まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あれやこれ 山はなかなか 笑わない

2016年04月15日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.2度から21.2度、湿度は85%から42%と、気持ちの良い初夏のような季候になった。明日の16日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜は雨の降る所がある見込みなんだと。

  

 山菜もタケノコも飽きたしなぁ・・・ということで、今日はここに行くことにした。

 

 この、「千手観音」と、刀剣の「ニッカリ青江」である。というのも、私のブログの検索項目に、最近多いのが、「ニッカリ青江 混雑」というワードなのである。そんなに混雑するか・・・ということで、のぞいてみようと思って居たのだった。

 

 そんなにすごいのかなぁ・・ということでやって来たものの、人影はまばら。平日の朝だから、若い人はお仕事中の筈。

 

 ところが、ここではこちらがメインのよう。こういうポスターがあちらこちらに張られている。

 

 入場券まで、こんなもの。「ピカソは見てもわからんので、刀を見たいのですが・・」と言うと、「ピカソのコーナーを通って、次の会場に進んでください」と仰る。そこで絵画や彫刻などが並ぶ中をすり抜けて、次の展示室へ・・・。

 

 ここは、空海さんの常設展示室である。その一角に、この千手観音立像が置かれている。(NET画像より)

 

  この観音さまは、宇多津町にある聖通寺山の中腹にある聖通寺の宝物で、現在、収蔵庫を修復しているので、その合間にお借りをして研究調査をして展示してあるそうだ。時代は平安時代の作とされている。重要文化財である。(以下、パンフレットから)

 

 「鬢髪(びんぱつ)」という、耳の前から紐状の鬢髪が2本垂れて、耳をわたって後へ流れるというのが特色らしい。でも、こうした仏像も、お寺にあればそれらしく手も合わせるのだが、こんな場にあると「工芸品」とか「美術品」とか「展示物」という意識が働いて「鑑賞」するという気持ちになってしまう。

 

  さて、今日のメインの「KATANA」である。刀に「名物」というものがある。由緒があったり、すぐれていると高く評価されたりする茶道具や刀剣をさす言葉らしい。その名物のうちの2本がこれ。

 

 高松松平家伝来の脇差し「切刃貞宗」で、由緒としては「明智日向守光秀」が所持していたもの。この刀は大坂の陣で火災に遭い、「消失名物」に指定されているもの。

 

 これが丸亀京極藩に伝来した「ニッカリ青江」である。にっかりと笑う女の幽霊を切った筈が、翌日には石塔が切れていた・・・という由緒が名物帳に記載されている。価値が高すぎて代付けができないので「無代」と記載されている。

 

 若い女性が押し寄せる「刀剣乱舞」の看板がここにも置かれていた。このゲームに登場するのが、「にっかり青江」である。だから、「混雑」するのだろうが、杖をついたおじいさんと私だけが鑑賞していただけであった。週末には大勢が押し寄せるのかも・・・。

 

 午後からは、講演会のリハーサルをやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「去年ともに歩きし人よ いないということ思い知る葉桜の下」という俵万智さんの唄から。 《チューリップのペンダントして歩く道 鈴のようにも涙のようにも》  《去年ともに歩きし人よ「いない」ということ思い知る葉桜の下》 葉桜を見ると私はいつも、人との出会いや別れを思い出す。『短歌は、ぼんやりとしていては、生まれない。けれど意識しすぎても、だめだ。いつ訪れるかはわからない「あっ」という心の揺れ、それが種となって、少しずつ育ってゆく。花は、そんな心の揺れを、たくさん私に運んでくれる大切なパートナーだ。俵万智さんの言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


夫婦連れ 遠回りする 芝桜

2016年04月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は湿った空気や気圧の谷の影響で雲が広がっていたが、昼過ぎから高気圧に覆われて晴れてきた。気温は8.8度から24.8度で、一部では夏日になったかも知れない。湿度は94%から72%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。すっかりと夏の気候になった。明日の15日は引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

  

 まだまだ、鍋の中にタケノコがあるのに、「時期の物だからどんどんと掘って来てよ~」と仰るので、旧宅の竹藪に行って来た。

 

 もう、サルもイノシシも飽きたのかも知れない。こんなにどっさりと掘って来た。

 

 縦に半分に切って、ごそっと皮を剥く。こうすれば手早く処理できる。ものの本によれば、皮ごと湯がく方法があるらしいが、そのほうがおいしんだろうか。皮を湯がくのはムダのような気がするのだが。

 

 わが家はこんな風にして皮をむいたものを湯がくことにしている。

 

 で、鍋二つ分になった。もっと大きな鍋があると思うが、ここの台所はわからない。

 

