さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は20.6度から28.6度、湿度は94%から72%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の11日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夕方は雨の降る所がある見込みらしい。
わが家の睡蓮が久々に咲いている。私がいないほうが気分がいいのかも知れない。
来週の土曜日に、私の誕生日会をするらしい。それまでに追加曲を用意しておかねばならないのに、集会場のエアコン室外機盗難事件などでバタバタしていて注文ができていなかった。そこで、アサイチで書類を書き上げて速達で注文したが、18日までに間に合うかしらん・・・。
その後、さぬき市役所に向かった。「個人番号カード」を受け取りに来るように・・という連絡が来ていたためである。
「マイナンバー」だの、「個人番号」だのはいらない・・と思って放置していたのだが、奥方が「介護されるようになると必要だから準備しておくほうがいいわよ」と言うものだから、昨年の年末に書類を送ったと思って居るが、それがようやくに届いたらしい。
自慢じゃないが、さぬき市役所の前まではよく行くのだが、庁舎内に入ったことはない。今日が初めてになる。普通は、旧町役場であった「大川支所」でたいていのことはできるので行ったことがないという訳。
で、本人確認だ、顔写真確認だ、暗証番号設定だということをやって、こういう「個人番号カード」ができあがった。ま、当分は使う必要はないのだと思う。
ついでだからと、さぬき市立図書館にやってきた。先週だかに借りた本を返却するためだった。私の借りる本は小説とか物語ではないので、「ポンポン」と読めば、それでおしまい。眺めただけでおしまいになることも多い。
今回は、このような本を借りたが、役に立ったのは「世界の葬送」という本の数ページだけ。別に今からお墓を建てる訳ではないのだ。葬送の歴史を知りたかっただけである。
今日は常連さんの姿が見えない。いつも、ここで新聞を読みながら井戸端会議をしている時間帯なのに。
新聞と言えば・・・、はるか昔、千葉県の中山寺(法華経寺)だったかを見学した時、「新聞・ラジオ・ポケベル・テレビなどの持ち込み禁止・・」みたいな看板があった。当時はまだ、携帯電話が出たばかりの頃だっただろうか。「いやぁ・・、きついお寺やなぁ・・」と漠然と思ったことがある。私の会社の訓練センターは全くの自由だったから、余計に、そう、思ったのかも知れない。
でも、先日の本山での研修でも、新聞・ラジオ・テレビはないし、電話の呼び出しや取り次ぎなんてことはなくなった。ま、もっとも、今はスマホでニュースや情報は筒抜けなんだけれども。新聞やテレビがなくてもなんら不自由しないんだなぁと思ったことだった。
帰りに、ちらりと花しょうぶ園を通ってみたが、桜の開花と似たようなもので、花が咲き出すと、そう、感動もしなくなった。
今日はデイサービスなどの介護施設の人も少なく、静かな公園のたたずまいだった。
アジサイの花また然り。六月にアジサイは咲いてあたりまえ・・・みたいな気持ちになってしまった。
それと似たようなことかも知れないが、6月10日が「時の記念日」というのもすっかりと聞かなくなった。時計や腕時計がなくてもスマホで時間もカレンダーも分かるようになったし、町中に時計があふれているようにも見える。
私のブログの検索項目の多いものにこれがある。これもすっかりと姿を消した時計だが、「沈黙時間入り時計」である。
旧電波法の定めでは、第六十四条 海岸局及び船舶局は、中央標準時による毎時の十五分過ぎから十八分過ぎまで 及び四十五分過ぎから四十八分過ぎまで(「第一沈黙時間」という。以下同じ。)は、四百八十五キロサイクルから五百十五キロサイクルまでの周波数の電波を発射してはならない。但し、遭難通信若しくは緊急通信を行う場合又は第一沈黙時間の最後の二十秒間に安全信号を送信する場合は、この限りでない。
こちらは「第二沈黙時間」の入った船舶用時計である。毎時0・30分から3分間(第二沈黙時間)は2182kHzその他の電波の聴守が義務付けられていたが、GMDSS移行時に廃止されていて、現在はそのような「沈黙時間」はなくなった。けれども、テレビやラジオでも、毎時三分間の沈黙をしてくれたらなぁと思うことが多い。
今日の掲示板はこれ。「恥かく汗かく頭かく 人間が人間らしく生きるため」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からである。松本 梶丸(まつもと かじまる、1938年11月6日~2008年6月4日)は、浄土真宗の僧侶で石川県松任市生まれ。1961年大谷大学仏教学科卒業。真宗大谷派宗務所出版部、研修部勤務を経て、真宗大谷派本誓寺住職だった。私たちは恥もかく、汗もかく。冷や汗はもっとかく。頭などはかき通しだ。でも、それでいいじゃないか。私たちは生きているんだ。人間が人間らしく生きているんだ。汗もかかず、頭もかかず、無恥な言動を繰り返している人たちよりもりっぱな生き方ではないか。
じゃぁ、また、明日、逢えたらいいね。