まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

睡蓮の 花さわやかに 探墓道

2017年06月12日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で雲が広がってきた。気温は16.0度から24.9度、湿度は82%から52%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の13日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今年は雨が少ないせいかあじさいの花の元気がない。花が遅いし、咲いたと思ってもすぐにひなびてしおれてしまっている。梅雨に入ったとは言うものの雨がない。

 

 昨日の朝食の時に、前歯が折れた・・・。月曜日になるのを待って歯医者さんに走った。

 

 いつもお世話になっている歯医者さんである。予約なしで飛び込んだが、運良く空いていたようで、すぐに看てくれた。で、折れた部分を整形して、消毒して治療した。次回の来週に差し歯が入るらしい。

 

 で、持論の「塩を減らすなんてとうでもない」、「どんどんと塩を食べてください」という。お茶の水クリニック院長の森下敬一先生の教えを崇敬しとるらしい。県立病院のドクターにも管理栄養士さんも、「塩分を控えてください」「塩分を少なく・・」と言われているのに・・・。

 

 この先生は、薬も使わず手術もせずに、「玄米ゴマ塩食」でガンや慢性病に対応しとるのだとか。私は塩分を摂るべきなのか、控えるべきなのか・・・。

 

 今週末の土曜日には「歴史講演会」が、日曜日には「ご法務」が入っているのに、月曜日まで歯の欠けたまんま・・・。明日は「俵札研究会」、明後日は民児協の「定例会」・・。マスクは熱いしなぁ・・・。

 

 ということで、向山周慶氏と関良介氏のお墓に行って来た。この関良介の家紋は、サトウキビなのだろうか・・・。種子島の実家の家紋なんぞつけられる訳がない。国禁を犯した密輸人なのである。

 

 砂糖の神様、向山周慶先生の生家跡にも寄ってみた。今は某文具屋さんの敷地になっている。

 

 これが、向山周慶氏と関良介をおまつりする「向良(こうら)神社」である。向山の「向」と、良介の「良」を合わせた名前である。

 

 地元の人は「さとがみさん」と呼んでいる。「砂糖神さん」がなまったものらしい。

 

 お昼から、亀鶴公園の「花しょうぶ園」に寄ってみたが、「まつりの後」ほどむなしいものはない。テントも全て片付けられて静寂そのもの。まさに「後のまつり」だ。

 

 今年は雨が少なかったせいか、花の数も多くなかったし、元気のない花菖蒲が多かった気がする。

 

  今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」という、荒了寛さんの言葉から。この後に、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない」と言う言葉が続く・・・。 こうして一日を大切に生き、揺るぎない座標軸を持てるようになれば、きっと満足できる人生と実感できるようになるのだろうか。しかしのかかし、それを毎日続けるには、強い精神力が必要なのではないだろうか。そんな力は無い私。まずは、その第一歩と考え、きょう一日をしっかりと生きていくことから始めていきたいと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


睡蓮に 遠い昔を 聞いてみる

2017年06月09日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.1度から27.3度、湿度は92%から46%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の10日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷が接近するため、夕方から雲が広がる見込みらしい。

 

 そろそろ、大窪寺前の八十八庵(やそばあん)のあじさい園がきれいになっている時期かなぁと出かけてみたが、山間部はあじさいの開花はまだまだのようで、「立ち入り禁止」の柵がしてあった。「それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太」ということで、別の山道を走ってみた。

 

 昼寝城の登山口までは行ってきたが、さすがに一人で山に登る勇気はない。

 

 しばらく下がった所にあった、「多和神社」である。江戸時代までは、式内・多和神社とされていたが、明治になって、激しい論争の末、内務省より、志度の多和神社が式内社に比定されたという。祭神は資料には大己貴命。ただし、境内の由緒石碑には手置帆負命の名も記されていた。

 

 拝殿の寄付額には、寒川家の大正時代を生きた、「寒川利三郎」さんの名が残されていた。おそらく、この地の名士だったのだろう。

 

 近くで、草刈り機で「淡竹(はちく)」をなぎ倒しているご婦人がいたので、数本、分けてもらった。ついで・・だからと、野蕗も少しいただいた。

 

 野蕗は、水にさらしてあく抜きし、ハチクはお鍋で湯がいておいた。料理は奥方任せ。

 

 帰り道、県立亀鶴公園に寄ってみたが、今年は花の数が少なさそう。咲き乱れる・・というところまではいかないように思う。

 

 帰ってみると、愛用のコンパクト・デジカメが壊れていた。少し前からおかしい・・と思って、瞬間接着剤とかで補強していたのだが、遂に壊れて、シャッターボタンが紛失した。明日は徳島へバスツアーなのに、カメラが壊れては困ったことだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴天は 雲の向こう側にある」というもの。「雲外蒼天」という言葉もある。今は土砂降りの雨のさなかにいるが、やがて雲が晴れれば青空が広がる。今は苦しいときだろうが、じっくりと自分を磨いて待っていれば、きっと必ずや道が開ける時が来る。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨となり 花は咲くばかりを 聞いている

2017年06月08日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響により小雨から概ね曇りだったが、昼前からは、すっきりと晴れてきた。気温は20.3度から25.0度、湿度は94%から71%。風は1mから6mの西の風が一時は強かった。明日の9日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 来週の土曜日に、歴史講座があるので、なんとか資料を追加したいと考えていたのだが、俵札のデータ整理もあって、手つかずの状態にあった。

 

 で、トイレの時間に、この本をなんとなく読んでいたらば・・・。

 

