まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨受けて 廃屋ぽつんと 眠りこけ

2013年06月19日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は梅雨前線が中国地方を南下するために午後から雨となり、夜は雷を伴い激しく降る所もある見込みとか。明日も、梅雨前線が四国付近に停滞するため雨が降り、明け方にかけて雷を伴い激しく降る所もあるらしい。気温は24度から27度、湿度は82%から57%、風は0mから2mの弱風。

 

 と言うことで、今日は「完全ニート」、「引き籠もり中年オヤジ」ということになった。

 

 だから、こんな感じでデスクワーク。例の「英国士官レキの墓研究」で、その成果を下関にいる「岡良伯」さんのご子孫に贈る資料造り・・・ということで。

 

 で、これは英国で発見した「マスターブック」にあった記事。この中段の三行、四行の記事が問題の内容。「Frank toobey Lake・・・・」が、1868年12月20日(日曜日)の午後2時半に亡くなった・・・と書いてある。

 

 これが、そのレキさんの乗っていた船の「シップス・ログ」、いわゆる「航海日誌」。これは航海に関する情報を記載するもの。それとは別に、乗員の情報などを記載したものが「マスターブック」。

 

 前日の、1868年12月19日に神戸港を出港したときに、日本人の役人三人は神戸で下船して乗って居なかったらしいし、誰も病人もけが人も乗っている筈がなかった。軍艦に病人を乗せて出港するなんて有り得なかった。

 

 それなのに、翌日の12月20日の午後2時半に、航海訓練士官の「レイク」さんは亡くなった。突然の死である。事故か事件が起ったに違いない。そんなことを考えていると食事時間に遅れてしまった・・・。

 

 で、近くにある、さぬき市大川町の「手打ちうどん・まるたけ」に寄った。

 

 今日は「おろしぶかけ小」に野菜サラダをチョイスした。240円+100円の340円だった。麺はあっさりとしてなめらかで食べやすかった。野菜サラダも当然ながら、パリパリ感がいっぱいで身体にいいかなぁと思った。

 

 午後からはようやくに雨が降り出してきた。ようやくのようやくだ。やっと、梅雨らしくなってきたが、聞けば、台風の影響じゃないのかとか、なんとか。またも台風かね・・・。

 

 これが我が家の「ロータスポンド」、こういうのが四つほどあるが、メダカの泳いでいるのはこれだけ。メダカというても、川にいるメダカではない。ヒメダカとか楊貴妃とか・・・大黒とか。

 

 この奇妙なもの。実はこれが川の水を利用した製粉工場なのだとか。日本で言うと、川筋にある水車小屋みたいなものらしい。この工場を持っていたのが、瀬戸内海で若くして亡くなった「フランク・ツーベイ・レイク」の実家らしい。

 

 ということで、レキ墓研究は、亀の歩みのようにのろいけれど、確実に、着実に進んでいることは大きな声で言っておきたい。まだ、はっきりとした報告はできないのだけれど。

 

  今日の掲示板はこれ。「やさしい目が 和やかな顔が 温かいことばが 一隅を照らす」というもの。ご存じ、荒了寛さんのお言葉。最近は、この「やさしい目」、「和やかな顔」、「温かいことば」が少なくなってきていると思う。みんなが険しい眼で、厳しい顔つきで、冷たい言葉が飛び交っているように思う。子供を連れたお母さんが、「早くしなさい」「危ないでしょ!」などとせわしなく話す言葉を聞くと、それだけで・・・悲しくなってしまう私である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


空梅雨に 山は霞んでばかりいる

2013年06月18日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がっている。午後から雨が降る所がある・・・というのだが、一向に雨は降らない。明日こそは降る、明日の午後からは降ると言いつつ、一向に降る気配がない。

 

 今日の気温は22度から31度、湿度は86%から68%。朝方は肌寒かったが、午後からは蒸し暑くなってきた。風はほとんど無風状態。だから余計に蒸し暑い。

 

 今月末提出用の原稿がまだ仕上がらない。まだ2週間はあるぞ・・・と思いつつ、それじゃダメじゃん春風亭昇太。思い切って、ねじり鉢巻きでがんばってみた。で、一応は形はまとまったが、構成上、おもしろくないお話かなぁ・・と思案中。ま、今週中に仕上げればいいか・・・と言いつつまた伸びる。

 

 それから、塩飽史談会の事務局から頼まれた「英国士官レキの墓」の原稿・・・。これもなんとか書き上げた。原稿用紙二枚・・・というのは中途半端なことしか書けないと思った。若い頃には朝日新聞にコラムを担当したこともある「コラムニスト」だったのだが、腕も知能もスーパーエイジング・・・。

 

 気分転換にドライブに出て、10時過ぎに朝昼兼用のおうどんを食べる事にした。さぬき市長尾町にある「笠堂や」というセルフのお店。

 

 ということで、またもこれにしたが、今日は「胡麻ダレ」ドレッシングを注文した。前回は青ジソドレッシングでさっぱりとしておいしかったもので。

 

 みかけは一緒なんだが、この野菜の下には「ゴマダレ」がいっぱい・・・。うどんのゴマダレドレッシング和え・・・みたいで、これは・・・参った。ご飯にゴマダレをかけたらどんなだろうかね。ま、味がしつこい・・・というか、味が濃いっていうか・・・。ま、かろうじて野菜をまぶして食べ切った・・・という感じ。ヘルシーぶっかけ小で350円、それにうずらたまごとソーセージの天ぷらがそれぞれ100円ずつの550円なり。

 

 アジサイも雨がないとなんとなく干涸らびているように見える。この湿ったような空気だけでもアジサイは少しは生き返ったんだろうか・・・。

 

 午後からは、「英国士官レキの墓」のパワーポイントのページ追加作業。下関にいる「岡良伯」さんのご子孫に、「ここまで研究が進んでいますよ~」という報告のための資料造り。レキ墓研究会は大詰めを迎えていて、英国でのお墓探し、子孫捜しをやっている。

 