 昨日は東かがわ市の「芝桜富士」を見て来たが、今日は高松市西植田町にある、「カフェ・ジャルダン」にやってきた。日記を見ると、毎年、4月14日に、ここに来ているらしい。

 

 今年の入場料は300円だった。ここもぞろぞろと大勢の方が見物に来るので、300円でも、相当な金額になるなぁと思った。ま、ひとさまのお財布まで心配することないのだが。

 

 普段の時には入場料などいらずに、カフェに入れるのだが、芝桜まつりの時には入場券売り場が特設される。お花の管理料という名目である。

 

 これは昨年の写真である。

 

 この芝桜だけを見に来る人が圧倒的で、カフェに入ったり、シフォンケーキを買う人は少ない。

 

 今年の「芝桜アート」は「ネコ」のよう・・・。昨年はカエルだったし・・・

 

 その前の2014年は「ペガサス」だった。毎年、ここのご主人が考えて植え付けをするらしい。

 

 これは、歌手の「鳥羽一郎」さんが植え付けた「兄弟船」である。

 

 関西や東京から高松空港に向かって来る飛行機からも、この芝桜が見えて、機内アナウンスもされるという。

 

 およそ、4500坪の広い敷地に、20万本を越える芝桜を植えてあるというのだから見応えがある。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人の悪口はウソでも面白い 自分の悪口はホントでも腹が立つ」というもの。そういうことって、周りにはいくらもある。だからと言って、腹ばかりも立ててもいられない。極力、そういうことを聞かなくするしかないが、これまた、聞こえなくなると余計に不安になったりする。とかく我ら凡夫は悲しいさがの生き物であることか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


芝桜 思い思いの時がある

2016年04月13日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は湿った空気や気圧の谷の影響で雲が広がり、夕方からは雨が降ってきた。気温は8.8度から19.8度、湿度は94%から64%、風は0mから1mの東北東の風が少しばかり。もう、夏のような陽気になった。明日の14日は、湿った空気や気圧の谷の影響で雲が広がり、未明までは雨が降るけれど、高気圧に覆われて昼前から晴れるらしい。

 

 「もう少し、ワラビが欲しいから採っておいてね」と仰るものだから、わが家の庭先でワラビを探してみた。けっこう、生えているもんだ。わが家の裏庭にはツクシもたんと生えている。春先にはフキノトウも生えていた。ずいぶんと田舎にやってきたんだなぁと思った。

 

 このくらいあればいいだろう。私はワラビはもういい。

 

 講演会のリハーサルをやって、時間が80分になったので、20分を減らさないといけないので、昨夜、10枚ほどの画面を削除した。ばっさりと削除するのはもったいないので、「非表示スイライド」という設定をした。

 

 それで、時間を計り直したら、やっぱり、80分になる。話す内容が決まっているから、スライド画面を幾ら少なくしても時間は同じ・・・ということになる。「どうしたもんじゃろうかいのぉ」。

 

 何回もはリハーサルはできないので、またしても集落内一周の散歩に出た。こういうサルの食べ散らかした跡があちらこちらに・・・。これを掘って、上の部分を切り捨てたら充分に食べられるのだが・・・

 

 まだまだ、タケノコはしっかりと残っている。タケノコばかりも食べられない。

 

 お昼からは病院に行って来た。今月の27日が予約診察日なのだが、この週はしわく広島に帰らないといけない。そこで診察日の変更をお願いした。すんなりと、前の週の21日に変更してくれた。これで心置きなく島に帰って草刈りなんぞができることになった。

 

 そのついでに、ここに寄ってきた。東かがわ市帰来という地区にある「芝桜富士」である。

 

 元は栗林だった林を開墾して、富士山状に芝桜を植えた私設の公園である。左端の山小屋が古い木製の電柱や廃材を利用して建てたもの。「森本君は電柱で家を建てよるよ~」というのは聞いていたが、22年をかけて、こんなものを建てていたらしい。

 

 「私は大工ではありません」というのが彼らしい。元はNTTの事務系の社員だった人。コツコツと自分で趣味で作ったもの。念のために付け加えておくけれど、自宅はちゃんとした工務店の建てた正規の家で、これは趣味の家という山小屋である。

 

 これが空き瓶を利用した明かり取りの窓。

 

 これが2トン車のフロント硝子を使った窓である。こうしたものが随所にある。

 

 やっぱり見所はこの「五合目」である。

 

 こんな風に、今が見頃だろうか。

 

