さぬき市地方は、朝方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていて、一時、激しい雨が降ってきたが、やがて高気圧に覆われて晴れてきた。気温は19.9度から26.6度、湿度は86%から64%、風は0mから2mの北東の風が少しばかり。明日の9日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
今日は塩飽広島町江の浦の広島神社の秋の例大祭なのに、激しい雨が降ってびっくりしたが、やがてのことには、まるで嘘のように晴れ渡って秋晴れになった。全く、なんとかごころと秋の空だった。
で、讃岐の国は晴れマークばかりになって、気温もぐんぐんと上昇してきた。
今週も天気は安定しない様子。この週末には草刈りができるかなぁと期待しているのだが、どうだろう・・・。
明日は前山出勤日。明後日が民児協の定例会。明後日までの調査者の確認作業をやっておく。昨年は調査漏れがあって、おはぎが足りなかったり、お祝い金が少なかったりして叱られた。
調査資料に、75歳以上、79歳以上、80歳以上、85歳以上・・・というランクがあって、一つ用紙を間違えば事故になる。相手も頼りないし、こちとらも危なっかしいばかり。
こういう調査もあって調べていくのだけれど、「おたくには認知症の患者さんがおられますか」なんて聞けないし、「寝たきり老人の介護をされていますか」なんて聞きもできないではないか。ご近所で聞いても「知りません」とか「わかりません」と逃げられてしまう。
年齢というものは毎年変化するし、カウント月でも変ったり変わらなかったりする。誕生日がしっかりとしていないと満年齢が計算できない。
担当地区内の状況把握。
この地区でも、しわく広島と似ていて「限界集落」に近いものがある。若い人は町に出てしまい、高齢者ばかりが残される。やがてには施設に入れられ、空き家が増える。もう、氏神さんの当番に入れない集落も出てきた。ご婦人と高齢者ばかりで、神輿守などの役目ができないのだと言う。
かくいう、この私だって、神輿守どころか、行列にも参加できそうにない。今日の江の浦神社の例大祭も、おそらく、神輿は拝殿前に飾られただけだろうと思う。もう、神輿をかつぐ人がいなくなってしまったのだ。この町の神社の神輿も、リヤカーみたいな台車のせられて「行幸(みゆき)」をしたことだろう。
戦後には、もっと大きなお神輿が三台もあって、勇壮だったと思うのだが、今は半分ほどの神輿が一台だけになって、それすら担ぐ人がいないのだという。これを引きながらの「行幸」になったはず。
今日の掲示板はこれ。「うれしい時も、悲しい時も、かけがえのない我が人生である。」というもの。世間一般的には人生が長いほうがより価値があるように言われたりするものだが、いのちというものが単に抽象的に長さだけで考えられてはならない。真に人間のいのちならば、長さのみならず幅もあれば深さもあるはずである。年齢を重ねれば、それだけ人生をよりよく見、経験するわけだから、それだけものわかりがいいはずなのに、反対に我が強くなり柔軟心に欠け、思い通りにならないと人生を嘆き、時には怒るなんてことが無きにしもあらず・・・・・やはり人は、いのちを空しく長さだけに生きるのではなく、いのちを深さにおいて生きることが大切なのではないだろうか。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。