 レキさん病没(1868)から150年が2018年。あと五年先である。その時には「レキ祭」を開催して・・・ご子孫もお招きしたいと考えているのだけれど。それまでにやることは山積み・・・。

 

 ということで、当面やらねばならないことは、一応、片付いたつもり。明日はレキさんの資料を印刷して製本して、送付の段取り・・・。今夜にでも少し、雨が降ってくれたらさっぱりとしそうなものだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「樹は光に向かって伸びていく その本能の美しきかな」というもの。とある日めくり法語集からの言葉である。樹木に限らず、植物はみな、光に向かって伸びて行く。それが自然のあるべき姿。

 

 先日に紹介したこのヤシの木。基礎台が砂の流出で傾いてきているのに、頭はまっすぐに伸びようとして曲がっている。その向こう側も同じ・・・・。とにかく太陽の方向に向かって伸びて、少しでも多くの光を浴びて光合成をしたい・・・と願っている。それが生物の本能のたくましさ、美しさ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


咲き出した 紫陽花がある 古い墓 

2013年05月25日 | たまには真剣な研究なども

 坂出地方は高気圧に覆われて晴れていたが、太平洋側では南からの湿った空気の影響で雲の広がっている所が出てきたそうだ。気温は16度から28度、湿度は62%から48%。風は1mから5mの北の風・・・。夕方からは風が強くなってきた・・・。

 

 今日は塩飽史談会の現地研修会、今回は沙弥島と瀬居島。ま、今は陸続きで島ではなくなったのだけれど。そういうことで、朝の6時半に我が家を出て・・・8時過ぎには沙弥町に着いた。

 

 沙弥町にある公民館的な「坂出市万葉会館」。ここを足場にして午前中の研修が行われる。この日の参加者は主催者を含めて22名。ま、中高年ばかり・・・。

 

 この足先みたいな島を一周するわけだ。「弁慶の泣き所部分」にある「ふれあい会館」から、塩田跡地を経て「えなが岩」経由で足先のかかと部分のナカンダ浜へ。

 

 そこから文学碑、人麻呂岩を経由して長崎鼻に行く。

 

その後は足の甲部分の山道を戻ってきて西の浜、理源大師堂を経て、元の会館に戻って昼食。

 

 これが讃岐の枕詞になる」「玉藻」という海草とのこと。「玉藻よし 讃岐の国は 国がらか 見れども飽かぬ神がらか・・・・」という万葉集の言葉で有名・・・。

 

 ここが「大タンポ」という古代の船着き場。ここへ船旅の途中で亡くなった人を引き上げて埋葬したらしい・・・。ということで、古代の遺跡というか古墳がたくさんあるという島。

 

 およそ、2時間ほどの島一周の散歩道。さすがに汗まみれになって会館に戻ってきた。空気は冷たいのに、日当たりでは暑い・・・という変な状況。

 

 今日は恒例のおうどんがない。事務局に「うどんでないと食べられないからうどんにしてくれ・・」と言いたかったが、お坊さんがそんなわがままを言うたら叱られる・・・(^_^;)。

 

 「墨田の花火」というのだろうか、額紫陽花が咲き出していた。いよいよ・・梅雨が近くなってきたんだろうか・・・。

 

 午後からは、陸続きになった「瀬居島」こと「瀬居町」に移動しての研修。この沙弥島と瀬居島のあたりには、「州」という浅瀬がいくらもあった。「ナンコの州」、「バンの州」、ヤマノカミノ州」・・・。ここを埋め立ててできたのが「番の州」という今の土地。これは八幡宮の見学。

 

 この左の方の石碑が「宮本伝太夫」という年寄のお墓。丸い「無縫塔」というのはお坊さんのお墓。

 

 あと、咸臨丸に乗っていた「島本(南)善四郎」のお墓や、古川庄八のお父さんのお墓なんぞを見学してお参りした。

 

 

 最後は瀬戸大橋記念館を見学して散会になった。今日、お風呂に入る前に体重を量ったら・・・「59.82Kg」になっていた。けれど、お風呂に入って夕食を食べて、ビールを飲んだら、どれだけに回復していたのは計測しなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は勝ち負けで はかれるものではありません」というもの。
確かに人生は勝ち負けをはかる社会かも知れないのだが、私たちは人生の深さ、人生の確かさで生かされているのである。戦いがあれば敗者もある。そんな敗者にも思いやりをもって接する豊かさとかあたたかさを知っているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひっそりと 観音堂は 夏木立

2013年05月24日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。明日も高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。気温は14度から27度。今日も夏日になった。湿度は70%から28%、乾燥気味。風は3mから1mの南の風。すっかりと夏になった感じ・・・。

 

 で、例の「法然上人讃岐の足跡シリーズ」も県内は残すところ三箇所。その三箇所を攻略することにして、まずは「まんのう町:旧琴南町」に向かった・・・。

 

 知る人ぞ知る「谷川米穀店」。今日はここのおうどんを食べに来たのではない。ここから、今日の旅がスタートする。この交差点から町道を延々と山の中に向かって東進する。

 

 こういう山道(一応はアスファルト舗装完備)を山の中へ進むこと20分ほど。町道が行き止まりになっては引き返し、宅地に入っては引き返し・・・。道を尋ねるにも人が居ない。家はあっても応答がない、人がいない・・・。

 

 ようやくに標識を見つけて、こんな山道を行くこと10分・・・。

 

 突如として姿を現した、この建物。「ガキマチの観音堂」という。法然上人自作の観音菩薩像と勢至菩薩像を戦火を逃れてここまで運んできて、餓鬼の徒輩に説法した場所だと伝えられている。

 

 道なき山中に、こんな立派なお堂があって、仏像があって、それでいて、きれいにお荘厳されている。掛かっている額を見ると、村の集会場的な役目も果たしているようだが、それにしては道がないのはどういうことか・・・。

 

 第一目標が終われば早々に下山・・・。あいにくと「谷川米穀店」は開店前。「それではダメじゃん・春風亭昇太」。相当に走って走って・・・ここになった。

 

