級の、満艦飾のような作品を出品していました。近年は、馬や少年などを題材にした純朴な風合いの彫刻を出しています。
 ふだん政治的な主張をこめた作品を出しているわけではないと思いますが、札幌の浄水場には、強制的に工事にかり出された朝鮮人を悼む野外彫刻があります(筆者未見)。

 筆者は北海道新聞のオホーツク版に、二部さんが空知管内長沼町から斜里に移ってきたのを知って、エッセーを寄稿してもらっていました。
 そんな縁もあり、北見在任中に一度は斜里郊外のアトリエにおじゃましなくては―と考えていましたのですが、ついにかなわず札幌に転勤になってしまいました。
(言い訳じみますが、北見から斜里は遠いのです)

 車があれば、矢臼別から、今年もアートプロジェクト「落石計画」が行われる根室市落石はそんなに遠くないですし、この夏は、訪れるチャンスかもしれません。



□矢臼別平和委員会 http://yausubetuheiwaiinkai.blog.fc2.com/

【告知】シレトコより 二部黎作品展-版画・ドローイング・彫刻- (2011年)
ふくろうのいる風景 二部黎彫刻展(2007年)
二部黎彫刻展(07年)

二部黎木彫展(02年、画像なし)
二部黎テラコッタ彫刻展(02年)

「芽生え」「歓び」「眠り」「やすらぎ」


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