まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ちんちろりん 台風一過の 野をいやす

2016年09月26日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、太平洋側を中心に雨の降っている所があった。気温は22.3度から28.5度、湿度は94%から82%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇りで、夕方から夜のはじめ頃は雨の降る所があるらしい。

 

 という本を借りてきた。取り立てての意味もなく、そのあたりにあった本を掴んで借りてきたもの。この表紙にガリ版印刷の絵がある。「なつかしの」のすぐ下の絵である。確かに小学校の印刷物やプリント、宿題、絵日記帳・・・なんでもかんでもガリ版摺りだったように思う。

 

 こんなロウ引きの用紙を鉄やすりの上に置いて鉄筆で字や絵を描いたものを、

 

 

 このスクリーンの下に貼り付けて、右のローラーにインクをつけて印刷したものだった。中学校(1963)までは、そのような印刷だった。高校になると和文タイプとか英文タイプで印刷されていた。

 

 その後、輪転機というものになって多量に印刷できるようになった。専用の用紙に鉛筆やボールペンなどで文字や絵やを書いたり貼り付けて原稿を造り、それをローラーに巻き付けてスイッチを押せばどんどんと印刷できた。

 

 設計図面などは、「青焼き印刷機」というもので青焼きした。

 

 会議用資料なども青焼きしたが、ものによっては、

 

 こういうカーボン紙を挟んで複写することもあった。やがてのことに、カーボンには毒があるとか、PCBが入っているとかで複写用紙というものがなくなった。

 

 そしていつの頃からか、ゼロックスのコピー機というものが現れて文書印刷が楽になったことを覚えている。

 

 私のいた部署では、「DT-9658」とか、オアシスとかいうワープロマシンが入ってきたが、この、JW-10 というワードプロセッサーが誕生したのが、1978年の9月26日のことから、今日を「ワープロの日」と呼ぶのだとか。当時のおかねで630万円もしたのだとか。

 

 あれから38年・・・。ワープロという機械はすっかりと姿を見せなくなった。今頃はパソコンの中にワープロ機能を持ったアプリが搭載されていて、いとも簡単に文章を作成できるし、安価なプリンターで簡単に印刷も複写もできるようになった。写真だって簡単に文書の中に貼り付けることができるようになった。

 

 スーパーや郵便局の前には、早くも「年賀状印刷承ります」の案内が・・・。まだ9月の末だというのに・・・。

 

 それだったら・・・ということで本屋さんに行ってみると、あるではないか・・来年用のノートと暦が。ま、来年のカレンダーは決まっているのだから、特別な法律改正とかがない限り印刷することは可能だけれど。

 

 会社員時代から使い続けている博文館から出ている「DESK BLOCK」というダイアリーで、近年はこのB5版だが、それ以前にはA4番を使っていた。

 

 中身はこんな感じで真っ赤っか。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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