 仲多度郡まんのう町造田にある「讃岐手打ちうどん・藤よし」という一般店。ここは前からお馴染みのお店で、ここのぶっかけうどんが気に入っていた。

 

 で、それを今日もお願いした。「ぶっかけうどん小の冷たいん・・」で400円。味も見栄えもまるきり同じようなおうどんだった。

 

 午後からは、まんのう町西高篠の「法然堂」を探したけれどわからずじまい・・・。そこをあきらめて善通寺市に向かった。善通寺市内を過ぎて・・・三豊市との境目あたり・・・、鳥坂峠手前の碑殿町というところ。

 

 四国霊場の「弥谷寺」から「出釈迦寺」に向かう遍路道、しかも昔の遍路道沿いにあるらしい遺跡。

 

 短い文章を解釈して、そのあたりを歩き回るというような調査。こういう道ばたの石碑が頼り・・・。こういう坂道を登ったり、降りたり・・・。ただ、歩き回るばかり。

 

 「最後の民家から50mほど登ったところの右側にある・・・」と言われても・・・。ある資料には「100mほど」と書いてあるが、そのあたりを見ても何もない。500m、1000mと、山道を歩いたり戻ったり・・・。ふと、こちらかなぁ・・と踏み込んだ草むらから見えた光景・・・。

 

 「確かにあった・・・・。」汗まみれで見上げた遺跡はでかいと思った・・・。しかしのかかし、誰が、何のために、こんなものを作ったんだろうか・・・。

 

 今夜の体重は「60.47Kg」。思わぬダイエットだな。明日は、坂出市の「沙弥島・瀬居島探訪」、さらに落ちると思うのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間必ず死ぬ 病気にもなる この身の事実から目をそむける事 それを迷いという」というもの。 生まれたものは必ず死ぬことになっている。しかし、死ぬために生まれてきたのではなく、死ぬために生きているのでもない。 未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのではない。その時の「今」こそかけがえのない「いのちの時」である。 過去に縛られることなく、未来を追うことなく、過去によって成り、未来を生む「今」を大切にしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


アヤメ咲く こんぴら参詣 竹の杖

2013年05月22日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。明日も高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は17度から29度。夏日になった。湿度は76%から45%、風は3mから1mの微風。

 

 今日も天気がいいので、例の「法然上人讃岐の足跡シリーズ」の終盤戦。今日は琴平町に行くことにした。

 

 JR琴平駅から高灯籠を横目に見て・・・・

 

 コトデンの琴平駅。ちっともそれらしくない駅。うっかりすると見逃してしまうような駅。

 

 今日のお昼はここになった。仲多度郡琴平町にある「うどん処ゆうび庵」というセルフのお店。というても、ここはなんでもあり・・・で、レストラン・カフェ・足湯・うどん打ち体験・・・それにお土産物屋さん・・・。

 

 で、昨日に続いて、今日も「生醤油うどん小の冷や」をお願いした。ここはねぎまでトッピングしてくれた。今日はこの紙パックのうどん醤油だが、「お返しください」と書いてあった。冷たくておいしいおうどんだった。今日はほどほどに醤油をかけた。

 

 こんぴらさんの参道裏手にある「海の科学館」に立ち寄り・・・。

 

 金丸座も横目でちらりと眺めて通って・・・。この脇にある町道を牛屋口に向かう。昔の土佐街道から入ってくる旧道である。

 

 その、町営広谷墓地の中にあるのがこの名号石。「法然上人直筆名号石」と言われているもの。これも案外とすぐに見つかった。

 

 再び参道に戻ってエッチラオッチラ・・・。長い石段を登ってきて大門(旧仁王門)で休憩し、この「五人百姓」をひやかして・・・さらに進む。

 

 旭社(旧金堂)を過ぎて本宮へ・・・。さすがに汗まみれになってしまった。最後の心臓破りの石段がきつい・・・。しかしのかかし、ここまで法然上人は登ってきたのやろうか。高齢でもあったのに・・・。その頃にはお寺「象頭山金光院松尾寺」というお寺だったはず。今みたいにカゴ屋さんもなかっただろうに・・・。

 

 今回の目的は「参拝」ではないので、そのまま素通りして旭社まで戻り、書院を過ぎて社務所脇から裏参道を降りる・・・。

 

 宝物館裏を過ぎて・・・「神苑グラウンド」目指して下る・・・下る。ようやくに見つけたグラウンドも草まみれ・・・。最近は運動会だの球技大会だのをやらないんだろうか・・・。そのグラウンド東の岡の上にこれがある。「円光聖天:えんこうしょうてん」さんという不思議なほこら。円光・・・というのは法然上人のこと、「円光大師」と呼ばれたことに由来する。「聖天」というのはインドの神さまで頭は象のへんな神さま。なんで、その神さんと法然さんがいっしょくたになってるんだろ・・・。中には「ヘビ」の置物が・・・。

 

 その後に立ち寄ったのが「呑象楼」という日柳燕石の住居跡。かの「高杉晋作」も遊びに来ていたという屋敷である。普段には施錠されていて入れない。

 

 これが、幕末の詩人でもあり、博徒でもあった「日柳燕石」という人。

 

 これが、呑象楼のあった興泉寺。元はこのお寺の住職の隠居部屋であったらしい。それを事情があって、売却してしまったとか。そこに、一時期、日柳燕石が居候していたものらしい・・・。いろいろあるのだが、ここは省略。

 

 最後に、先日、見落としていた「真福寺跡」という遺跡も見つけてきた。こんなんじゃ、なかなかに見つからないはずだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことより ちょっと他人のことを考える こんな人を心豊かな人という」というもの。雪山 隆弘著 『ブッド・バイ -み仏のおそばに-』より。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。  