 讃岐の和三盆を開発した「向山周慶(さきやま・しゅうけい)」の先祖が「児島高徳(たかのり)」と書いてあるではないか・・・。児島・・・高徳・・・。母が若い頃に、よく、この話を聞かせてくれた。

 

 天皇を奪還に来た児島高徳が、厳重な警戒網の中では、救出はムリだと考え、桜の木の幹に、「天莫空勾践 時非無范蠡」(天は春秋時代の越王・勾践(こうせん)に対するように、決して帝をお見捨てにはなりません。きっと范蠡(はんれい)の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けする事でしょう)という漢詩を彫り書き入れ、その意志と共に天皇を勇気付けたという。

 

 『天、勾践(こうせん)を空しうする莫(なか)れ。時、范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず。』という歌も歌って聴かせてくれた。そんなことを、ふと、思い出したものだった。

 

 で、『詳しくは白鳥町史に有り』というので、さぬき市立図書館にやってきたが、ここの町史関係は全て「禁帯出」のラベルが張ってあった。

 

 で、今度は「寒川分館」にやってきたのだけれど、ここには、白鳥町史すら置いてない。

 

 仕方がないので、手元にある資料をデジタル化しておくことにした。

 

 同じようなことばかりやっていると飽きるので、お昼からは「寒川家の俵札」のうちの、「その他」という紙くずを分類してみた。先に、「遍路札」と呼ばれる「納め札」の調査と展示は終わった。残った紙くずの整理である。実にさまざまなものが入っていた。

 

 これは、「護符」と分類されたものの一部だが、実にたくさんのお札を集めたものである。全部で150種類があった。この中に「金比羅題権現」や「由加山」のものがないのは「神符」と別分類になったのだろうか。それにしても信心深いお方らしい。

 

 観音さんやお不動さんなど一般的なものは知っていたのだけれど、こういう「日天子」とか「日天尊」などは初めて目にした神さまらしい。

 

 昨日に、「梅雨入り」した模様と発表があったが、今日はすばらしい夏の空になった。梅雨というのは気象現象だから、雨が降らないことだってあるらしいが、空梅雨にはならないでいただきたいもの。すぐに讃岐は「渇水」になる。

 

  今日の掲示板はこれ。「濡れたらいやなその雨を心から願う人もいる となえてつまらん念仏を聞いてよろこぶ人もいる」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。ここの住職さんの言葉かもしれない。私たちの挨拶にもなる「毎日の天候」。晴れたら晴れたで「晴れたねぇ」といい、雨になったら雨で「よう、降るねぇ」という。濡れるのはいやだけれども、雨を待つ農家の人もいる。晴れてよし、雨になってよし・・・なのだが、人それぞれの感想がある。お念仏だってそうだろう。称えても称えてもつまらない念仏を、それを後ろで聞いてよろこぶ人もいる。咲いた咲いた、花しょうぶ どの花見てもき れいだな。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨となり 重い荷物を 開いた日 

2017年06月07日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は19.4度から21.2度、湿度は94%から81%、降雨量は0mm/hから5mm/h、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の8日は、前線や湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨の降る所がある見込みだが、昼前からは高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 朝から降り続いた雨は夕方になってもまだ降っている。おかげで、今日は終日、デスクワーク。

 

 一応、リストアップは完了した。これを、どんな切り口で分析、解析していくか・・・である。

 

 物事の最初からだと、「寒川家」とは、どこのどなたなのか・・」から始めないといけない・・。

 

 この地を治めていた、昼寝城の城主だった「寒川氏」は、土佐の長曽我部軍によって討伐された。

 

 敵が攻めてきても、きびしい崖の迫る場所だから、昼寝をしていても大丈夫・・だということで、「昼寝城」だったが、周囲を包囲されてしまって、食料や水がなければどうにもならない。

 

 で、本丸跡に残された小さなほこらが、「寒川社(さんがわさん)」。今も、末裔の「寒川さん」が御守りしているのだとか。

 

 おそらく、その寒川氏の末裔・・・、それも傍系の寒川家だろうと推察される。それも、旧遍路道沿いにあって、善根宿を世話したり、食事やお茶などをお接待したものだろう。今、その、寒川家は、町内の別の地区に移転してしまっている。

 

 そんな、前書き部分から、「俵札とはなんぞや・・」から始まって、「六十六部廻国聖」までをまとめてみた。

 

 最大の山場は、「護符」とひとくくりにしてしまっているものである。これらを、如何に料理するか・・・である。

 

 この、「六十六部」は、軽くまとめてみた。後に見つかった「遍路札=納め札」は断片や紙片で、あんまり参考にはならないで、これもはしょってみた。

 

 こういう「みくじ」はほとんどが「八栗寺」のもので、特に観察すべきものでもなかった。

 

 明日は、いよいよ、大物の「護符」にアタックすることにした。神仏の名や形像、種子(しゅじ)、真言などを記した札で、身につけたり壁にはったりして神仏の加護や除災を願うものだが、多種多様。

 

 ま、今日はここまで・・・だ。

 

  今日の掲示板はこれ。「人と人との関係は歯車だ こちらも合わせないと回らないよ」という、荒了寛さんのことばから。最近はなかなかに歯車のようにかみ合う人間関係が少なくなってきた。回っていると思うと空回り・・・。回らないと思うと、複雑すぎる歯車の組み合わせ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨まぢか なぜか重たい 予定表

2017年06月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は15.9度から24.5度、湿度は86%から59%、風は1mから4mの東北東の風がっすこしばかり。明日の7日は、前線や湿った空気の影響で雨が降るらしい。

