牛島のガイド役を頼まれているもので、前日には早くから寝て・・というても22時を過ぎてから寝たのだけれど・・・。で、目覚ましを六時にセットして・・・。
でも・・五時半過ぎには眼が覚めてしまって・・。それから寝ると寝すぎてしまうかなぁと思って起きてしまった・・・。坂出港に8時半集合・・・ということだから・・逆算して・・・計算をして・・。
でも・・なんだかんだとやっていたら・・六時半過ぎになってしまった・・。それから坂出港に向かった・・・。その途中で・・・朝うどんが食べたくなった・・・。こんなときにね・・。
ところが、今日は土曜日だし、朝の七時過ぎとなると・・なかなか・・朝うどんのお店が思い浮かばない。その思案の挙句・・・この「なかにし」に寄ってみた。
ここもしばらく立ち寄っていなかったら、今までの駐車場の奥に広い駐車場ができていた。民家を買い取って整地をしたものだろうか・・。 で・・「一玉」という小さなどんぶりを取ってカウンターに置くとうどん玉を一個いれてくれる・・。そんだけ・・。それで会計・・。200円。 あとは自分でテゴでうどんを温め、出汁をかけて、ネギや天かすをトッピングして食べる・・・。
好き好きなんだけれど、やや太くて・・小麦粉が匂うようなうどんはあんまり好きではないし、なんとなく田舎っぽいうどんの味だ。お出汁もやや薄いような気がする。だから・・・少しばかり醤油を回してみた。ま、多くの方が・・これほどに朝早くから集まってくるのだからおいしいに違いないのだが、なんとなく私には相性が良くない・・・。
おなかをおこしてから・・・坂出港を目指す・・。
坂出港には8時過ぎに着いた。これが「特船:とくせん」と呼ばれる「チャーター船」、塩飽史談会の高見・佐柳島研修のときにもこの船のお世話になった「第五あさひ」。これで一日、島巡りの旅に出る・・。
で・・塩飽本島の笠島港に入る・・・。ここで町並み保存地区や真木(さなぎ)邸を見学し、法然上人ゆかりの専称寺におまいりし、人名年寄のお墓などを見学して・・ふたたび あさひ丸に乗って島の裏側の「屋釜」地区に入る・・。
ここも観光のために立派な砂浜が整備され、ホテルのような建物も見えるけれど、客足が遠のいたためか廃墟のような寂しい風景になってしまっている。そのあたりにも保養地や別荘のような建物が残されているが・・・ほこりにまみれ、雑草に覆われている・・。
そんな中に・・石がある・・。
この普通にあるような石なんだけれど、石の上側に・・・矢穴という・・人工的に刻まれた穴の跡が残るし、石の左手には・・・①という記号と、三という記号が刻まれている。これが・・・大坂城や江戸城、皇居などの石垣に使われたものと同じ石材なんだと・・・。
この巨岩には「田」という字が刻まれている・・・。こうした石材が至る所に残されている・・・。これらの石の説明には「城石研究会」の山地先生ほか・・。
江戸城とか大坂城の残石が・・・丸亀城の石垣にも使われているのだとか。
一行は・・・ここで昼食のお弁当を食べ、休憩のあと・・、牛島探訪の旅に移ったのであった・・・。
あとは・・説明に重点をおいたために・・・何の写真も証拠もない・・・。
で・・・坂出港には15時半に戻って解散・・・。私は孫たちが待っているもので反省会はパスさせていただいて我が家に急行・・・。夕食に間に合ったことだった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
でも・・五時半過ぎには眼が覚めてしまって・・。それから寝ると寝すぎてしまうかなぁと思って起きてしまった・・・。坂出港に8時半集合・・・ということだから・・逆算して・・・計算をして・・。
でも・・なんだかんだとやっていたら・・六時半過ぎになってしまった・・。それから坂出港に向かった・・・。その途中で・・・朝うどんが食べたくなった・・・。こんなときにね・・。
ところが、今日は土曜日だし、朝の七時過ぎとなると・・なかなか・・朝うどんのお店が思い浮かばない。その思案の挙句・・・この「なかにし」に寄ってみた。
ここもしばらく立ち寄っていなかったら、今までの駐車場の奥に広い駐車場ができていた。民家を買い取って整地をしたものだろうか・・。 で・・「一玉」という小さなどんぶりを取ってカウンターに置くとうどん玉を一個いれてくれる・・。そんだけ・・。それで会計・・。200円。 あとは自分でテゴでうどんを温め、出汁をかけて、ネギや天かすをトッピングして食べる・・・。
好き好きなんだけれど、やや太くて・・小麦粉が匂うようなうどんはあんまり好きではないし、なんとなく田舎っぽいうどんの味だ。お出汁もやや薄いような気がする。だから・・・少しばかり醤油を回してみた。ま、多くの方が・・これほどに朝早くから集まってくるのだからおいしいに違いないのだが、なんとなく私には相性が良くない・・・。
おなかをおこしてから・・・坂出港を目指す・・。
坂出港には8時過ぎに着いた。これが「特船:とくせん」と呼ばれる「チャーター船」、塩飽史談会の高見・佐柳島研修のときにもこの船のお世話になった「第五あさひ」。これで一日、島巡りの旅に出る・・。
で・・塩飽本島の笠島港に入る・・・。ここで町並み保存地区や真木(さなぎ)邸を見学し、法然上人ゆかりの専称寺におまいりし、人名年寄のお墓などを見学して・・ふたたび あさひ丸に乗って島の裏側の「屋釜」地区に入る・・。
ここも観光のために立派な砂浜が整備され、ホテルのような建物も見えるけれど、客足が遠のいたためか廃墟のような寂しい風景になってしまっている。そのあたりにも保養地や別荘のような建物が残されているが・・・ほこりにまみれ、雑草に覆われている・・。
そんな中に・・石がある・・。
この普通にあるような石なんだけれど、石の上側に・・・矢穴という・・人工的に刻まれた穴の跡が残るし、石の左手には・・・①という記号と、三という記号が刻まれている。これが・・・大坂城や江戸城、皇居などの石垣に使われたものと同じ石材なんだと・・・。
この巨岩には「田」という字が刻まれている・・・。こうした石材が至る所に残されている・・・。これらの石の説明には「城石研究会」の山地先生ほか・・。
江戸城とか大坂城の残石が・・・丸亀城の石垣にも使われているのだとか。
一行は・・・ここで昼食のお弁当を食べ、休憩のあと・・、牛島探訪の旅に移ったのであった・・・。
あとは・・説明に重点をおいたために・・・何の写真も証拠もない・・・。
で・・・坂出港には15時半に戻って解散・・・。私は孫たちが待っているもので反省会はパスさせていただいて我が家に急行・・・。夕食に間に合ったことだった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
きっと皆様満足なされた事でしょう。
「何の証拠も写真もない」というのは同感です。
まほろばさんがお見えになった会も、
私は「一枚の写真も撮れず」に終わってしまいました。
来年も元気で塩飽を駆けずり廻りましょう。