若葉摘む 剪定ばさみは よく切れる

2013年05月20日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、朝方はどんよりと曇った天候だったが、やがてには高気圧に覆われて概ね晴れていた。20日から21日にかけては、高気圧に覆われて晴れるという予報になっている。気温は17度から25度、すっかりと、もう、夏という気温だ。湿度は94%から52%、風は1mから3mの弱風・・・。

 

 さて、こんな日には何をすべぇ~かな・・・と考えていたが、FaceBook友人の立石さんから調査依頼の来ていた遺跡の調査に出かけることにした。最初は「紫雲山の遺跡・・・」ということだったので、「そんな広い山で、落としたマッチ棒を拾うみたいなことできるかいなぁ・・」と、全く、乗り気がしなかったのだけれど、再三の依頼で、ようやくに重い腰を上げた・・・と言う訳だ。

 

 とりあえずは、高松市の北部、西宝町にある「西方寺」を目指して進んだ。近くに「花樹海」という大きなホテルがあるのですぐにわかった。その社員用駐車場に車を置いて・・・、このお寺に入ることにした。

 

 この奥さん、鼻をかんでいる訳ではない。泣いてはるのだ・・。この観音さんは「紫雲観世音菩薩」というて、国鉄の連絡船「紫雲丸」沈没事故で亡くなった方の慰霊塔を兼ねている。そこにお参りして、故人を偲んでいて、遂に涙が止まらなくなってしまったのだ・・・。

 

 この先の海で、修学旅行生らを載せた連絡船「紫雲丸」が霧のために衝突されて沈没し、168人の子供たちを含む犠牲者が出た。昭和30年(1855)5月11日のことであった。

 

 この西方寺から細い山道を登っていくこと30分。看板には15分とあるが、急な坂道でもあって、なかなかには登ってゆけない。

 

 写真を撮影しながら(本当は休み休みしながら・・)ゆったりと登って行く。

 

 すると、右手にこんなものが見えてくる。これが203高地、東鶏冠山にあった露西亜軍のトーチカ(要塞)である。この周りは5mほどの深さの堀で囲まれている。これが「模造・旅順要塞」である。

 

 この地は、明治37年五月、日露戦役に於いて、要塞203高地攻略に出兵した善通寺第十一師団の高松地区出身部隊が、祖国のため、民族のため、全滅させた東鶏冠山北保塁の陣地を英霊のために再現した聖地である。
             慰霊塔碑文より

  

 これが築造当時の写真。向こうに見えるのは屋島、手前が西浜港、その向こうが高松港。旅順港を眼下に見下ろす203高地を、ここに夢見たものだろう。この砲台部分が、今ではこうなっている。

 

 この右手、手前、左手が堀になっている。上の写真で、白い手ぬぐいをかぶっている作業員がいるが、そこが弾薬庫。

 

 この穴が見えているところ、レンガの構造物が少し見えるが、これがその「弾薬庫」。この上に、ロシアの大砲が据え付けられていたものらしい。

 

 帰りはわずかに5分でお寺まで戻ってきた。戻ってきたが、さすがに汗まみれになっていて、しばらくはタオルで汗をぬぐうばかりだった。

 

 で、今日のお昼はここになった。高松市国分寺町新居(にい)にある「こだわり麺や国分寺店」というセルフのお店。ここも、元はコンビニの店舗跡かな・・・。そういう雰囲気が残っている。

 

 で、ここだけ限定メニューという「牛肉おろしうどん」小を注文した。これで480円。「お餅にしますか?、レタスにしますか・」と突然に言われても・・・。このおうどんに「お餅」を入れるか、レタスを入れるか・・と聞いているらしい。どちらもいらんような気がしたが、レタスを入れてもらった。ま、変わったメニューの割に普通の味だった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と雨の日があって 一つの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって私の人生が深くなる」というもの。 調べてみたら、「悲しみの意味」という星野富弘さんの詩集からのお言葉らしい。「 冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になっていく」というものらしい。周りの物に育てられながら、私たちも自然の花もその一生が深くなっていくものらしい・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


麦秋の 路地に古寺を 見逃して

2013年05月17日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。明日も高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。気温は17度から23度、湿度は89%から50%。風は4mから1mと北北東の風。

 

 今日は天気がいいので、仲多度郡まんのう町に出かけてみた。例の・・・「法然上人讃岐の足跡シリーズ」の調査である。建永の法難(承元の法難)によって、都を追われ、讃岐に流された法然上人は、塩飽本島から、丸亀を経て、この小松の荘にやってきた。

 

 このあたり、まんのう町羽間・四條・高篠という一帯が「小松荘」であって、「ココが本当」、「こここそ元祖」みたいなことで、あちらこちらが、「こここそ、法然上人逗留地」と名乗りを上げている。

 

 そんな何カ所かを巡ってから、今日のお昼はここになった。

 

 仲多度郡まんのう町東高篠にある「手打ちうどん梅木」というセルフのお店だが、プチセルフの典型みたいなもので、客の注文を聞いてから麺を湯がいて・・・たっぷりと十数分から20分は待たされる。しかも料金は後払い・・・。

 

 で、出てきたのがこれ。肉うどんを注文したから肉うどんが出てくるのは当たり前なんだが、この量は半端じゃない。どうやっておうどんを食べればいいのかと考えてしまうし、どこから手を付ければいいのかも迷ってしまう。これで500円だった。

 

 ということで、まんのう町高篠羽間・高篠・四條・天皇・琴平町苗田・まんのう町買田などを回って、計8箇所の調査を終えた。わかるところはわかるのだが、わからんところは全くわからん・・・。

 

 そこで気分転換・・・ということで、ここにやってきた。まんのう町追上というところにある「道の駅もみの木パーク」内にある「二宮忠八飛行館」。200円の入場料が要った。

  

 展示内容は中学生用かな・・と思うような内容。忠八の年表とか活動記録などと、飛行機の歴史みたいな内容の展示。

 

 これが、二宮忠八が考えたカラス型飛行機。陸軍の演習の帰り、この近くで弁当を食べていたとき、落とした米粒をねらってカラスが滑空してきたのにヒントを得て、こういう機体を考えたのだとか。