 

 例年ならば、お勉強のために京都に行くのだけれど、今年は体調不良で、皆さんにご迷惑をかけてもまずいので、今回はお休みした。

 

 で、火曜日は恒例の、前山地区活性化センターへのご出勤。別にこれという作業はないのだが、打ち合わせだの、次の作業の準備だのの雑用タイム。

 

 あいにくと、私のガンダムPC群は、例の「俵札・その他」のデータ整理に使っているので、今日は奥方のノートPCを借りて、持ってきた。ま、私の持ち物だから相談する必要もない。

 

 で、中島先生のやっている「六十六部」の研究成果をコピーさせてもらってきた。

 

 「六十六部」というのは、法華経を六十六部書き写し,日本全国六十六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行し、江戸時代には,諸国の寺社に参詣する巡礼または遊行(ゆぎよう)の聖であった。白衣に手甲・脚絆・草鞋がけ,背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を負い,六部笠を被った姿で諸国をまわった。また,巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食のことでもあった。一般には「六部」と呼ばれた。

 

 これらが、その「六十六部日本廻国聖」の納め札である。版刷りで、大阪出身の小兵衛の納めたものである。

 

 こちらは、江戸麹町からやってきた「願主長心」のものだが、長心に頼まれて廻国している行者かも知れないし、長心そのものが納めたものかはわからない。

 

 そうした六部さんが行き倒れになった時、こうした「供養塔」が立てられたり、お墓が作られたりした。

 

 今日は、そうしたデータを整理していた。ほかのメンバーさんたちは、この土曜日の10日に実施する「阿波区切り打ち13番から17番」の参加者名簿の作成とか、次の18日の「霊芝寺御成所修復一般公開」のお話とか、秋の源平ゆかりの地巡りの下見調査の打ち合わせとかをやっていた。

 

 お昼からは、作業した、奥方のPCからデータを抜き出して、

 

 私の作業用マシン「ガンダム軍団」に移し替えしておく。

 

 で、根気よく、画像データから一字一句を読み取ってのデータ投入・・・。

 

 こんな紙くずのようなものだが、これらから、江戸時代から明治・大正に至る民衆の歴史が浮かび上がってくるのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分をかえたいと思ったら 思い切って新しいことをやってみるんだね」というもの。このままじゃダメだ、どうにか自分を変えてみたい・・。何度も何度も考えたものだった。でも、なかなかに、自分を変えるなんてできないもの。個人的には、新しいことより、興味があることには行動を移していきやすい。そして「やれること」と「やるべきこと」は区別するようにしている。なぜなら「やっている(やっていない)」ことより「できている(できていない)」自分を客観的に確認できるからだ。いまの自分に感謝しながらも、前向きに生きていくことは、常に新しいことにチャレンジしていくことなのかもしれない。
 If you want to change yourself, do something completely new.

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。 


慣れてきて ウグイスの声 鐘三つ

2017年05月31日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。昼過ぎから夜のはじめ頃は、雨や雷雨の所があるらしいし、竜巻注意報も発令されている。気温は19.8度から27.1度、湿度は92%から74%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は天気も悪いし・・ということで、デスクワークになった。

 

 三年前からやっている、この作業。さぬき市前山地区にあった農家の「寒川家」。その天井裏につり下げられていた古い俵を、家屋を解体するというので、この「おへんろ交流サロン」に寄贈された。

 

 俵の中には、このような紙くずが詰まっていた。この作業をパソコンで管理するために私が呼ばれた。それから3年が過ぎた。

 

 これを種類別に分類してファイリングし、個別に一枚ずつファイルに綴じた。

 

 こういうものを、丁寧に分類していけば貴重な資料が現れる。

 

 それをデジタル化して画像ファイルに収めてある。それを昨日に預かってきた。

 

 それを、私のパソコンに移して、一枚一枚の画像ファイルから、さまざまな情報を読み取って、右の端末に記録していく。案外と面倒な作業である。すらすらと読めるような文書ではない。

 

 こんな模様のようなものを読んで理解して投入するのだから時間はかかる。

 

 今日は一つのフォルダーの90件のデータを処理した。

 

 こんなことばかりしていると、頭がおかしくなる。ドラレコの試運転を兼ねて、担当地区一周のドライブをしてきた。すると、容量不足だという。いちいち、削除しないとあかんのかね。上書き上書きするんと違うのん?

 

 ま、予備のカードもあればいいか・・というので、マイクロSDカードを買った。案外とお値段するものやね。1,000円クラスから1万円を超えるものまで。

 

 銀行に寄ったり、郵便局に寄ったりして月末処理。

 

 今日のお昼は「タケノコご飯」と、この「カップ麺」。ぽちのために作るみたいなものだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「凡人は、行動を起こすのに完璧なタイミングを計っているうちに一生を終える」という、ジャック・キャンフィールドさんの言葉から。ジャック・キャンフィールド(Jack Canfield/1944年8月19日-/男性)は、アメリカ・テキサス州出身の自己啓発作家、モチベーションコーチ、講演家、経営者。世界的なベストセラー・シリーズ「こころのチキンスープ」の共著者として知られる人物であり、経営者や教育者向けの研修を行うセルフ・エスティーム・セミナーを設立。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


野のフキに 遠い昭和の 味をみる

2017年05月30日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れており、気温は18.6度から29.4度、今期最高の温度になった。湿度は91%から64%と蒸し暑い日だった。気象台では、「高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してください。」と呼びかけている。我が家でもエアコンのお世話になった。明日の31日は、気圧の谷の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日ということで、「前山地区活性化センター」に出勤した。