 ここから上はうっすらと咲いている感じだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「知らないことがあっても落ち込まない。知らないから調べてみる。できないからやってみる。行ったことがないから言ってみる。そういう選択もある」というもの。秋山裕美さんの「そっと心にささやく元気が出る50の言葉」から。そして、「名言コツコツ」さんからの言葉である。「知らないから調べてみる」「できないからやってみる」「行ったことがないから行って見る」・・・・。良い言葉だなぁと思う。そうでなくては面白くないじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花冷えと いつまでも言う 道の駅

2016年04月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜遅くには湿った空気の影響で雨の降る所があるらしい。気温は5度から16度、湿度は80%から55%、風は1mから3mの東北東の風が冷たかった。明日の13日は、湿った空気や気圧の谷の影響で雲が広がり、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

 

 今日は火曜日ということで、おへんろ交流サロンに出勤になった。朝方から気温が低くて風が冷たい。

 

 少し早く着いたので、この「道の駅ながおに」寄ってみた。ここには野菜の産直市もあるので、野菜を見てみたいと思ったので。

 

 ここは「竹の里」とも言われていて、竹の工芸品や「かぐや姫カーニバル」も行われるほど。だから、タケノコがたくさん出るんだろうなぁと思ったら、こういうものがどっさりとあった。こんなにあるのだから安いのかなぁと思ったが・・・。

 

 けっこうなお値段がする。ふ・・・ん、町の人はこういうものを買って食べるんだ・・と、すなおに思った。

 

 ワラビだって、山に生えているものなんだが、一束250円・・・。

 

 タラの芽が180円。こういうお値段って、どうやって決めるんだろう。スーパーなんぞの相場表みたいなものがあるんだろうか。重さで、「あ、これやったら120円」みたいに決めるんだろうか。ひとさまの財布を思案しても仕方がないが、お値段しすぎだなぁと思った。この半額でもいいのになぁと・・・。

 

 9時前になって、みんながやってきた。

 

 会長さんたちは総会に向けての会計処理。決算額とかを計算している。私たちはチラシ類の校正やら、私の講演会のレジュメのチェックやらをやっていた。人によって、「語彙」が違うから、「こんな言葉は見たことないなぁ・・」とか、「こんな言葉は高圧的過ぎるでしょ」と、わぁわぁ言いながらやっている。

 

 五月のイベントの準備やら、総会の準備やらをやって午前中が過ぎた。

 

 お昼の時間に、さぬき市のCATVで、「納め札特別展」を紹介している。

 

 こういう、動きのないものを紹介するのは変化がなくて難しいと思うが、やはり、プロだなぁと思うように、うまく編集されていた。

 

 お昼からは腹ごなしに「集落巡回ウォーク」をやってきた。集落内の全家庭を回る一巡コース。自治会長になったから・・・というのではないが、これから一年、広報の配布やら集金やらで回るのだからと、下見を兼ねて歩いてきた。50分ほどの散歩になった。

 

 その後は総会資料の作成やら校正やらをやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「親切が過ぎると怨まれます 親しすぎると疎まれます」という、荒了寛さんのカレンダーから。親切が過ぎるとおせっかいにもなるし、親しすぎるとなれなれしいと思うようにもなってくる。そのかねあいが難しいところ。遠く成らず、近くならず・・・という距離感も必要なのかも。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


飄々と 任運自適の シャガの花

2016年04月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11度から15.8度、湿度は82%から53%、風は2mから6mの北の風が強くて肌寒い一日になった。明日の12日は高気圧に覆われて晴れるけれど、朝は霜に対する農作物の管理に注意するようにと気象台は言っている。午後は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 昨日の疲れが出たものか、朝は6時半までぐっすりと寝ていた。いつもは窓の外が明るくなると寝ていられない性分だったのに。

 

 「シャガの花が咲けばタケノコが生える」と、祖母のフジエさんが言うていたのを思い出した。

 

 で、山の旧宅に行ってタケノコを探してきた。台所のお鍋にはまだまだ湯がいたタケノコが残っているのに、小さいながらもこれだけのタケノコが見つかった。そのままにしておくとサルにかじられてしまうのだからと掘りあげてきた。

 

 皮を剥いて鍋に入れるとこれだけになった。明日も明後日もタケノコ料理になりそうだ。

 

 やっぱり歩くと身体の調子がいいので、またしてもウォーキングに出た。

 

 今日は趣向を変えて、この水路を歩いて行くことにした。この水路はみろく自然公園にある「奥池」に通じている水路であるが、この時期には水が流されていないので歩いて行ける。

 

 水のない水路や、こうした保守用の通路の上を歩いて行く。昨日もどなたかが言うていたが、「ウグイスの声」が聞こえない。春前にはヘたな声が聞こえていたが、上手になったウグイスの声は聞かずじまいだった。それに、今頃はまだまだウグイスの声が聞こえる筈だのに。

 