 

 だから、この地は、「世界最初の飛行原理着想の地」なのだそうだ。ここにあるのが、「二宮飛行神社」。

 

 だから、この町のマンホールもこれ。

 

 ちゃんと、カラス型の飛行機がデザインされている。もう一つは特産の「タケノコ」。

 

 今日の掲示板はいつもの「荒了寛」先生のお言葉。「生きるとはなぁ いのちをわけあっていくことなんだよ だからいたわりあつていくんだよ」というもの。この、「いたわりあう」というこころがいくぶんか薄れてきているように思うのは私だけだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やぶ椿 明日の予定が まだ立たぬ

2013年04月23日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方では気圧の谷の影響で雲が広がっていた。夜遅くには雨の降る所があるらしい。あしたの24日は、日本海と四国の南を進む低気圧の影響で日中を中心に雨となる見込みとか。

 

 それじゃぁ、明るい間に・・・ということで、今日も「法然上人足跡探しの旅」に出た。今日の目的地は坂出市から丸亀市・・・。まずは・・・・五色台の白峯寺に向かった。

 

 白峯寺(しろみねじ)は四国霊場の81番札所だが、その近くには、この「白峯御陵」がある。昨年の大河ドラマで話題になった「崇徳天皇」のお墓がこれである。ここに法然上人も参拝に来られたのだとか・・・。

 

 ここを皮切りに、稚児嶽、大藪の法然堂、正法寺、宇多津町の西光寺さんにも立ち寄った。

 

 これが、丸亀藩主の御座船を譲り受けた「船屋形茶室」があることで有名だし、大束川に向かう土塀には矢間という銃眼が開かれている。

 

 こちらは丸亀市塩屋町にある「本願寺塩屋別院」。ここに、法然上人が乗ってきた舟をつないだという松があったとか。今はそんな松などはないらしい。

 

 ということで、坂出市で4箇所、宇多津で2箇所、丸亀で3三箇所の計9箇所を調べてきた。

 

 で、今日のお昼はここになった。坂出市高屋町にある「さぬき麺匠・はま弥」という一般店に寄った。

 

 で、「いまだけ」というメニューの「ちくわぶっかけうどん」小の温いん・・・を注文した。600円と少しお値段がするのだけれど・・・。

 

 ま、お値段分、しっかりとしたボリュームだし、麺がしっかりとしていて・・・あわや、麺が残りそうになったほど。ま、最後まで完食はしたけれど・・・。

 

 午後からは雲が広がってきて・・・カメラ写りが悪くなって。さて、どうしたものかと・・引き返したり、また、晴れ間が出たので戻ったりの繰り返し。なんとか、今日の予定箇所は回り終えたけれど・・・。

 

 明日は雨らしいのでひとまず休憩して、これまでの資料の整理と、これからのまんのう町とか琴平町の予備調査・・・。塩飽本島(ほんじま)にはこの週末にお邪魔する予定。専称寺・来迎寺・阿弥陀寺の3箇寺・・・・。

 

 おおっと、明日は県立病院の予約診察日。大型連休で病院もお休みになるので、その前に最終チェックをしておきたいとかで・・・。朝の間には終わってしまうのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の世話にならず 自分の力だけでやれた事が一つでもあるか」というもの。これは「荒了寛」という禅僧のことばで、カレンダーになっているもの。これも、そのまんまでいただくほうがいいというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


お念仏 出て来ずすくむ 牡丹寺

2013年04月22日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。明日も高気圧に覆われて晴れるが、昼前からは気圧の谷の接近で雲が広がる見込みらしい。今日の気温は4度から16度。風は1mから5mの北北東の風が少し。

 

 ということで、天気のいい間に調べておこうと思い立って出かけた。今年の研究テーマは「讃岐における法然上人の足跡と行動」というもの。その上人に関係する場所が香川県に四十箇所あるらしい。

 

 ということで、今日は綾歌郡綾川町に向かった。その手前の高松市香南町にも一箇所あって、「熊谷蓮生房住居跡庵」を調査したあと、ここに寄った。

 

 高松市香南町西庄にある「矢坪うどん」という一般店。ちょうど、このお店のすぐ近くに、その庵があったもので・・・。

 

 で、肉うどんばかりでは能がないので、今日はわかめうどんの小にした。それでも380円だった。

 

 綾川町(旧綾南町)には実に六箇所の遺跡があった。これもその一つ。「牛岩・馬岩の仮寝小屋」というもの。今は柿の木畑の中になっているが、この岩の間に仮小屋を作って休まれた・・・というところ。ここもあっちに行ったり戻ったりしながらして探した場所。

 

 事実かどうかはわからんが、とりあえず、法然上人ゆかりの地というので調べてきた。

 

 これねぇ・・・。帽子を被ったお地蔵さん。あとから帽子を載せたように見えた。最初から刻んであるものとは違うなぁと思った。これは綾川町のイオンモール綾川の少し北にある「法然堂」の境内にあるもの。この池のほとりで法然上人が布教をされたという話は早くから聞いていた。

 

 これは滝宮の滝宮神社の境内にある「法然上人念仏石」と伝えられているもの。今日で、八箇所の遺跡を調べてきた。明日からまた天気が悪くなるというもので。

 

  今ごろは、あちらこちらで「ハナミズキ」がみられるようになった。この花にも赤と白があるようだ。明日は五色台周辺の坂出市に行けたらいいなぁと思っているのだけれど。

 

 その帰りに少し遠回りはなったが、高松市飯田町に鎮座する岩田神社境内に見られる藤を見てきた。天文19年(1550)の大火から免れたといわれるところから,樹齢五百年以上の老樹と考えられる。根元の太さは3メートル余りで,約170平方メートルの棚につける花は,一つの房が1メートル余りに垂れる見事なもの。4月末から5月初旬に咲く。

 

 でも、今年は寒かったのか、これからなのか、まだ花は小さくて房も短かった。5月に入ってからだろうか・・・。

  