 

 最近は、もう、これという作業はなくなった。なくなったのだが、今後も数年間は、俵札の展示や調査は行わなくてはならないのだそうだ。それを、どうするのかと思案中。

 

 とりあえずは、私は、これらの展示の調査報告書を作成することになった。

 

 で、こうした、画像データを会長から預かった。これら、1,800枚ほどのファイルを開いて、まずはリストの作成。一覧表の作成である。それを元にして、種類別、年代別、地域別などに分類し、分析する。ま、暗闇の中に飛び込むみたいなものだ。

 

 それらの画像をUSBメモリで受け継いだ。

 

 これで、こうして、画像を見ながら、リストを作っていくわけだ。

 

 皆さんは、打ち合わせだ、今後の予定だのを話し合っていたが、私は一時間ばかり早めに出て、今夜の夕食の食材を探してきた。野ぶきとかタケノコとか・・。私は肉は硬くてだめだし、魚は骨があるし、生臭いものは苦手なのだ。

 

 それを湯がいていたらば・・・、ピンポーンとチャイムの音が・・・。

 

 何かのカードのアンケートに答えたら、ドライブレコーダが当たったとかのだとか。どこのものかもわからない代物らしい。

 

 早速、マイカーにくっつけてみたら・・・「SDカードを差してください」という。取説には、「TFカード」と書いてある。

 

 どれだ、どれだ・・と、おもちゃ箱をひっくり返したら・・・。

 

 この真ん中の小さなものらしい・・・。

 

 こんなもので記録できるのか・・・。これを差し込もうとするとなかなか入らない。入ったと思ったら、ふいに飛び出して行方不明になる。車の中を探し回って、探し出すが、またもや、飛び出して行方不明になる。困ったものだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「まず動く、心配するのは後でいい」というもの。悩む、否定される、文句を言われるからと動けない人がいる。そこで、「また、今度!」と蓋をしてしまって、結局は何もやらずに文句タラタラ。でも、まず、やってみることが大事。行動を起こすことが大切。そうすれば、開ける道もあるし、開ける扉もある。邪魔や衝突を知るからこそ、得られる結果だってあるものだ。「やりたいぞ!!」、そんな意欲を持った生き方をしてみたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


覚えたて うまく歌えぬ あまがえる

2017年05月24日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨が降っている。気温は19.6度から22.8度、湿度は96%から80%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。ほっとしたような雨になった。明日の25日は、引き続き、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 「今日は大工さんが来るから外出禁止よ~・・」と、言って奥方は出勤していった。外出禁止はきついこと。せめて、何時頃・・・という指定があればなぁ・・・。

 

 実は、この「ウッドデッキ」が築10年もすれば、ぼろぼろになってきて、うかつに歩くと壊れて落ち込むようになった。そこで、これをやりなおすことにしたらしい。

 

 雨が激しくなってきたから大工さんはやめたのか、ほかにご用ができたものか、やっては来ない。

 

 仕方がないから、来月の「歴史講座」の講演準備。実は、このお話は、「倫理法人会」で使ったもので、講話時間は30分用。今度は倍の60分に引き延ばさないといけない。

 

 こちらは、パンフレット。今風に言えば、「フライヤー」。

 

 和三盆・・というのは、こういう高級和菓子。サトウキビから作られている。これを作り出したお医者さんのお話である。昔から讃岐は雨が少なく、稲を作ることができなかった。だから、高松藩も貧乏で借金ばかり。お百姓さんは米が作れないと飢え死にしてしまう。そこで、一念発起して砂糖を作ろうとがんばったのが、「向山周慶(さきやましゅうけい)」という若いお医者さんだった。

 

 その周慶の前に、行き倒れていたお遍路さんが現れ、そのお遍路さんを助けたことで、奄美大島から禁制のサトウキビの苗を持ち出して来て、周慶の恩義に報いようとした。そうして、ついに二人は砂糖の製造に成功し、地元の産業を興し、高松藩の窮状を救ったのである。

 

 これがサトウキビを絞る「砂糖しめ小屋」である。これを改良したのが、讃岐の奇才・平賀源内だった。

 

 そういうお話である。

 

 いやいや・・、今日は、その準備段階。明日にでも、香川県立図書館に行って来なければ・・・。前回に調べた資料は、どこに保管したのか記憶にない。

 

 ここのところ、急に厚くなったので、ガリガリ君から、この「かき氷」にしてみた。甘すぎないのがいいと思うようになったので。

 

 で、この・・「抹茶」というものを食べてみたが、やはり、少しばかり甘いかなぁと・・・。ふと、袋の後ろを眺めていると、「たまちゃんアイス」というメーカーのものだった。それも「屋島西町」の会社らしい・・・。

 

 ふーん、あんなところに「たまちゃんアイス」ねぇ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんのことばから。

 頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかである。
 目の前の一歩をとにかく大切に
 「遥かな山の頂上を眺めて、とてもじゃないけれど、これは登れないと言っているわけである。てっぺんばっかり見て踏み出したら、転ぶかもしれない。大事なのは、その頂上に続く目の前の一歩を、どんなふうに踏み出すか。できる限りの最良な一歩を踏み出すことに心を砕きなされ。その日その時々により良い一歩を重ねることが、いつしか高みへとおのれを導いていくのですから」 話題になった書籍「女子の武士道」である。著者の石川真理子さんのおばあさんは、武士の娘であり、そのおばあさんが真理子さんに教えた言葉五十五が紹介されている。その中の引用からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山あいに 牛の墓あり 麦の秋

