まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ヒグラシに 今日の日記を せかされる

2015年07月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、昼過ぎから夕方までは雨の降る所があったらしい。気温は26度から32度、湿度は88%から64%、風は3mから6mの南東の風が気持ちよいほどだった。明日の15日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で夕方からは雲が広がる見込みらしい。

 

 昨夜、おへんろつかさの会の役員さんから電話があって、「つかさの会のホームページが元に戻っとるでぇ~」と仰る。見れば、確かに、今年の一月あたりの立ち上げ当時の画面に戻っている。

 

 そこで、慌てて、現在のHPのデーターを転送するのだが、一瞬は新しくなるのだが、しばらくすると、初期状態に戻ってしまう。そこへ、新年度の会員さん養成講座の原稿がメールで届く。そちらも更新しないと行けないが、これまた、更新しても更新しても、元に戻ってしまう・・・。パニックは続いて、作業は夜中の0時過ぎまで掛かったが、どうにもならずに寝てしまった。

  

 朝方はいい天気。もう、梅雨明けだと云ってもいいようなお天気になった。そんな、朝になっても事態は少しもよくならないが、次第に・・・旧と新バージョンとが混在するようになったり、ohenrotukasa.comとすれば、正常に新バージョンになり、.com/index.htmlをつけると、旧バージョンになったりするようになった。なったが、時間がきたのでお出かけすることになった。

 

 毎週火曜日の午前中はここ。さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」での「納め札調査」である。ここでも、「旧バージョンになっとるよ」「そそ、前の古いのに戻っとるなぁ・・」という話題から始まった。

 

 ところが、会長さんが自分のパソコンを立ち上げると・・・「これ、ええでないんな・・・」と仰る。どうやってみても、新しいバージョンになっている。index.htmlを付け加えても、新しいバージョンになっている・・・。まるで、キツネにつままれたよう・・・。

 

 さて、さぬき市志度の「寒川家」の俵から発見された「納め札」の調査は終わった。今日は、残務処理のような作業で、「お守り札」、「護符」、「その他」に分類する作業・・・。

 

 私の割り当てはこれ。こんな紙くずの山を一枚一枚、整理してファイリングしていく。分類するのは古文書が読める先輩たち。私は粛々と、紙くずをファイルにとじてゆく。

 

 読めそうな古文書だけれど、それを読んでいたのでは数をこなせない。読むのは先輩にお任せして、黙々と紙くずとの格闘になる。

 

 こちらは、整理された納め札や護符などをデジタル化して保存する係。これまた、黙々と数をこなしてゆく作業。その先生が、「カードにロックがかかっとると云うんやけど・・」と仰る。デジカメをいじっている人ならば何度も経験しとる筈。ところが、誰も対処の仕方が分からないらしい・・。デジタル一眼のメニューを開いて・・ああだこうだと思案をしている。

 

 私のデジカメからSDカードを引き抜いて、「これがロックになっとるけん、これを外したらええんやがな・・」というと、「そんなロックは掛けた覚えがない」と仰る。「カードを差し込む時に、触って、当たって、ロックが掛かるん・・・。ロックを外したら、画像が撮れるけん・・」と、お年寄りの会話らしい一幕だった。

 

 なんだかんだと云いながら、私の担当は終わってしまった。今日はパソコンのお仕事はお休み。

 

 今日は11時で作業終了。片付けをして、お茶タイムで世間話をしておしまい。12時ちょうどに解散になった。

 

 その後、私は香川県立図書館に向かい、借りていた本を返却した。明日から、しわく広島に帰るので、忘れないうちに返却しておきたかっただけのことである。

 

 わが家に戻ると、すぐにパソコンを立ち上げて、「おへんろつかさの会」のホームページを開いたら・・・、やっぱり、新しいバージョンに切り替わっている。あれこれとやってみたが、古いバージョンなどは出て来ない・・・。これはいったい、どうしたという訳なん・・・。

http://ohenrotukasa.com/

 

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中、何をしでかすかわからないのが自分」というもの。 妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えた。 「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』) 何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないもの。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるもの。人生にシミュレーションなどない。人生は、つねに本番である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


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