まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

手を合わせ 初心忘れな 曼珠沙華

2017年09月16日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や台風第18号の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夜のはじめ頃は激しく降る所があるらしい。気温は19.4度から22.3度、湿度は96%から79%、風は3mから7mの東南東の風が強まるらしい。明日の17日は、台風第18号の影響で大荒れの天気となる見込みらしい。

 

 朝から小雨が降ったりやんだりしているが、風は未だ無い。

 

 今日は「おへんろつかさ養成講座」の第三回講座で、「長尾寺実地研修」の日である。私たちは「駐車場係」ということで、車の誘導班である。

 

 こういう雨の日はお遍路さんのお参りも少ないので、私たちも誘導しやすい。

 

 今年からは、それぞれのガイドチームが境内の案内をして、私たちも実地研修になる。ここでは、「長尾寺観光ガイドチーム」の「草野部会長」がメインの境内案内をする。今日は「さぬき市ケーブルテレビ」の取材が入っている。

 

 東門や弁天堂、大師堂から本堂でのガイドになる。 開創は聖徳太子という説もあるが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造して本尊として安置。法相宗を開基した。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願された。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されている。

 

 こちらは副会長の「みゆき女史」が天神さんについてガイドした。唐から戻った空海は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗した。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺であったが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰した。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。その時に天台宗に改めている。

 

 その後、本坊の膳所に移動して、今度は座学になる。明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれている。

 

 本日の受講生は18名、卒業生の支援スタッフが12名の計30名余りと市役所職員など。

 

 一講目は、「さぬき市内の石造物について」という、香教委の片桐孝浩先生の講義。

 

 まずもって、「お遍路とは何か」から始まって、長尾寺から大窪寺間の石造物についてのあらましとか、茶堂や庵などの建造物や丁石、道標などについての講義があった。

 

 丁石というのは、札所(お寺)までの距離を刻んだ目印の石標だったり石仏だったりする。高野山では「町石」と呼んでいる。いずれにしても距離を知らせるものである。

 

 その後、11時10分からは長尾寺住職の木村俊雅師から、後ろの額について説明があった後、本堂に移動して、「仏教概論」や「長尾寺縁起」などについて、一時間の講義があった。

 

 台風が接近をしているようだが、今のところ、静かに雨が降り続けているところ。風も水音も変化はない。

 

  今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、合えたらいいね。


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