まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

夏が来た 睡蓮池に 午睡する

2015年05月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は17度から29度、湿度は84%から59%、風は2mから5mの南南東の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 香川県立図書館で借りていた本も、読み切れていないのだが、来週は京都に行くこともあって、本の返却をしておかねばと思って出かけてみた。旅先で何事があるかも知れないってことで、公共の本は、ひとまずお返ししておいたほうが良い。

 

 日本一、狭い県の香川県だけれど、調べ上げたらずいぶんといろんな人がいるもんだ。ま、とりあえず、「向山周慶」とか「軒原庄蔵」とか「平賀源内」、「久米通賢」とか「丸尾五左衛門」なんぞを調べていた。

 

 よせばいいのに、またしても、こんな分厚い町史を借りて来た。ここには、文庫本1冊にもなりそうなほどの「讃岐製糖業」の情報がたっぷりと・・。さすが、専門家、学者さんやね。事細かに調べあげてくれている。

 

 で、今日はここにやってきた。高松市仏生山町にある「仏生山来迎院法然寺」さん。来週に、法然上人の研究発表会があるので、そのご挨拶までに。

 

 ここは、歴代高松藩主の位牌が納めてある「松平家御霊屋(みたまや)」というお部屋。世が世ならば、こんな所に入ったら「無礼打ち」とか「打ち首獄門」になるかも知れない。昔はここから、裏山の「般若台」まで秘密の抜け道があったそうだが、度重なる地震とかで埋まってしまったとか聞いた。

 

 この御霊屋の右手前に、こんな人がいた・・・。「高松松平藩初代藩主・松平重公」であらせられる。合掌お念仏して、失礼した。ここは、一般の拝観コースには入っていなかったが、扉が開いていたのでお邪魔した。

 

 ここが本堂で、本尊は阿弥陀如来さまである。この右側には「善導大師」さま、左手には、法然上人さま、親鸞聖人さまの「お木像」が並ぶ・・・。

 

 この大きなお厨子が「法然上人」さまで、左手が「親鸞聖人」さまである。ここで、「来週は京都で研究発表を行いますので・・」と、ご挨拶申し上げておいた。内陣の、このすぐ前で合掌・礼拝(らいはい)しておいた。

 

 本堂の次は「納骨堂」。ここには、「骨仏」というものが安置されている。この三体が、それ。その反対側に、初代の「聖観音像」がある。つまり、四体の「骨仏」があるということになる。この手前の真新しい物が、近年に制作されたものという。納骨された「遺骨」を、この像に塗り込めてあるのだという・・・。

 

 これが、「平成二十六年」に開眼供養された阿弥陀如来像の「骨仏」である。

  

 で、ここからが、祖師堂である。建物は「三仏堂」と呼ばれているが、ここには歴代の住職上人のお木像が並んでいる。この手前の方は「法然上人」さまである。

 

 私が子供頃には、薄汚いものが並んでいただけだったが、近年には床も天上も、上人像も修復されてきれいになっている。こういうものが、南北にわたって東西に並んでいる。その要所を守るのは「四天王」である。

 

 その人たちに守られて、中央にあるものが、この涅槃像である。正面に阿弥陀三尊像が安置されているので、「三仏堂」とか「涅槃堂」とか呼ばれている。

 

 昭和の中頃までは、みんなで、この涅槃像のすぐそばまでお参りできて、腕とか、目とかは色が変わってしまっていて、まるでお釈迦様が目を開けて生きているよう・・・。

 

 天上から、お母さんの「マーヤ夫人」が薬を投げたが、木の枝に引っかかって、お釈迦様のところには届かなかったのだという。このことから「投薬」という言葉が生まれた・・・とか聞いた。

 

 ふと、見れば、時計は11時を少し過ぎていた。そこで、境内にある、この「竜雲うどんん」に入ってみたら、もう、早くも満席状態・・・。私は一人だから、ゆっくりと座ることができた。

 

 席に着くと、後から後からお客さんが入ってきて、すぐに満席になった。私は、この、「担々つけうどん小」をお願いした。580円だった。まだ、義歯がなじまないので、何を食べてもおいしくはない。

 

 ザルうどんを、このつけ出汁につけて食べる。最後に、このお出汁を、ご飯の上に掛けて食べる方式である。隣の席では、大阪のおばちゃんを讃岐の人が連れてきたのだが、大阪のおばちゃんは「中華そば!!3つやで~」と言うてはる。讃岐のおばちゃんが、「ここは讃岐やで、おうどんを食べてよぉ~」と言うのだが、「かまへん、かまへん。うちらは、中華そばや」と賑やかなこと。かなわんなぁ・・・。

 

 今日の掲示板は、途中のお寺でみつけたもの。「拝まないものも拝まれている 拝まない時にも 拝まれている」というもの。東井義雄さ先生の詩からである。仏さまに背を向けているような私であっても、仏さまは常に私を照らし続けてくださっている。私が仏さまを拝むより前に、仏さまの方が私を拝み続けてくださっていたというのである。私達の中の拝む心に先立って、亡き人・先祖から拝まれているのだと東井先生は言うのである。私達が忙しい忙しいとあくせく働いている日々の中で、亡き人を拝む心を忘れている時にも、常に思いがかけられていたんだと。しかも拝まない者にも「どうか手を合わせ拝む人間になってくれよ、そして迷わず正しい道を歩めよ」と願っておられるのだと言う。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



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