 こうした水路はしばらく進むとトンネルに入る。「みろく隧道」と呼ばれるものだ。そこは真っ暗でしゃがんで進まないといけないので、その手前から県道に下りて、県道を歩いて行くことにした。

 

 お昼からは、講演会用のスライドの修正追加作業。実際にこれを見ながら話してみて、いらない言葉や語呂の悪い部分を修正していく。「瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島・・・」とあるが、塩飽諸島は浮かんではいないのだ。NHKのテレビやラジオでも、こういう表現をするから良いようなものだが、浮かんでもいない島を「浮かぶ」と表現するのはいかがなものか・・・などと。

 

 「法然上人二十五遺跡(ゆいせき)巡拝」や「親鸞聖人二十四輩巡拝」にも触れたので、そのあたりも確認しておく。

 

 その資料になる本も用意をしておくことにする。

 

 配付資料の表紙も作成した。明日は、その配付資料のチェックをお願いするので、その準備もやっておく。まだまだ先だ、まだ先だ・・・と思って居たが、もう、10日と少しになってきた。一週間なんてあっという間だ。

 

 ま、そんなに慌てることもないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「笑っても泣いても怒っても あなたはあなたでしかありません そこであなたはどう生きるのですか」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあったお言葉。「笑っても泣いても怒っても、あなたはあなたでしかありません」と、突き放しておいて、「そこであなたはどう生きるのですか」と、詰め寄られてもどうしようもない。「あるがままに生きて、なすがままに任せきるしかない」と、私は開き直ってはいるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


振り散って 桜吹雪の へんろみち

2016年04月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、昼過ぎにかけて雲が広がり、その後は高気圧に覆われて概ね晴れてきた。気温は11度から20度、湿度は96%から67%、風は1mの南西の風が少しばかり。明日の11日は高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、朝にかけては寒気の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 今日は幾つもの予定があったのだけれど、早くから決められていたもので、「おへんろつかさの会」の行事に参加した。今年は「うるう年」ということで、お遍路さんは「逆打ち」をするというのである。つまり、閏年の時には、88番から逆に、87番、86番と巡拝するのだ。

 

 で、皆さんは86番札所の志度寺のある志度から、コミュニティバスで大窪寺にやってきた。私は「緊急輸送係」ということで、マイカーで合流した。ま、長距離を歩くので、足を痛めたり、転んだりした時に、会員さんを病院ほかへ運ぶ係である。

 

 で、今回の参加者は36名。「逆打ち讃岐一国参り」ということだが、健康ウォークみたいなものだ。今回のリーダーが、この中央の多田先生。歩き遍路を何回もやっているらしい。

 

 9時半に到着して、45分には大窪寺を出発して「遍路道」を勉強しながら歩いて行く。旧遍路道にも踏み込んで遍路墓などについても勉強した。

 

 こういうお遍路さんのお墓があちらこちらにある。ここには備後の国のお遍路さんが埋葬されている。

 

 旧多和小学校跡でトイレ休憩。みなさんが歩いて来るまでに、私は「天体望遠鏡博物館」に入った。入場料は300円だった。

 

 各地の天文台や家庭で使われなくなった望遠鏡を集めた全国初の天体望遠鏡博物館で、3月12日に開館式があった。廃校になった校舎を利用した博物館には200以上の望遠鏡が並んでいる。元日銀高松支店長の村山昇作さん(66)ら天文愛好家が「一般社団法人天体望遠鏡博物館」を2010年に立ち上げ、現在は全国に約30人のメンバーがいるという。

 

 古い物から新しい物までさまざまで、各地の学校や高校などにあったものが多いかなぁと感じた。

 

 この「木辺氏」というのがすごい。真宗木辺派錦織寺第21世ご門主さまである。その方が、レンズを磨くのが上手なのだそうだ。

 

 ま、何を説明されてもチンプンカンプンである。望遠鏡というと、一万円くらいなものしか知らないのに、数千万円の望遠鏡だと言われてもピンとは来ないのだ。

 

 みんなと合流したので、今度はその先の「細川家住宅」まで進んで、みんなを待ち受ける。そういうことを繰り返しながら、けが人や体調を崩した人がいないかを確認しながらついていく。

 

 いつもの「おへんろ交流サロン」で昼食。12時半過ぎに到着、13時20分に出発。

 

 ポイントごとにお勉強しながら歩く。ここは「高地蔵」と「流れ勧請」で有名な場所。

 