2017年05月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は17.3度から25.7度、湿度は94%から72%で蒸し暑い日中になった。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の24日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日ということで、恒例の「前山地区活性化センター」への出勤になった。

 

 すると、会長から、「先日のNHKのガイドのお礼だと・・・」いうことで。

 

 「今治エコタオル」というものを頂いた。中身はハンドタオルだったが、ご丁寧に、NHKの」エッグマークが刺繍されていた。

 

 皆さんは、今週末の「ルンルン春、木もれ日の道」のウォーキングや、来月の「阿波霊場歩き遍路体験ツアー」の参加者確認やらの打ち合わせ。

 

 私のお仕事はほぼ、終わっている。会長から、「もう、卒業してもいいのだが、どうする?」と言われたのだが、このまま、終わってしまったら、これらの展示が宙ぶらりんになってしまう。何かの形で文書に残さないといけない。

 

 こういうものを一覧表にして解説もつけて、「調査研究報告書」にまとめておきたいのである。

 

 最初は、「こんな紙くずをどうするんだ・・・」と思っていたが、何年もやってくると、これは貴重なタイムカプセルなんだ」と思うようになった。

 

 これは、「地蔵和讃」の写しである。聞いて覚えたものをメモ書きにしたもので、これを見ながら、「地蔵和讃」をお唱えしたものなのだろう。「これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり・・」というものらしい。

 

 本当ならば、燃やされてしまうような紙くずの山。他人さんが集めた紙くずだから、どうでもいいような紙くずだったけれど、「こんな貴重な資料を見過ごしていいものか・・」とさえ、思うようになった。

 

 だから、今回に使用した画像データを会長から引き継いで、一覧表の作成から、整理をしなおして、報告書にまとめておきたいと考えた。

 

 これは、「田淵家の納め札」の資料だが、このフォーマットを使えば、簡単に整理ができる筈。納め札よりは枚数は少ない。

 

 これを、今年の夏休みの自由研究にしようと思う。

 

 今日も、「おへんろ交流サロン」には、外国人が何組も歩いてきたのかお休みをしていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「迷いとは 心が二つになること 悟りとは 心が一つになること」というもの。誰の言葉だかはわからない。心が、今の自分と、何か聞こえてきたものを追いかけて、2つになってしまったら、これが「迷い」となる。ものを追いかけるから迷いとなる。右に行くか左に行くか、これがいいか、あれがいいかと心が揺らぐと迷いとなる。これに気づかないと、本質を見失ってしまい、デザインの美しさにとらわれたり、値段を追い回したりして迷うのである。そこで、いったんは、外に向かってはたらく心を断ち切って、自分の内に向ける工夫が大事になる。そうすれば、今、こうして見ているもの、聞いているもの、命あるものの尊さに気がついて、自然と眼に花が映ったとき、花はわが命と一つであるとわかるはず。心が一つになるのが悟りであると気づくのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


シャクヤクを 抱いてはじける 花遍路

2017年05月16日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響により概ね曇りとなっていた。気温は13.8度から22.0度、湿度は94%から56%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の17日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 毎週、火曜日はここ、前山地区活性化センターへ出勤する。最近は、これという作業もなくなってきたが、何かやることがある筈だとやってきた。

 

 私たちは、この「俵札」の展示作業。私のコーナーは入替完了。今回は中島先生の入替のお手伝い。このコーナーは「六十六部廻国聖」の納め札である。

 

 で、現在は「護符」と呼ばれる寺院から授与される「お札(ふだ)」の整理と展示である。これを並べたいが大きすぎるし、これだと小さすぎて・・・ということでの試行錯誤。要はセンスの問題になってくる。

 

 そこへ、私に会いたいというお客さんが・・・。とある県議さんからの紹介で・・と、やってこられたもの。なんでも、仏教全般についてお話をお伺いしたい・・・とか。

 

 ある法事にお参りしたら、正信偈を読んで終わったが、なんで大経や阿弥陀経を読まないのか・・とか、

 

 般若心経は節をつけずに読むのに、正信偈はどうして節をつけるのか・・・などという質問の羅列。確かに、余宗から見れば変かも知れないが、逆に、私たちからすれば、節のない偈文は変かも知れない。

 

 そして、大無量寿経の十八願文まで引っ張り出してきて、「阿弥陀さんは全てのものを救うはずなのに、どうして、唯除五逆誹謗正法 と言い切るのか・・」などと。この方、学会の方ではないと思うのだが。ご丁寧に、「抑止門」についてお話をしてさしあげたが、熱心といえば熱心なお方なのだろう。

 

 結局の薬局で、私の今日のお仕事は段ボール箱の整理くらいなもの。ま、そういうこともあってもいいか。

 

 昨年の7月初め、自治会堂のエアコンの室外機が盗難に遭った。で、新設しようと提案したが、新しくつけても、また、盗難に遭う可能性がある・・・ということで、エアコンなしで、暑い夏と寒い冬を乗り切った。

 

 でも、うちわだけでは落ち着いて話し合いにもならず、厚着をして寒い冬の寄り合いでは身が入らないというもの。そこで、先日、親戚で取り外したエアコンを集会場に取り付けた。でも、これまた、置いただけだから、誰でも自由に持ち去ることができる。

 

 そこで、集落内の左官屋さんにお願いして、基礎部分をモルタルで固めてもらった。こうすれば、簡単には持ち去れない。やろうとすれば、大きな鉄棒か金物で、基礎のプラスチック部分を壊せば持ち去ることはできるが、そこまで時間と稼働をかけるかどうか・・・。