 今日の掲示板はこれ。「善いことをしなさい 悪いことはやめなさい その通りに生きられない私がいます」というもの。簡単に「善いこと」とか「悪いこと」というけれど、その善悪にもピンからキリまであって、宿題を忘れたとか歯磨きを忘れたとかと云う問題から、核実験をやるとかミサイルを発射するとか・・・。お念仏をしないとか仏像を壊すとかお寺を焼くとか・・・とにかく・・悪にも幅が広くって。善いこともまたその通りで・・・。殺生はあかんのだけれど、生き物を食べて生かされている私たちが居るわけで・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


カミソリが 妙に重たい 春の雨

2013年04月20日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷が接近し、夜には四国の南海上に低気圧が発生するため雲が広がり、夕方から雨が降ってきた。21日は、低気圧の影響で未明は雨が降るが、その後は高気圧に覆われてくるため、次第に晴れてくる見込みらしい。

 

 これは昨夜の田舎のメインディッシュ。それと・・・。

 

 こちらはわらび・・・。わらびはもうおしまいかなぁ・・・。

 

 今日の気温は5度から10度と三月並の気温だとか。湿度は79%から48%と乾燥気味。風は4mから1mの南南西の風。夕方には風はやんだ。

 

 今日はここに行ってみた。さぬき市大川町田面(たづら)というと、町内になる。「手打ちうどん・若潮」というセルフのお店。ここは昨年には、「学家:まなぶや」というセルフのお店だった場所。そのお店をそのまま使って、18日にリニューアル・オープン。

 

 店内はあっさりと、さっぱりとしている。メニューもさっぱりとしている。

 

 数少ないメニューの中から肉うどん小を注文した。ネギもこれだけしか入れてくれない。天かすとおろし生姜はフリートッピング。これで380円だった。

 

 このあたりでも田植えが始まった。この土日にはあちこちで田植えが行われるんだろう・・・。連休前に田植えをすませておいて、連休はどこかに遊びに行く予定かも知れない。

 

 この方が、英国全権公使だった「アーネスト・サトウ」という方。この方が、1895年(明治28年)7月28日、サトウは駐日特命全権公使として日本に戻った。東京には5年間勤務した。その時期(明治32年)において、レキの墓について英国公使として感謝状を青木周蔵外相に送付した。

 

 これが、その感謝状で、末尾に「Ernest  Satow」のサインが見える。日本によく見られる「サトウ」だが、日本人ではない。ないが、日本人が好きで「佐藤 愛之助」という日本名を名乗っていた。

 

 で、こちらが、それを受け取ったとされる「青木周蔵」外務大臣、(1844~1914)は、明治、大正期の外交官であり、政治家であった。勲等は勲一等。爵位は子爵。1898年(明治31年)、第二次山縣内閣では再び外務大臣に就任、1900年(明治33年)の義和団の乱に対処、列強の動きを敏感に察知し積極的な介入を試みた。こののち枢密院顧問を経て叙勲され子爵となった。

 

 夕方からは雨になった。迷犬ごんは、それでも散歩に行くというてきかない。傘を差しての散歩になった。

 

 久々の雨。これで、雨後の竹の子がどんどんと生えてくれたらいいのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「根を養えば 樹はおのずから育つ」という東井義雄先生の言葉。先日のこと、けいこばぁがなんとかというハーブの植木を買ってきた。買って来たが、毎日毎日、樹勢が衰えていく。見れば、植木鉢から根っこがはみ出して乾燥しきっている。そこで、二人がかりで、その植木鉢を解体して、新しい植木鉢に移植して、ようやくに、その植木は元気を取り戻した。

 

 それと同じ事で、私たちのこころを養えば、私たちの身体はまた、おのずから育つというもの。私たちは、うどんだけを食べて生きているだけではないということでもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ただ無心 風に任せる こいのぼり

2013年04月18日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていて、気温は11度から23度と夏のような暑さ。少し動けば汗が流れた。湿度が90%から68%と高いのも蒸し暑ったのかも知れない。風は1mから2mと微風・・・。

 

 さて、昨日、とある方からメールを頂いて調べてみたところ、大事な外交文書が見つかった。しわく広島にある「英国士官レキの墓」に関する2通の文書。

 

 これが一通目の「讃州塩飽嶋へ英国海軍人死屍埋葬」という文書。ここに「長谷川三郎兵衛様」の文字が見える。京都御用に付き灯明台・・・云々とあるから、これで「レキ」さんが乗っていた船がわかる。死亡年月日も判明した。これによって、埋葬された「レキ」さんの身元が確定できる。

 

 二通目はこちら。英国公使(アーネスト・サトウ)から青木外相宛に感謝状が贈られてきている。この日付が確認できる。これで、一連の「英国士官レキの墓」のストーリーはまとまって、大きく覆されることになってくる。

 

 これが少し前の「レキの墓」。ここには、レキさんが亡くなったのは慶応二年と書いてあり、乗っていた船は「セルビア号」。艦長のジョンが贈ったとされる感謝状は明治29年。今はまだまだ公開はできないが・・・・レキ祭の目標は見えてきたように思う。

 

 今日はけいこばぁの運転手でお買い物に行ったついでにここに寄った。木田郡三木町池戸にある「手打ちうどん・みき」というセルフのお店。セルフのお店だが、客によっては、麺をテーブルまで運んでくれるし、食べた食器も回収もしてくれる。料金は自己申告の後払い・・・。

 

 この熱いのに・・・しっぽくうどん。ここは年がら年中やっているのだそうだ。料金は小の1玉で380円。さすがに熱かった・・・。

 

 午後からは旧宅に行って農業資材を探したり、旧宅周辺でタラの芽探しとタケノコ探し・・・。

 

 タラの芽は今夜のメインディッシュなるらしいが、タケノコの方はさっぱり・・・。イノシシの掘った穴ばかり・・・。

 

 これはサルが柔らかい部分をかじったもの・・・。今年は雨が少ないからか、さっぱりとタケノコが口に入らない。

 

