さぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇っていた。気温は10.9度から18.3度、湿度は94%から63%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
先日のしわく廣島のお大師まいりの時、猪塚先生から、「歴民の”昭和のお葬式とお墓”展に行ったんな~」と言われていたのだが、ようやくに今日、高松市の五色台にある「瀬戸内海歴史民俗資料館に来ることができた。
民俗学では、葬送墓制は日本人の古い精神文化を色濃く残すものとして早くから研究者の関心も高く、その習俗は時代を経ても変わりにくいものと認識されてきたが、この平成の時代、それらは大きく変化し、今や昭和時代までのお葬式やお墓のようすは昔語りとなってしまった。そこで、ここでは、「昭和のお葬式とお墓」と題して、その失われた習俗や墓地景観などを道具や写真からひも解くテーマ展を開催している。
これは、佐柳島からの注文で、さぬき市大川町(私の住んでいる町)の桶職人がつくった棺桶である。うちの曾祖父は、これに入れて「野辺の送り」をした。小学二年生の時だった。
これは、「四本旗」で、お坊さんになってこれを習った。諸行無常偈と呼ぶ。お釈迦様が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。「いろはにほへどちりぬるを 諸行無常」「わがよたれぞつねならむ 是生滅法」「うゐのおくやまけふこえて 生滅滅已」「あさきゆめみじゑひもせず 寂滅為楽」だった。
これは「四花」とか「死華」とか言った。若いうちはこれを作らされた。
これは塩飽の島々でよく見かけた「六角塔婆」。ここにも諸行無常偈が書いてある。
これもしわく廣島で見かけた「極楽丸」。初盆には昔は木製で立派なものを作ったらしいが、本船がこれを漁船と間違って大騒ぎしたことから、紙製とか段ボール製になった。
これはまた、立派な座棺用の輿である。三豊市詫間町で使われていたもの。まるで神社の御輿みたいだ。
これは、まんのう町(旧琴南町)の野辺送りの写真。血の濃い女性は嫁入りの時の白無垢と白いかぶりものをして、「善の綱」を引いている。
これは三豊市詫間町での埋め墓。犬や狼が遺体を荒らさないように、竹などで遺体を守っている。これを「猪垣(いがき)」と言った。昭和に育った人たちにとっては。「そういえば昔のお葬式やお墓はこんなだった」と懐かしく思われるかもしれない。また、平成生まれの人たちにとっては見たこともない驚きの道具や風景(写真)に出会えることだろう。
その後、高松市飯田町にある「岩田神社」に寄ってみたが、ここの「孔雀藤」はようやく開花したばかり。お年寄りたちが「ふじまつり」ののぼりを立てたり、境内のお掃除をやっているところだった。
お昼からは、東かがわ市帰来にある「芝桜富士」を見てきた。昨年の夏の暑さと小雨で六割が枯れてしまったとかで、今年はさみしい芝桜富士になっていた。
この「五合目」はいつもだときれいに満開になっている場所だが、秋から今年の春に植え直したようでお花が小さい。
今日の掲示板はこれ。「苦しみや悲しみのおかげで 心は深くなり美しくなるのです」という荒了寛さんの言葉から。
幸福というものがあるのではありません。幸福と思うこころがあるのです。幸福と思う心が幸福なのです。楽な道を苦しみながら歩いている人は、近くても到達できません。苦しみの道を楽しみながら歩いている人は遠くても必ず到達できるのです。思い切ってあ「ありがとう」と一言云ってごらんなさい。その一言で相手もも変わるし、自分も変わるのです。苦しみや悲しみのおかげで、こころは深くなり、こころは美しくなるのです。これまでできなかったことも、これからはできるかも知れません。過去にとらわれることなく、やってみることです。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。