まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

吹き抜ける 桜吹雪の 宮の庭

2017年04月11日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、前線を伴った低気圧の影響で、終日、雨が降っていた。気温は11.6度から14.2度、湿度は90%から84%、風は7mから2mの東の風が一時は強かった。明日の12日は、高気圧に覆われるが、寒気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 ということで、小雨の降る中、さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」にやってきた。こんな雨の中でも、歩き遍路の方が一人、二人とやってきていた。

 

 これまで、私が調べたことなどを、展示ケースに並べてみた。祇園社のものや「蘇民将来符」、讃岐の瀧宮にあった「龍燈院」の護符などを並べてみた。

 

 今はまだ、仮置き状態。全体のバランスや空白部分などは後で調整する。

 

 まだ、照明をつけていないので、ぼんやりとしか写らない。

 

 次のお札はこれ。「讃州寒川郡長尾西稲荷庵」というもの。これも明治になって廃寺となり、今は「稲荷神社」になっている。この鳥居の「稲荷大明神」と言う文字。

 

 写真が悪いが、この紺色ののぼりには「奉納 稲荷大明神大前」と、染め抜かれており、「塚原稲荷神社あばれ御輿」として有名な神社になっている。

 

 これは、「石鎚山蔵王大権現」のお札である。江戸時代には、前神寺や横峰寺を別当としていたが、明治維新の時、「権現禁止令」で「石鎚神社」となった。

 

 こんな、恐ろしい人だったらしい。今の石鎚神社は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)をおまつりしているそうだ。

 

 それから、このお札も「大権現」であるから、江戸時代の物。神仏習合の時代には本地仏である勝軍地蔵がまつられていたが、明治初年の神仏分離令で白雲寺は廃絶、愛宕神社となった。

 

 このお札をかぶとの前立につけたのが「片倉 景綱」で、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。

 

 で、またまた、観光ボランティアのお仕事が舞い込んだ。中学生154人を五班に分けて引率、ガイドするらしい。これは大変だ・・・。場所は、長尾寺さんと大窪寺さん。移動はバス三台らしい。

 

 桜は満開状態なのに雨ではかわいそう。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生は単に長さだけでなく 幅もあれば深さもある」という金子大栄先生の言葉から。世間一般的には人生が長いほうがより価値があるように言われたりするし、長生きすることが幸せだと考える人もいるが、いのちというものが単に抽象的な長さだけで考えられてはならないと思う。真に人間のいのちならば、長さのみならず幅もあれば深さもあるはず。年齢を重ねれば、それだけ人生をよりよく見、経験するわけだから、それだけものわかりがいいはずなのに、反対に我が強くなり柔軟心に欠け、思い通りにならないと人生を嘆き、時には怒り出すことも無きにしもあらず・・・・・。やはり人は、いのちを空しく長さだけに生きるのではなく、いのちを深さにおいて生きることが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>