まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

生まれても 散っても一如の 宮桜

2018年04月18日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月18日(水曜日)晴れ 107-58-82  36.5  99%  62.35Kg 

 今日もいい天気なものだからお出かけをしたいのだけれど、そうそう、連日は出してくれそうもない。今度の20日のイベントと市長選の期日前投票を出しにして出かけようか。

 

 今日は身体拭きの日だが、ここは温めたタオルを二本出してくれるだけ。あとは自分でやってくださいというここらしいサービスである。ま、お年寄りや体を動かせない患者さんが多いわけで、何でも自分でできる(多分、私が最年少なのだと思う)のだから仕方がない。

 

 さて、17日の胸部X線検査の結果、やはり、右肺の下部に胸水が溜まっているらしい。それで、私が苦しいわけでも呼吸困難になっているわけではない。でも、少し動けば苦しくなったり、呼吸困難になったりはした(昨日のこと)。そこで、ドクターは、新たな「利尿剤:アゾセミド錠30mg」を追加した。これまでは、これと同じものと、サムスカ15mgが処方されているので、若干の追加ということになる。

 

 このわずか1錠の薬の追加で、1時間ごとに200ccほどの尿が出る。お昼前から夜中の0時までに2800cc、およそ3リットルもの排水になる。で、飲んだ水分量は800cc、単純計算で、2,800 - 800 = 2,000 という計算になる。だと、体重も2,000g つまり、2Kg 減るかと言えば、そうはならない。

 

 今日も入退院が相次いだ。帰っていく人は嬉々とし、入ってきた人は不安といらだちにおびえている。

 

 この前に交換したカーテンだが、洗濯が終わったようで元に戻す作業が行われた。吊ってあるカーテンを、まるで引き裂くようにカーテンレールから外す作業はマジシャンのよう。あんなに簡単に外せるのか・・・とマネしたくなるほど。

 

 また、洗濯したカーテンをカーテンレールのフックに掛けていく作業も手際よくて、「さすが、プロだなぁ」と見入ってしまった。ま、私には関係のないお仕事だけれど。

 

 久しぶりに、地籍図の確認作業をやってみた。改めて地図を見ると、ああ、そうだったなぁと、新たな思い出もわきあがってきて、幼いころに遊んだ田んぼや畑を思い出す。あそこの栗畑には犬の死骸を埋めたなぁ・・とか、あそこの田んぼで刈り取った稲は、みんなで運び出してきて脱穀したなぁとか、遠い日の思い出が甦る。弟たちは覚えているだろうか。

 

 携帯電話に見覚えのない番号からの着信があった。普通は、知らない人の電話番号は無視して削除してしまうのだが、何度も何度もかけてきているので電話してみた。「四国新聞社」だと名乗っている。聞けば、どこかで、おへんろつかさの会の「おだいしまいり」のチラシを見たらしい。そこに私の連絡先が印刷されていたらしい。しばらくお話をして、あとは、丸亀市のコミュニティセンター連絡するように言った。入院先では何もわからないというものだ。

 

 島にはちゃんと88の石仏(本尊)と、お大師さんの石像があるのだが、お接待のある札所にしかお参りはしない。最近はそれぞれの集落で3ヶ所くらいの札所になっていて、7集落だから21ヶ所だと思っている。20年ほど昔はそれの倍くらいあったのだが、過疎と高齢化でぐんぐんと減ってきた。今年は五月の連休の最終日だから、はてさて・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に夢があるのではない 夢が人生をつくるのだ」というもの。誰の言葉かは定かではないが、一説には「謝世輝[しゃ・せいき]」(台湾出身の成功哲学研究者、物理学者、科学史家・世界史家、東海大学教授、1929~)だと言われているが確かではない。人生に夢があるのかないのかは知らないが、夢が人生を作るというのは納得できる。私は「通信」という夢を追いかけて40年を過ぎてきた。今は「まほろば工房」という夢を追いかけて走り続けている。夢が人生をつくるということを信じて生きていきたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>