 けいこばぁはお花の植え付けを、私はメダカのお世話を・・・。こう暑くなってきると水遊びが楽しくなってくる。

 

 そうそう、夕方の迷犬ごんの散歩の時、さも楽しそうにごんがはしゃいでいるので、なにかと見つめたら・・・とぐろを巻いたマムシ、このあたりでは「ハミ」というんだけれど「食む」から出た言葉らしい・・・。これはさすがに危ないと思って、そのあたりにあった棒きれで退治した。お墓参りの人が噛みつかれた大変だし。坊さんが殺生したらあかんのにね・・・。

 

 今日は風が弱いから・・・こいのぼりも勢いがない。

 

 今日の掲示板はこれ。「心の中に降る雨に 人の情けが傘をさす」というもの。私たちは誰もが一人で生きることはできない。誰だかの支え、願い、支援によって辛うじて私たちは生きているように思う。それらの支援が自分の目に見える場合もあれば、見えないところで支えていただいている場合もあって・・・。他人様の親切の暖かさに触れて、元気をいただき、落ち込んだときも起き上がることができるのである。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


飄々と 歩いてみたいぞ 人の道

2013年04月13日 | たまには真剣な研究なども

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。14日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、前線が日本海から南下してくるため、午後は次第に雲が広がり、夜は雨や雷雨となる所がある見込みらしい。気温は4度から17度。湿度は74%から46%。風は1mから3mの西北西の風が少し・・・。

 

 昨夜は自治会長さんと話し込んで、二次会をやり、三次会をやって寝たのが零時を回っていたので、今日はゆっくりと寝るはず・・・。それが・・、タブレット端末からの警報音で起こされ、次いで強烈は横揺れ・・・。震度は4だったか3だったか・・・。ま、久々の大きな地震に飛び起きた。

 

 我が家というか、島の家は鉄骨組み立て式の住宅だから壊れることはないと思ったが、海の近くだから津波が心配されたが、その津波は大丈夫だった。

 

 8時からの朝ドラを見てから、島の散歩に出かけた。これが、レキの墓を許可したとされる医光寺住職の「阿闍梨等観」のお墓。ここにナビゲーターを置いて、GPSを使っての「位置取り」。

 

 このお墓は、東経133度42分54秒、北緯34度21分55秒の位置にあるとする。こうしておけばこのお墓の地上的な位置が確定される。

 

 江の浦池を経て地福寺経由で立石集落まで歩いて・・・。この池もきれいに修復されていた。

 

 立石集落から戻ってきて、江の浦の共同墓地でもお墓探しをして、GPSで位置を検索して記録・・・。およそ・・・3時間の散歩になった。戻ってきたのは11時半。さすがにおなかがすいた・・・。讃岐弁では「腹が減った~」という。子供の頃には、「なんぼ減ったん?」などと突っ込みを入れたものだったが・・・。

 

 今日は珍しく・・・パスタになった。うどんばかりでは飽きるかなぁと思って・・・。

 

 午後からは・・・島の北側にある「茂浦:もうら」集落を歩いてみた。この集落もめっきりと人影が減って過疎の集落になった。つぶれだした住宅も幾つか・・・。

 

 15時からは自治会長さんと漁に出た。正面に見えるのが小学校・中学校の校舎。中学校は廃校。小中学校が休校中・・・。

 

 バケツ一杯分の魚が捕れたが、我が家はこれだけあれば十分。これの鱗や内臓を取って調理してから・・・・。

 

 それぞれにトレイに入れてラップをかけて急速冷凍・・・。明日にはけいこばぁのおみやげになる。上二匹がアイナメで、下三匹はコノシロかな・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当に自分を知るには やはり人という鏡がなくてはならない」というもの。昔からのことわざ、「人の振り見て我が振り直せ」ということか。自分だけでは傲慢になり、居丈高になり、井の中の蛙になってしまう。やはり、「人」という鏡がなくてはならないのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の夜の 愛別離苦は ものものしい

2013年04月05日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われ晴れている。6日は、低気圧が発達しながら日本海を進み、南から湿った空気が流れ込むため、昼前からは雨や雷雨となる見込みらしい。気温は6度から24度と初夏の陽気。湿度は70%から52%。風は1mから7mの南東の風だが、寒くはなくなっている。

 

 いよいよ明日が母・さっちゃんの七・七日、いわゆる四十九日にあたるので、その記念というか節目というかで、お参りの方に「さっちゃん」を偲んでいただこうということで、スライドの作成をやっている。

 

 これはいつもの講演会と同じように、「パワーポイント」でのプレゼンテーション形式。

 

 これが先日に購入した「スクリーン」横が2m30Cmもある大きなもの。ここにパソコンからプロジェクターを経由して、ここに投影する。いわば・・・「電子紙芝居」。

 

 プロジェクターは数年前から使っているもの。スクリーンは持ち運びが大変だからと、いつも会場側に用意をしていただいていたが、これはお寺でもこういうものを使いたいので、スクリーンも時前で購入したというわけ。

 

 で、こういう画像を写そうとしている。そのためには、古い写真を探し出してきて、その写真をスキャナーで電子化するために、どうしても画像が粗くなってしまうのは仕方ない。

 

 これが・・・パワーポイントで画像を貼り付けているところ。けいこばぁがお嫁に来た頃は、こんなにも雪が降ったもの。さっちゃんのお葬式にも雪は降ったけれど、こんなでもなかった。

 

 これが最後のほうのシーンになる。最後は、さっちゃんの植えたチューリップが咲いた所でおしまいになる。

 

 今夜、夕食が終わってから試写会の予定・・・。観客はけいこばぁ、一人きりだから、だめ出しがきついかも・・・。

 

 今日はそういうことで、我が家でのカレーうどん。ま、たまにはそれもいいか・・・。

 

 今日も、合間を縫って、わらび採り。今年はわらびが少ないように思う。昨年に生えていた・・・と思われる場所は、イノシシがなにかの根っこを掘って掘って・・・穴ぼこだらけ・・・。ワラビの根っこも食べられてしまったのかな・・・・。