 その間にも何カ所かを見学した後、87番札所に到着。今日はお遍路さんが多くて、大型バスが入れ替わり立ち替わりだった。ここが15時。これから86番志度寺まで行くのだが、2時間はかかるというので、私はここで失礼させていただいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に夢があるのではない 夢が人生をつくるのだ」というもの。誰の言葉かは定かではないが、一説には「謝世輝[しゃ・せいき]」(台湾出身の成功哲学研究者、物理学者、科学史家・世界史家、東海大学教授、1929~)だと言われているが確かではない。人生に夢があるのかないのかは知らないが、夢が人生を作るというのは納得できる。私は「通信」という夢を追いかけて40年を過ぎてきた。今は「まほろば工房」という夢を追いかけて走り続けている。夢が人生をつくるということを信じて生きていきたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


すっかりと 忘れ去られた 花むしろ

2016年04月09日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で、薄雲が広がってきた。気温は10.4度から21.4度、湿度は94%から62%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の10日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 毎年毎年、自治会長が交代すれば、何もかも名義変更をしなければならないのだが、水道や電気の検針伝票(電気ご使用量のおしらせなど)も、自治会長に届けるようお願いしないといけない。そんな面倒なことしなくても・・・ということで、簡易ポストを設置した。検針結果は、ここに入れてもらえばいい。前から、そうしたいと言いつつ、誰もやらなかったので、amazonで安い物を買って取り付けた。

 

 これで、自治会長のお役目も少しは楽になるかも知れない。

 

 で、山の家に行って来た。イノシシにもサルにも気付かれずにタケノコが残っていた。見えるかな、小さな黄色い耳のような芽が・・・。

 

 この芽の向きをよく見て、その根っ子を確認する。白い矢印のところに一撃でクワを打ち込む。

 

 すると、タケノコが浮かび上がって来る。小さいようでも、案外と大きなタケノコだった。

 

 弟の黒い車みたいな車とすれ違ったが、弟じゃなかったのかな。こんなものを見逃す筈がないなぁと思いながら・・・。

 

 今日の収穫はこんだけ・・・。ま、二人だから、これで充分。

 

 皮を剥いてもこれだけあれば充分過ぎる。

 

 で、奥方が用事があるというのでお出かけしたが、そのついでにここに寄った。ブログを見ると一年ぶりらしい。「うどん狂いだ」「うどんキチガイだ」、「うどん依存症だ」、「よくうどんに飽きないものだ」などと言われたので、しばらくうどんを食べないでいたので、本当に久々の「溜(たまり)うどん」だった。

 

 今日は気温も上がったので、「肉ぶっかけ小の冷や」を注文した。370円だったように思う。久々のうどんは硬いなぁと思った。ぶっかけ出汁も少し辛いかなぁと思ったが、おいしいので、ついつい、全部呑んでしまった。また、「塩分取り過ぎだ」と言われるかも知れない・・。

 

 このあたりにうどん屋さんがないからか、いつ横を通っても駐車場はいっぱい・・。でも、回転が速いので、そんなに待たされることはない。入り口に行列ができていても、10分もは待たされない。

 

 今日も12時半に行ったおかげで行列にはなったけれど、ものの5分も待つことはなかった。店内はおしあいへしあいだったが、食べて出るときにはガラガラになっていた。あの人達はどこに消えたんだろ・・と思うほど。ま、讃岐の人は、うどんはかまずに呑み込むようだ。

 

 そうそう、鯉のぼりが風を呑み込んで泳ぐように、座ったと思ったら、ずるずるとうどんを呑み込んで、さっと立ち上がってお店を出て行く。私は5分もかからずに店を出たが、奥方が出てきたのは15分後だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を温める」というもの。言葉」というのは、恐ろしいものだと思う。ふだんの何気ない一言で自分が傷つき、そして、他人をも傷つける。会話するとき、いちいち言葉を選びながら話すわけではないのだから。布教法の先生から、「あなたの話は舌足らずだ」と言われたり、「余分な言葉が多すぎる」と言われたり・・。私の言葉も未熟みたい。「吐いたツバは飲み込めない」、「吐いた言葉は戻らない」。傷つけられたその「一言」というのは、けっこういつまでも忘れないものだと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


やまつつじ お墓ばかりを 見て通る

2016年04月08日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で午後からは雲が広がってきた。気温は13度から21度、湿度は88%から63%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。すっかりと春の陽気になってきた。明日の9日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は香川県立図書館へ本を探しに出かけたのだが、この、高松東警察署で警察官に止められた。「朝から検問か・・・」と、シートベルトや免許証を確認したら、見慣れたお坊さんが何人かいる・・・。

 

 「今日はお釈迦様の誕生日で、キャンペーンをやっております」と、小さな袋をいただいた。

 

 ふーん。町の仏教会が「いのち尊し」ということで、交通安全キャンペーンをやっていると言うのである。

 

