まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

そのままに ゆだねられての 緋のもみじ

2016年11月26日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で午後には曇り、夜遅くには雨が降るらしい。気温は7.3度から15.3度、湿度は80%から70%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の27日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雨が降る見込みらしい。

  

 さわやかな朝になったので、少しばかり遠めの散歩に出た。皇帝ダリアはよく見聞きするのだけれど、皇帝ひまわりというのを聞いた時には、「そんな、バナナ・・・」と思ったのだが、どうやら、これがそうらしい。

 

 実は、12月1日に、とある団体の歓送迎会があるのだという。その集合場所というか、送迎バスが来る場所が「大川町役場」現さぬき市大川支所だという。奥方はお仕事で送迎はできないという。「だったら、歩けば~♪」という優しい奥様なのである。だったら、歩いてみようと思ったわけだ。昨年には、このコースで歩いている。

 

 これが、その「大川支所」。歩いて50分だった。加齢のためか、横着になったのか歩くのが遅い。8時半に家を出て、ここに着いたのが9時20分。たぶん、当日も大丈夫だろう。当日はここまで歩いて来るだけでいい。10分間お休みして、我が家に戻ったのが10時半だった。

 

 もう、ホトケノザが咲いている。ホトケノザというのは「春の七草」の一種なんだ。

 

 お昼からは、お隣町にある「農村環境改善センター」に出かけた。今度はさすがにマイカーである。今日はここで講演会があるというので聴講しようと思ったわけ。

 

 私は地元のことは何も知らない。若いころは暗いうちに会社に出かけ、暗くなって帰ってきた。丸亀沖の広島にもいた。だから、こういう団体があることも知らなかったし、全く、興味もなかったのだ。ただ、「熊田正美」という名前には聞き覚えがあったし、「地神さん」には興味があったのだ。

 

 このブログの愛読者ならば、何度も「地神さん」は出てきたはず。春と秋には必ず例祭が行われてきた。だから、少しばかりは調べもし、調査もしてきた。そういうことで、会員以外だけれど「聴講」という形になった。

 

 こんな、地神信仰なんて興味あるまいと思っていたが、みるみるうちに満席になって、予備席まで作られて、お坊さん風に言えば、「満堂」状態。歴史好きな人って多いんだなぁと思った。

 

 これが、今日の講師の熊田先生。私の中学の後輩。弟・よっくんの同級生らしい。ずいぶんとおじいさんになったが、そういう私は、もっと、おじいさんなんだ。この左端のおばさま、おへんろつかさの会でもお会いする方。顔なじみが増えてきた。

 

 確かに確かに、細かな調査をされて、しっかりとした整理もできていたけれど、阿波藩の蜂須賀公の政策には全く触れられていなかったのが意外。地神信仰の五角形石塔が阿波から来たというのは調査されていたが、その根本の政策に触れられず、金光明護国の寺とかのお話になったのが意外だった。

 

 そこで紹介されたのが、うちの自治会の地神さんだった。

 

 こういう、色付きの「幟(のぼり)」を立てるのは、この集落だけらしい。少し前には黄色もあったはずだが、近年はこういう配色になった。

 

 こういう、のぼりが立てられるのは、我が集落だけだというのは真実驚いたものだった。来年の例祭には皆さんに報告しておかなければ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日はよく働いたと 夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった」という、大倉喜八郎さんの言葉から。大倉 喜八郎さんは、明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した日本の実業家、中堅財閥である大倉財閥の設立者。渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者でもある。従三位男爵。号は鶴彦。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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