まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春そぞろ 静御前の 墓の花

2017年02月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね晴れていたが、午後からは曇りで、夕方まで雨や雪の降る所があった。気温は2.2度から7.6度、湿度は86%から64%、風は3mから4mの西風が吹いて冷たい一日になった。明日の13日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 先週に引き続いて、今日もおへんろつかさの会のウォーキングコースの下見の日。中央に見える大石神社まで、私とみゆきさんの「木村コンビ」の二代の車に分乗してやってきて、ここから、「木もれ日のみち」という「四国の道」を歩いて「鍛冶池」まで行く。

 

 この日の参加者は6名と運転手2名。歩き部隊はここから「古墳」を見学しながら山道を進むが、私とみゆきさんは、車で先回りをして「鍛冶池」で待つことにする。

 

 この「大石北谷古墳」は地元では、「ばくち場古墳」というらしい。古墳時代後期の円墳とのこと。

 

 こういう横穴式石室が残されている。

 

 今日のコースは長尾町の字の左上から鍛冶池を経由して「川上古墳」から北上して、87番札所の長尾寺で解散となる。

 

 途中、丸井古墳などを見学しながら展望台経由で鍛冶池に向かう。

 

 ここが鍛冶池畔にある「静薬師庵」。その昔、義経亡き後、母磯野禅尼とこの地に落ち延びた静御前が亡くなったとされている場所である。右手奥の白い石碑が静御前のお墓。ここで皆さんと合流。

 

 これが、静御前のお墓とされているもの。侍女「琴路」は静が亡くなった七日後に、この鍛冶池に身を投げたと言われており、そのお墓もここにある。

 

 今日の鍛冶池には若者数人がルアー釣りを楽しんでいた。

 

 次に向かったのが「川上古墳」。古墳時代中期後半ごろの古墳とされ、朝鮮式の古墳だということだった。

 

 私とみゆきさんは、先回りをして長尾寺で待つことにした。その間に、お寺の裏にある墓地を見て回った。墓地の入り口には歴代住職の無縫塔があって、村岡大僧正のお墓も確認できた。

 

 庭園をお掃除していた庭師さんにお願いして「お庭」に入れてもらった。落ち葉もなく、きれいに掃除されているのが印象的だった。

 

 どうしても見ることのできなかった、この句碑を見せてもらった。長尾寺の中興の祖、村岡住職の句碑である。「春風や 人ある限り いろは歌」と刻まれている。また、自蔵園楠蔭と号して俳借をよくし、ことに長尾俳壇の中心として、いまにその流れを汲む者、山下抱月をはじめ数多く、その命日には楠蔭忌として句会が続けられている。

 

  今日の掲示板はこれ。「終わりと初めは遠くて近い 失敗したら出直すだけさ」というもの。また、別な掲示板では、「終わりと初めは 遠くて近い どん底落ちれば また 出直すだけさ くよくよするなよ なにこれしきと 不屈の闘志でよみがえれ」というものもあった。ま、落ちたら立ち上がればいい。失敗したら、もう一度やってみればいい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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