 袋の中には「芝桜」が一鉢、入っていた。なるほど、「花まつり」なのか・・・。

 

 当然、こういうチラシも入っていた。朝からお疲れ様でした。

 

 で、9時の開館と同時に入館した。で、借りていた「長尾町史」ほか数冊を返却した。

 

 で、書庫に収められているこの「両墓制と他界観」とか・・

 

 「中世の葬送・墓制」とか「神と霊魂の民俗」とかという民俗学の本を6冊借りて来た。ま、「両墓制」に関するものばかり。なんで、一人のためにお墓を二つも作るのか・・・ということを調べている。

 

 私が初めて、塩飽諸島の「しわく広島」に行った時・・・・

 

 こういうお墓を見て驚いたのである。「なんだ、こ、この墓は・・・」と、思わず、カメラを向けたもの。で、そのあたりには、自然石を置いたものや、普通の石塔墓も向こうには見える。これが「両墓制」との出逢いだった。で、両墓制について調べた膨大な資料も倉庫から出てきた・・・。

 

 そこで、その資料の中から古い写真を探し出してきて、両墓制について撮影した写真を集めて、これを電子化することにした。

 

 この島では、この奇妙な屋根型のものを「ヤネ(屋根)」と呼んでいた。これは寝棺を埋めた上に置いたもの。分類学的には「四十九院」というもの。下部に柱状の板が打ち付けてあるが、これが49枚あるのだ。ここでは、7年経つと、この屋根が腐って砂が落ち着くので、その上に「詣り墓」という石塔墓を建てる。埋め墓が参り墓に変わるというのである。

 

 古い写真の中に、わが家を建てる前の何もない荒れ地に、少しばかり盛り土をした風景が写っている。もう、二十数年昔の写真であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「願わなくても花は咲き 願っても花は散る」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板から。こんな言葉が、若かりし頃には気にならなかったものだが、生きて生かされ・・・60数年も経てば、こんな掲示板が目に付くようになった。春・夏・秋・冬・・・やれ台風だ、地震だ、晴天だ、木枯らしが吹いてきたぞ、積雪になったな・・・。願わなくても自然は動き続け、綺麗な花をもう少し見ていたいと願っても花は散ってしまう。私たちの「我」や「望み」や「希望」や「思惑」など、何の役にも立ちはしないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の雨 捨て犬濡らす 養鶏場

2016年04月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は13度から25度、湿度は90%から66%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。明日の8日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は「花散らしの雨」になると言うてはいたが、雨は小粒で降ったり止んだりを繰り返しているし、風だって静かでおとなしい。桜吹雪になるような雨でも風でもなかった。

 

 今日は「迷犬ごん」の狂犬病予防注射の日。みんなの前でそそうをしてはいかんので、朝の散歩を入念にやっておく。「雨の日はいやだなぁ・・」と、しぶしぶの散歩になった。足が濡れるのがいやみたいだが、犬用の長靴を用意するほどでもない。

 

 注射されても平気、よその犬がいても平気。認知が進んできたのかもしれない。

 

 今年は黄色のプレートになった。3歳でやってきて12年になるので、人間ならば15歳になるんだろうが、犬はずっと歳をとるというらしい。最近は犬小屋で寝てばかりいるが、相当のお年寄りなのかも知れない。

 

 昨夜もわらび料理だったのに、今日もわらびを採っておけという。毎日、わらびばかりは勘弁して欲しい。

 

 もう、わらびもおしまいみたい。タラの芽はこれからもどんどんと伸びそうだが、これまた、毎日になると、「もう、けっこう・・」と言いたくなってくる。

 

 タラの芽も、こんなに大きくなってきた。

 

 「介護センターの横で、ご夫婦がタケノコを掘っていたので、うちの山も見て来てよ・・・」と、仰るのだが、タケノコなんぞ、あるものか・・・と思いながらやってきた。これは、山猿がかじったもの。イノシシは地中にあるおいしいところを食べてしまう。サルは地上に出た部分だけを折って食べる。もう、サルの時期になったのか。

 

 これがイノシシの掘って食べた跡・・・。イノシシが飽きた頃にサルがかじって食べる。サルが飽きたら、今度は人間様の口に入る・・・。

 

 これはサルが折った後の根っ子部分を掘ってきた。今は、こういう時期・・・。

 

 ところが、サルが見逃したものが見つかった。こうして地上に出たものはイノシシは口にしない。おいしくないかららしい。サルは自分では穴を掘れないので、地上に出た部分を折って食べる。

 