 

 ま、これでしばらく様子を見ることにした。7月2日の日曜日、市内一斉清掃日になっている。この時に地区内の全員が集まるので、その場で、善後策を話し合うことになっているらしい。金網で囲んでしまうか、鉄柵で包むか・・・。それとも、このままで行くか・・。

 

 少しばかり、モルタルを塗ってくれた左官さんに、私からのほんのお礼。私は私で自治会から寸志を頂いている。

 

 その後、山の旧宅周辺でタケノコを探してきた。サルやイノシシの見逃したタケノコもあった。

 

 タケノコにも飽きたといえば飽きたのだけれど、調理しだいではおいしいかも知れない。

 

  今日の掲示板はこれ。「迷惑をかけずには生きられない 「おかげさま」ってほんとうなんだ」というもの。「人様に迷惑をかけるな」などと、親が子に教えたものだが、人は誰も迷惑をかけずには生きられない。子供は親に迷惑をかけて大きくなり、親は子に迷惑をかけて亡くなる。「俺は誰にも迷惑はかけないで生きる」と言う人ほど、世の中に迷惑をかける人になるらしい。まだまだ、「おかげさま」とは言えないけれど、これからどうなっていくのかなぁと思いつつ、生かされている毎日ではある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


深緑の 花みな濡れて うつむいて

2017年05月09日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雨となっている。気温は16.5度から19.5度、湿度は92%から84%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の10日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、恒例の「前山地区活性化センター」にやってきた。もう、小雨がぱらついている時間帯だった。

 

 連休明けに届いていた「蘇民将来符」も展示しておいた。このお話も味が薄れないうちにまとめておかねばならないなぁ・・と思いつつ、思いつつ。

 

 今日は「中島先生」がお休みなので、中島さんのやっている資料の整理をやってみた。パネルにプリントアウトした用紙を乗せているだけだったので、正式に貼り付けて、いらない空白部分を削除して見やすくしておいた。

 

 このコーナーは、「六十六部衆」とか「六十六部聖」とかと呼ばれた「日本廻国行者」の納め札である。正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代にはおとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。江戸時代には単なる回国聖または遊行(ゆぎよう)聖になってしまったが,中世には法華経六十六部を如法(によほう)に写経し,これを日本全国の霊仏霊社に納経するために回国したのである。西国三十三所観音霊場の巡礼納経にならって,六十六部納経したとも考えられるが,日本全国六十六ヵ国をめぐることによって,より大きな功徳を積もうとしたものであろう。(世界大百科事典 第2版の解説)

 

 その反対のコーナーには「護符」が展示されている。この真ん中のお札は、「奉修西照大権現日護摩供如意□」という、「大瀧寺」のお札である。ここも明治になって、「西照神社」と「大瀧寺」とに分離した。隣は「高越大権現本地護摩供守護」符で「高越寺(こおつじ)」が授与したものである。

 

 こちらが西照神社で・・・

 

 こちらが、別格20番の「大瀧寺」である。

 

 こちらが、「高越大権現」の「高越寺」である。本尊は山岳修行の「蔵王権現」。東の「大和国金峯山」に対して、「西山上」と呼んで、阿波修験道発祥の地とされている。

 

 こちらが、その「蔵王権現」をおまつりする「阿波忌部神社」で、こちらも「阿波忌部修験道」で知られてきた。この裏手にあるのが・・・

 

 「蔵王権現社」である。いやぁ・・、この寒川家というのは、つくづく信仰心の厚い家系だなぁと思うことである。その昔、昼寝城は、鴨部川上流の南側にある矢筈山の中腹、俗称昼寝山の頂上に所在していた。西方の隅には寒川社(寒川さん)と呼ばれる祠が存在する。築城されたのは嘉吉年間、築城主は香川光治と伝わる。南北朝時代から室町時代にかけて、東讃に勢力を誇っていた寒川氏は仁明天皇の頃に讃岐朝臣の姓を賜り、代々寒川氏は寒川郡の郡司であったために寒川氏と称するようになった。というのである。(Wikipediaより)

 

 午後からは、ホームページの更新である。頂いた資料をスキャナーで読み取ってテキスト化する。

 

 昨年は、「讃岐一国逆打ち歩き遍路」を体験したのだが、今年は阿波一国を歩いて回るのだそうだ。その案内文書を掲載して欲しいというのである。

 

 作業は30分ほどで終わった。でも、月日のたつのは早いものだ。どんどんと行事が行われて、新しいイベントが企画される。それについていくだけで精一杯になる。

 

  今日の掲示板はこれ。「失敗ではない うまくいかない方法を見つけただけだ」という、発明王エジソンの言葉から。トーマス・エジソンは、誰もが知る偉大なる発明家だが、彼は発明王であり失敗王でもあるといわれている。電球のフィラメントの発明に成功する前に、なん と2,000回以上も異なる挑戦をしていたそうだし、あるときは燃え尽き、あるときはコストがかかりすぎ、あるときは大きな労働力を必要としたなどなど・・・と。エジソンと彼のチームは、膨大な時間を発明に費やした。成功したかと思えば、やはりダメだったり・・・と、気の遠くなるような作業を繰り返したそうだ。実験に失敗すると、めまいを起こしたとさえいわれるエジソンだが、彼は失敗を愛していた。彼曰く、「失敗は、私が求めるものなのだ。それは、成功と同じくらい私には貴重である。失敗を知らずして、成功を知ることはできないのだ。」膨大な時間とエネルギーを費やし、その結果、失敗に終わる。普通は、落ち込み気力も無くなるもの。しかし、それほどまでに大変な過程すら彼は成功への道だと信じていた。「私は、失敗しているのではない。上手く作用しない1万通りの方法を発見しただけなのだ。」と。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