 

 つくしは元気だが、はかまとりが面倒なもので、このあたりでは誰も採らないらしい・・・。

 

 桜の花も、明日の雨で散ってしまうのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は迷って鬼となり 悟って仏となる」というもの。「心は人を畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみなこの心の仕業である。だからよく心を正して道に外れないよう勤めるが良い」般泥洹経という教典にあるらしいが、詳しいことはわからない。ま、要するに、鬼になるのも仏になるのも、この私のこころ次第であるというているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


封筒の 中から春が こぼれだし

2013年02月27日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4度から13度と暖かい一日に成った。湿度は94%から54%へ・・・、風速は1m程度の微風・・・。

 

 葬儀から一週間が過ぎると、誰も訪問することもなくなってきたので、久々に、県立図書館に行ってみる事にした。

 

 特にこれというアテがあるわけではなくて、今年一年のテーマ探しというか、親鸞さんのお勉強も兼ねて・・・。何か、ヒントになるものがないかなぁと・・・いうことで。

 

 今年は、咸臨丸も、レキの墓も、庄松同行も・・・特段の行事があるわけでなく、何の記念歳になるわけでもなくて・・・。だとしたら、今年は・・・フリーな研究ができそうだぞ・・ということで。

 

 ま、借りてきたのは・・・適当に選んだものだけれど、この・・・右端にある「法然上人を歩く」というのが目にとまった。親鸞聖人は讃岐においでになったことはないが、法然さんは、讃岐にしばらく居られたお方。この足跡を歩いてみたいなぁと・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった・・・。綾歌郡綾川町西分・・・。旧綾上町の峠にある蕎麦屋さん。「八十八茶屋」というお店に寄ってみた。蕎麦屋さんだからおそばを食べればいいものを、ついつい・・「しっぽくうどん」と言ってしまって後悔する。

 

 これがそのしっぽくうどん・・・。これで650円。ここはセルフ形式の料金前払い制の容器自己返却方式。麺もダイナミックだし、調理もダイナミック。みんな、店主のおじさんがやっている。

 

 ここのお団子をおうどんにしたような麺はさすがに胃が重たくなったように感じたし、具材もしっかりとしていてて・・・。

 

 それで、近くの田んぼでふきのとうを探してみたが・・・まだまだ・・・蕾状態。それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太!。

 

 で、今日は水曜日ということで、あちらこちらのうどん屋さんとか温泉とか、資料館とかもお休み・・・。そこで、お休みでないここの温泉にやってきた。さぬき市寒川町にある「春日温泉」・・・。

 

 ここもよく通った温泉だけれど、最近はすっかりとご無沙汰・・・。ここも設備が古くなったからか、利用客が減少して、近年は委託業者に運営を任せているみたい。だから、料金が600円になっていた。

 

 それだし・・・休憩室がタバコでもうもう・・・。こういうのはよくないね。タバコは屋外ですって欲しいもの・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふみはずし 迷いとまどいきた道も ふりかえみれば佛になる道」というもの。私たちの五悪も五逆もみんなみな、私たちたちが生きていく上で必要な善玉の悪。私たちの迷いもとまどいも、それは私が生きて行く上で大切なことだった。そのことこそが、私が私なりに・・・佛になるための要素であったと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ふきのとう 名刺一枚 受け取って

2013年02月26日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で雲が広がり、太平洋側を中心に雨が降っている。気温は氷点下2度からプラスの8度。湿度は64%から94%。風速は2mから4mの南南西の風・・・。

 

 今日はけいこばぁがお出かけ・・。市役所への書類の提出。各種年金証書の返還とか埋葬料の手続きとか・・。5万円が市から振り込まれるから、火葬証明書とかが必要・・。

 

 これは我が家に芽吹いてきたふきのとう・・・。今年はまだこんなものだ・・。それも五個ほど。やっぱり、今年は寒いのかねぇ・・・。

 

 奥方が戻るまでは・・・お仏壇のお守りをしながら・・・先日の京都本山での研修会の復習・・・。いただいた資料をスキャナーで読み込んで電子化し、そこにグーグル検索で得た、さまざまな資料をコピペ(Copy & Paste)して、自分なりのノートを作成する作業・・・。

 

 11時過ぎに、浄化槽の点検に担当のおじさんが来たのを潮時に、玄関に鍵を掛けて、私もお出かけすることにした・・・。

 

 今日もここの温泉にやってきた。ここのお湯はぬるぬるとしていて、しかも、山奥の温泉だから入浴客も少ないのが私好み・・・。

 

 お昼前の、このお風呂には・・・数人しかいなくて、ゆったりとさせてもらった・・・。

 

 お昼はここ、東かがわ市落合にある「手打ちうどん・讃岐屋」さん。国道11号線沿いにあるのですぐにわかる。

 

 これが「やさいぶっか天」というもの。本当は・・・「野菜・ぶっかけ・天ぷらうどん」ということなんだが、なぜか「ぶっか天」というらしい・・・。

 

 これがお店の中・・・。たいした情報でもない・・・。

 

 さてだ、おとといあたりから・・・ノートPCに付随するHDD(ハード・ディスク)がおかしくなりつつある。そこで、バックアップ用にポータブル・HDDを安く買ってきた。ついでのSDカードやらUSBメモリーも幾つか・・・。それにUSBハブも・・・。

 

 これがそのHDD・・・。こんなに小さいのに、1テラバイト。つまり、1024ギガバイト、メガバイトの時代ではなくなっている・・・。ちなみに、横にあるSDカードも、4ギガバイト・8ギガバイトの要領になっている。時代の進化にはおどろくばかりだ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「淋しさを知っている人間だけが 笑って生きていくことの楽しさも知っている」というもの。誰の言葉なのかも不明だけれど、あちらこちらで見かける言葉だ。私的には、淋しさ」よりも「かなしさ」・・・のほうが、ぴったりとくるんじゃないのかなぁとは思ったりするのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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