当初は二・三日の積もりで島にやって来た。記念法要の打ち合わせと、レキ墓レポートの提出が済めば、それで戻るつもりであった。だが、この日曜日、12日の日に、茂浦という集落で「百々手祈祷:ももてきとう」の神事が行われると聞いた。
だから、それを取材してから戻ることにした。この神事も毎年のことだから珍しくもないのだが、少しずつ人が入れ替わり、本来の姿が失われつつある。そういうものを記録しておきたいと考えたからだ。無くなってから記録しようとしても遅いのだ。
今日は昨日とは打って変わって暖かい日になった。だから、昨日の続きで墓地の探索をやってから、高速艇で丸亀に向かった。冷蔵庫の中の缶ビールやら食材も少なくなった。余るのも困るが、食材がないというのは不安なもの・・・。とくに缶ビールはなくてはならないもので、これがないと無性に不安になってしまう・・・。
正面が「しわく富士・王頭山」で、左手の船が高速艇の「ニュー・ビサン」。10時45分発で、丸亀港には11時過ぎに着く。海上約15分。
未だにここは、硬券を使っている。丸亀からは端末機による軟券になっている。
この時間帯だからか、乗客は数人だけだった。でも、これの折り返し便には20数人が待っていたのには驚いた。11時15分発というと、中途半端なようだけれど。それぞれの都合っていうものがあるんやろうね。
で、今日のお昼はここになった。丸亀市新浜町にある「うどん・浜っこ」。丸亀港の近く、西汐入川沿いにある一般店である。駐車場はないに等しくわずかに2台分。客席は24席と小さなお店だ。
で、珍しいおうどんの「みそぶっかけ小」をお願いした。これは冷たいものしかない。ここまで歩いてきたら汗まみれになったので、それをお願いしたというわけ。だから・・麺はゴム紐みただし、お味噌は冷たいし・・・。でも、汗まみれの私にはこれがちょうど良かった。これで280円だった。ついでにおひやというお水を四杯もいただいてしまった。
で、缶ビールやら日本酒やら食材やらを買って、13時30分のフェリーに乗った。このほんじま丸はフェリーボート、「びさん2」から見えた風景。お隣の塩飽本島に向かうフェリー。
あと、本屋さんに寄って、幕末に関する本を何冊か買った。いわゆる「幕末」というのは、嘉永六年(1853)のペリー来航から、明治二年(1869)の榎本武揚が降伏して戊辰戦争が終結したときまでを言う。いや、幕末の歴史をどうこう言うつもりはない。
ただ・・下関戦争、第一次長州征伐から第二次長征伐が終わった・・・慶応二年から、例の・・・「レキ墓問題」は始まってくる。長州藩と仲良くなった英国海軍の軍艦は瀬戸内海を通る時、何発かの砲弾を撃ち込んだ。それが・・・物語りの始まりだった・・・。
その薩長同盟とか長州征伐だとか、下関戦争だとかいうものを、少しばかり調べておかねば・・・みたいなことだった。英国軍艦の放った砲弾と、英国士官レキとはどこで、どう、つながっていくのだろうか・・・みたいなことを調べてみたくなったのだ。
ま、学校では習ったのか習わなかったのかは知らないけれど、そんなことは、私たちの暮らしにとって、何の必要もないし、何の役にも立つことでもないし・・・。そういう「無知」という壁が、いきなり・・・私の前に立ちふさがったという感じだろうか・・・。
これが、その・・・「レキの砲弾」と言われているもの。英国軍艦から発射された弾丸である。これがいかなる砲弾なのであろうか・・・。そういうことを考えた一日になった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
味噌の味加減がどんなだか 興味あります。
やや細めにしてコシのしっかりした麺と、たっぷりかかった麦みそは少し甘めで香り抜群。これを麺に絡めて食べるという初体験に挑戦してびっくり!
麺本来のうま味とみそが、これほどまでに相性が良いとは。
お味噌を食べたという感覚はないです・・・。
先日ケンミンショーで、うどんバーガーなるものが登場しておりましたが、ご存知でしょうか?
高松自動車道の津田の松原SAの限定商品ですよ。若い方にはおいしいかもしれないけれど・・・。
http://www.sanuki-udon.net/2011/02/_sa.html
こちらは、うどんアイスというものも・・・。
http://tabearuki-revue.seesaa.net/article/210943997.html