 で、どうにか、タケノコが食べられそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「散る花や すでにおのれも下り坂」という小林一茶の俳句から。一茶の人生観の一端を垣間見るような句である。この句を読みながら、つくづくと感じるのは、自分の感性を高みに置かず、取るに足りないひとりの人間として、花を傍観して得た素直な感情を、句にしていることである。人間は死への存在であり、死を意識する動物である。しかし、普通に考える死は単なる知識であり観念である。しかし、それが現実の自己にかかわる死ということになってくると、そういうわけにもいかなくなってくる。「散る花やすでにおのれも下り坂」不安を隠しきれない句に読める。「白露やいつものところに火の見ゆる」秋の露ははかなくも消えるもの。「いつものところ」とは在所の火葬場のことであろう。「火の見ゆる」とは人を焼く火であろう。なんとなく寂しい人生のたそがれ、死を間近にした心境である。一茶が晩年とくに信心深い生活を送ったと聞いているが、それは人間的な価値が、いかにむなしいかを知っていたからだと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花吹雪 風に任せて 今日を終え

2016年04月06日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がるらしい。気温は8.6度から19度、湿度は96%から64%、風は0mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の7日は、前線や湿った空気の影響で雨が降りやすく、昼前から夜のはじめ頃にかけては、雷を伴う所がある見込らしい。

 

 明日が雨で、今日が最後のお花見日和だとニュースでは言っていたが、はてさて、今日はどこへ行こうかと考えながら走っていた。今日の目的は、昨日、借りて来た長尾町史の中の「小西家」の調査をする筈だったのだが。

 

 日光の関係で、いい絵が撮れなかったので、作戦変更して「静御前」を偲ぶ旅になった。まずは、87番札所にある、「静御前剃髪塚」からである。静御前は義経の死後、悲しい思い出を断ち切るため、母の磯野禅師の故郷、大内郷小磯に戻ってきた。そこでしばらく滞在したが、義経と殺された我が子の菩提を弔うために、長尾寺で剃髪して「宥心尼」となった。

 

 ここで、義経の思い出を断ち切るために宝物である「初音の鼓(つづみ)」を流したとされる「鼓淵」である。昔はここに川があったのだろう。今は細い水路があるばかり。

 

 ま、こういう名品であったようだが、「静」は、全ての思い出と決別する気で鼓を投げ捨てたのだろう。もはや、尼の身に鼓など不要であったのかも知れない。

 

 その後、母の磯野禅師は疲れと寒さのために倒れ、そのままここで亡くなった。

 

 道路に面した大きな石碑の裏手に、小さな石塔があるが、これが、磯野のお墓である。ご近所の方がお水とお花を供え続けているらしい。そこから少し西に進むと木田郡三木町に入る。川沿いに南に進んでしばらく行くと、山の手に大きな池が見えて来る。さらに進むと「鍛冶池」という池がある。

 

 その池の西側の土手にこのような建物が見えて来る。ここが「靜薬師」という庵跡で、ここに「宥心尼」が住んで、義経とその子供の供養のために念仏三昧をしていたという。

 

 中央にある小さな黒い厨子が、義経からもらった薬師如来である。

 

 特別公開。こういう薬師如来座像である。研修の時の物。普通には見ることはできない。

 

 庵の入り口にある案内看板である。

 

  その後、京から侍女の琴路(ことじ)もやってきて世話をしたらしいが、靜は病のために24才の若さで亡くなったという。侍女の琴路も七日後に、この池に入って亡くなったという。

 

 これが、静御前のお墓だと言われているもの。

 

 これが、侍女琴路のお墓だとされるもの。

 

 これは平家によって殺された義経の子のお墓とされるもの。新しいお墓だが、新しく作り直されたと考えておこう・・・。この庵は、屋島の合戦で義経の身代わりとなって亡くなった佐藤継信の子孫によって大切にお守りされていると聞いた。

 

 今日のお昼はここ。もう、最後のお花見。すっかりと葉桜になってきた県営大川ダムのダム公園での一人花見。今日の朝ドラではないが、おにぎり弁当。私も、あと何回のお花見ができ、何年、桜の花が見られるのだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「逝く空に 桜の花があれば佳し」という三波春夫の辞世の句である。平成12年12月上旬に東京都内の病院に入院。翌平成13年2月初旬のこと、都内でも大雪になり、三波は病床で「ふるさとを見せてやろうと窓の雪」との句を詠んだ。それを聞いた当時マネージャーだった娘・美夕紀が「辞世の句かしら」と問いかけると、三波は「そうかもな」と少し元気なく答え、続けて「逝く空に 桜の花が あれば佳し」とも詠んだ。美夕紀は「桜の花が咲くと一緒に永眠するのか」と思ったという。そして奇しくも同年、桜の時期の4月14日、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。77歳没。病名告知以降、手術はせずに投薬治療を選択。最期まで苦しむ事はなかったという。死去の3日程前から眠っている状態だった が、息を引き取る2時間前に目を開き、妻に語りかけた「本当にたくさんの歌を一緒に作ったね。ママ、ありがとう。幸せだった…」が最期の言葉だった。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山桜 散りゆく時を 見逃さず

