まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

法水の 流れ豊かに 秋彼岸

2016年09月22日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は湿った空気や前線の影響で雨が降っていた。気温は21.7度から24.5度、湿度は92%から94%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。今日は弱雨の一日になった。明日の23日は、湿った空気や前線の影響で曇り、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 今日も朝から雨の一日になった。どうにも食欲もなくおなかが張るような感じだったので、軽く散歩に出たが、やっぱり、しっかりと濡れてしまった。傘を差すような雨でもなかったが、40分も歩けばジャージの上下は重たくなってしまっていた。

 

 明日だとばかり思っていた秋の永代経法要が今日だと兄弟子の三好師に知らされて、大急ぎでお寺に入った。午前11時を過ぎていた。

 

  讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏 落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。その後正覚寺と号した。九代目願故のときの貞亨元年(1684)三本松村に移り、海暁山勝覚寺となったとされ、港町三本松の発展とともにその勢力をひろめ、寺院としての体裁を整えたと伝えられている。

 

 正午の梵鐘は英海さんが撞いてくれた。正式には7分間に10回の鐘を撞くらしい。私は好きなだけ撞いていればいいと教えられてきたのだけれど。

 

 今日は久々に兄弟子の三好師が出勤してくれて受付をしてくれていた。

 

 空は曇っているし、ときおり雨が落ちてきていたもので、みんな、何人のお参りがあるのだろうと心配していたが、けっこうなお参りの方が集まってくださった。

 

 お勤めは13時30分から仏説阿弥陀経と現世利益和讃。

 

 今回の導師は三男の善海師。清楚な声がよく沁みた。

 

 今日のご法話は高松市の佐々木安徳師。「愛顔敬語」、良き言葉を聞きなさい・・・というようなお話だった。

 

 菩提樹は中国原産の落葉高木で高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。我が国へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられ ており、日本では各地の仏教寺院によく植えられている。お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いたとして知られているが、お釈迦さまの菩提樹は本種ではなく クワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹、Ficus religiosa)のことらしい。中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われているらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。「人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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