藤棚に 声なき風が 二礼する

2017年04月30日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.4度から今季初の26.7度、湿度は84%から44%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の5月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、寒気を伴う気圧の谷の影響で、昼前から夕方にかけて雨や雷雨の所がある見込みなのだとか。

 

 いよいよ、四月が終わって明日からは五月。季節的には「夏」になるらしい。

 

 私が島の家に行っている間にお荷物が届いていた。京都の神職さんからである。

 

 中身はこういうものだった。「はてさて・・・」と調べてみたら、

 

 こうしてしめ縄に結んで玄関飾りに使う物らしい。

 

 最初、小汚い「小俵」の中から出てきた「紙くず」を見たとき、「なんだ、これは・・・」と思ったのは事実。このあたりでは見かけないものだし、我が家は真宗なもので、そういう信仰がなかったこともあるのだろう。

 

 調べてみたら、こんな風に結んでみたり、

 

 こんな風に「ちまき」に巻いてあったりしたもの。「蘇民将来符」というものが、どうにか理解できるようになった。

 

 裏面には、こんなものが書かれている。これまた頭をひねることになった。「急々如律令」と書いてあるらしい。中国漢代の公文書の末尾に、「急々に律令のごとくに行え」、の意で書き添えた語。のち、呪文(じゅもん)の終わりに添える悪魔ばらいの語として、道家・陰陽師(おんようじ)・祈祷僧などが用いた。とある。で、右側の落書きのようなものは「道満」、左側の★印は「清明」という意味らしいがよくわからん・・。

 

 今日、まだ、両足がおかしい。中学生と遠足したための筋肉痛なのか、足のむくみなのか歩くのが辛い。そこで、あまり歩かなくていいように、高松市飯田町にある「岩田神社」に行って来た。別に「足が治りますように・・」というお願いではない。この「藤まつり」を見るためである。

 

 ここの藤の説明板。ま、そういう藤である。

 

 お天気がいいから、大勢のお年寄りたちが集まっていた。

 

 町内会なのか老人会なのかお年寄りたちがブルーシートを敷いて花見をやっていた。今日は暖かくて花見にはいい季候になった。

 

 ここも、今週来週あたりが見頃だと言うていた。

 

 こういう小さな神社なのだが、藤まつりのときには大勢の見物人でにぎわいを見せている。

 

  今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


萌え若葉 今日の荷物は 重すぎる

2017年04月25日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方ははじめ晴れていたが、南からの湿った空気の影響で昼過ぎから曇ってきて、小雨まで降ってきた。気温は13.2度から21.6度、湿度は78%から60%、風は2mから3mの東南東の風が一時は強かった。明日の26日は、前線や低気圧の影響で曇り、昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 今日は恒例の火曜日ということで、ここ、前山地区活性化センターへ出勤である。気候が良くなったので歩き遍路の人も増えてきた。今日も何組も何組もやってきては休憩をしていた。

 

 で、私は自分で調べた資料や調べた結果などを展示してみた。仙台白石藩の片倉小十郎のこともプレートにして展示してみた。

 

 善光寺のご朱印や、その由来などもまとめてみた。決められた狭いスペースに、あれこれと並べてみた。

 

 これで、私の展示スペースのレイアウトは完了した。ここの配布用資料をどうするか、それが今後の宿題だ。

 

 中島先生のブースも展示できるよう、準備が進んでいるみたい。女性陣は、後の資料の整理とか不要な資料の廃棄なんぞをやっていた。これで、一応の調査が終わるのだろうか。

 

 いやいや、寒川家の納め札の調査報告書も作らないといけないし、この、納め札以外のものの「調査研究報告書」も作成するのだとか。

 

 先の「年度総会(3/22)」の時、ちょっとしたはずみで、「レンズフード」が折れて壊れてしまった。ま、細くて薄い部分だから、これまでに何度も折れては交換してきた。

 

 だから、今回もamazon.comで注文して、今日の午前中に届いていたみたい。

 

 早速に交換、装着してみた。

 

 お昼からは、四国霊場88番札所の大窪寺にやってきた。明日の「学校支援ボランティア」の下見である。

 

 阿弥陀堂前の「御衣黄(ぎょいこう)桜」の様子を見に来た訳である。ようやくに赤いラインが見えてきている。花はまだまだ小さいものが多い。

 

 江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのがはじまりと言われており、「御衣黄」という名前は江戸時代中期から見られ、その由来は貴族の衣服の萌黄色に近いため。古くは「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などとも呼ばれていたが、それがギョイコウなのかそれともウコンを指すものなのかはっきりしない。江戸時代にシーボルトが持ち帰った標本が現存しているらしい。

 

 このようなお大師堂前の藤を楽しみにしていたが、今年はようやく花が咲き出した程度。牡丹だって、まだまだつぼみのままだった。

 

  今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


庭先の つつじの花に 揺らぐ風

2017年04月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.4度から19.2度、湿度は86%から56%、風は1mの東南東から西の風が少しばかり。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 本来ならば、昨日の「年度総会」が終わったらすぐに丸亀に向かい、しわく廣島で草刈りをする予定だったのだが、どうにも体調がすぐれないので、もしもの事態を考えて予定を変えた。で、昨日の総会の様子をHPに更新することにした。

