まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

香る風 今日の荷物は 軽過ぎる

2019年04月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。朝方は海上に濃霧が発生していた。気温は17.5度から24.3度、湿度は96%から66%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の26日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 105/70/69 36.4c-97% 62.2Kg 1002hPa,22c,66% やや、体が重い感じ、おなかが張る感じ。少し食べ過ぎて飲み過ぎたのかも知れない。

 

 今日はしわく広島の「お大師参り」の日。いつもは静かなこの島が、大いに賑わいを見せる日なのだが、天候のせいか、平日のせいか、人出は思ったよりも少ない。

 

 7時半過ぎに、朝食の片付けも終わった頃から、弟と二人で「お大師まいり」に出かけてみた。ま、お大師まいりというか、「お接待」をいただきに回るのである。お賽銭だから、15円とか7円とか、財布からつかんだだけを賽銭箱に入れる。すると、パンだとかお菓子だとかをお接待にいただける。ここが一番霊場の「霊山寺」である。でも、今年はのぼりも旗もなく簡素な支度だけになっていた。

 

 ここは七番札所と八番札所である。お賽銭も一円玉が多いな。

 

 で、途中からおばちゃん二人をハントして、二人を軽トラの荷台に載せて、四人で島を回ることにした。おばちゃんらにしてみれば、観光ガイド付きで車で島を一周できるのだから楽ちんだ。

 

 こういうお接待の出ない札所はスルーして走る。

 

 ここだって、幟も旗も案内板もない。

 

 ここは一カ所で三カ寺分のお接待がいただけた。ここは本当のお寺でのお接待である。

 

 ここで、島を一周(半周)してきて、ここが「八栗寺」ということになっている。ここで、おばちゃんたちとお別れした。ここからだと歩いて10分ほどで江ノ浦港に着く。

 

 住職の久保田さんと少しお話などをしてきた。

 

 今回は19カ所でお接待が出されて、結果はこのようなもの。だんだんと高齢化と過疎化でお接待をする人もお世話する人も少なくなってしまった。そうなれば、お参りの数も減るという負のスパイラルに入ってしまうかも。

 

 我が家に戻って来たのが10時前だったもので、予定を早めて、10:45分の高速艇で帰ってきた。11時40分に弟の家に着き、我が家には13時ちょうどに戻って来た。

 

 一緒に回ったおばちゃん二人もこの船に乗っていて、来年の再会を誓い合ったが、明日のことがわからない私たち。はてさてはてさて。

 

 今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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