 

 その前に、天気がいいので布団を干して、二階部分に掃除機をかけておく。でも、少し動くと「ぜぇぜぇ・・ハーハー」と呼吸がおかしくなる。腹水がたまってきて心臓を圧迫するからである。

 

 血圧の高い状況は収まった。ただ、腹水がたまるのがどうにもならない。でも、それも午前中で収まるようになった。でも、翌日の朝にはやはりおかしくなってしまう。でも、少しずつ改善されてきているように思う。

 

 そういうことで、HPの更新を黙々とやっていた。こういう作業だと、何の問題もない。

 

 その合間に、奥方が「野菜畑を耕すのでミニ耕耘機のエンジンをかけて・・・」というので動かし始めたが古い燃料が残っていたようで動かない。そこで新しいガソリンを買いに行ったりと・・・。

 

 新しいガソリンに入れ替えると一発で始動した。でも、この機械を使うことはまだできない。

 

 その間に、山の旧宅でタケノコを掘ってきた。サルやイノシシが見残したタケノコがどっさりと。もう、サルもイノシシも飽きたのかも知れない。

 

 我が家も連日、タケノコづくしなのだが、今度は春巻きにするのだとか。春巻きだって、そうそうは食べられない。

 

 昼食後は、例の「護符」などの展示用パネルの制作。仙台藩白石家の「片倉小十郎」についてのパネルなどである。

 

 ま、できることからコツコツと・・・。

 

 この「護符」についても調べてみた。ただ、これだけのものだが、これから、信州善光寺の朱印だと知れた。この朱印は、鯉が水面で口をパクパクしている図案だというのである。そう言われても納得しがたいのだが。

 

 こういうパネルにしてみた。明後日の火曜日に「仮展示」をしてみて、また、考えることにする。

 

  今日の掲示板はこれ。「大切なことはいまを生きること。人生はすべていまの積み重ねですから、いまをどれだけ大切にするかです」という平田静子さんの言葉から。平田さんは1948年、福岡県に生まれ、フジテレビに入社、扶桑社に出向、雑誌CAZ編集長を経て取締役、常務取締役などを歴任した。2010年に扶桑社を退職、同年4月に「ヒラタワークス」を設立し、幅広いビジネスを展開している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


御衣黄も この時期だけの ほめ言葉

2017年04月18日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは晴れてきた。気温は14.0度から21.9度、湿度は86%から64%、風は5mから6mの西の風が一時は強かった。明日の19日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は火曜日ということで、恒例の「前山地区活性化センター」に出勤した。いつもは9時からなので8時45分くらいに来るのだが、今日は準備してきた展示物を展示するので8時10分にここに来た。

 

 で、準備したものを展示ケースに並べてみた。まだ、「仮置き」である。

 

 置いてみて、この「かぶと」が誰の物かわからない。「愛宕山」はどこの「愛宕山」なのかわからない。愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、山城国(現京都府)愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。

 

 このかぶとは、仙台藩の重臣、「片倉小十郎」のもので、代々、「片倉小十郎」を名乗って、このかぶとを着用した。伊達政宗の病の目をくりぬいたのも、この「片倉景綱」であった。愛宕山白雲寺は勝軍地蔵(将軍地蔵)を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹した軍神として武士から信仰を集めたという。

 

 今度の宿題はこれである。「長日護摩供之トク 本願 成就院」という護符で、誰かが「高野山」と朱書きしてある。で、この袋の中に、

 

 という「神符」が入っていた。これはどこのものなのか・・・。

 

 で、こういう本で調べてみた。この「金峯山寺」の境内に「成就院」という建物はあった。

 【成就院】 成就院は「吉野山絵巻」(桜本坊所蔵)ならびに『大塔宮之吉野城』によると、葦駄天山の南にあった。寺僧方。 「吉野惣山寺領配当目録」(文禄四年)で五石を配当されている。では、祇園社は・・・。

 

 【牛頭天王社】牛頭天王社は高算堂の南方にあった。創建不詳。「大和国国軸山金峯山寺由緒略記」(慶応四年七月、東三箱五号)に「牛頭天王社去子守社南二町余、在躑躅岡。素蓋雄尊ヲ祭~。御鎮座ノ時代分明ナラス」とある。

 

  慶応四年(一八六八) 五月廿四日、神仏分離にともない吉野山の三社の社号を改める願書を弁事伝達役所に提出したが、その中で牛頭天王社を躑躅岡神社と改称する案が出された (集成三部三八四号)。しかし、「牛頭宮は子守の八王子神社と岩倉の牛頭神社と辰之尾の雨師明神社へ分割合祀された」(宮坂徴和前掲書)。と、あった。

 

 私と中島先生は次の展示の準備。

 

 ほかの皆さんは、今週の土曜日に行われる年度総会の準備に大わらわ。

 

 お昼から大窪寺の「御衣黄(ぎょいこう)桜」を見てきたが、ようやくに花を開きかけたところ。今年は何もかもが少しばかり遅い。

 

 今日の掲示板はこれ。「険しい道ではつまずかないが 平らな道でつまずく」という荒了寛さんのカレンダーから。危険な場所や困難な仕事には慎重に慎重に行動して、結局何もなく終わることがあったりするもの。逆に、『なんでこんなことで?』とか『そんなことも出来んのか』といわれる仕事なんかで、思わぬ失敗をしたりするもの。慢心や油断がそういうことを起こしてしまうのだろう。初心を忘れず、丁寧な仕事や行動を心掛 けたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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