2016年04月05日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がっていた。ときおり日差しが差し込む程度。気温は11.8度から19.2度、湿度は81%から56%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の6日も、気圧の谷や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は恒例の火曜日だからと、さぬき市前山の「おへんろ交流サロン」に出かけたが、今週はお休みなのか誰も来なかった。私がメールか電話だかを聞き忘れていたのだろうか・・・。

 

 それでは・・・ということで、香川県立図書館にやってきた。この前に借りた「島四国」に関する本を返却する期限が近づいていたためである。

 

 私が借りた、この本を、誰かがじっと待っているかと思うと、早く返さねば・・・という気が少しばかりするからだ・・・。ま、こういう本は、誰も待ってはいないとは思うのだけれど。

 

 で、今日も大川ダム一周のウォーキングにやってきた。全国的に、桜が満開らしいし、途中で見かけた桜も満開状態だった。でも、ここの桜は、盛りを過ぎて若葉が見えるように鳴った。

 

 ダム公園も、雪が降ったような感じになっている。

 

 陽だまりの桜はすっかりと若葉が萌え出ている。

 

 放水路にはハナイカダ(花筏)ができている。

 

 この109段の階段を踏みしめて昇って・・・ダムの管理用道路を歩いて・・・県道を戻ってくる。いつものコース。

 

 間もなく田植えが始まるので、ダムの貯水量も多くなっている。早いところでは三月末から田植えが始まっていて、このあたりでは、4月から5月にかけての連休の田植えが多くなってきた。台風に遭わないためだという。

 

 ダムの堰堤からは、わが家が小さく見える。

 

 ムラサキツツジも元気に花を開かせている。

 

 そうそう、奥方に頼まれていたお買い物のついでに、これも一緒に買ってきた。これも4月1日から1本10円の値上げだそうだ。

 

 ウォーキングの後の1本はあっという間に食べてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「るす寺に せい出して咲く 桜かな」という小林一茶の俳句から。こういう句もあった。「いざゝらば 死(しに)げいこせん 花の陰」 見事な桜の花を見て日本人はどういうわけか死を連想するようである。お釈迦様の入滅が2月15日(涅槃会)ということに関係しているのかも知れない。こんな句もあった。「ちる花を屁とも思はぬ御顔哉」、「ちる花や土の西行もうかれ顔」、「大川へ 吹なぐられし 桜哉」、「ちる桜 けふもむちゃくちゃ くらしけり」、「日本は 這入口から さくらかな」、「桜花 何が不足で 散りいそぐ」、「なまけるな いろはにほへと 散桜」・・・。まだまだ、たんとあるらしい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


薄曇る 庭にざわめく 紫木蓮

2016年04月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は低気圧や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降っている所があった。気温は16.1度から18.5度、湿度は95%から76%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の5日は、寒気の影響で朝まで雲が広がるけれど、その後は高気圧に次第に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 午前中はずっと雨が降っていたので迷犬ごんの散歩もお休みしたし、ウォーキングもお休みした。濡れてまで行くようなことでもないし、傘をさしてまでやるような運動でもない。

 

 朝の目覚ましに・・・ということで、カラオケ1番を立ち上げて・・・

 

 お得意の「愛燦燦」をリクエストして・・・

 

 いい気持ちで歌ったのだけれど・・・

 

 こらぁぁ・・、私の歌を聴いてへんのか・・・。

 

 気を取り直して、これは「フィンガー・プレゼンター」というもので、パワーポイントの画面を進めたりバックさせたりする装置で、左中指に装着して親指で操作する。ところが、これまた言うことを聞かない。

 

 で、電機屋さんに行って電池を買って交換したら、サクサクと動くではないか。今月23日の講演会ではこれが活躍するといいのだが・・・。

 

 で、100円ショップで結束バンドを買ってきた。あ、このボールペンのようなものが「LEDポインター」で、右手でスクリーン上に赤いポインターを表示するもの。

 

 で、この前にゴム・チューブを接続した、スリングショット。このゴムチューブが抜けないようにしっかりと結束した。

 

 いらないベルト部分を切ってしまう。これで、ゴム・チューブが抜けることはない筈・・・。

 

 午後からは、奥方の注文で、またしてもワラビ採り。昨日のワラビはどうしたの・・と聞くと、「もう一人のケアマネさんにあげたのよ・・・」と仰る。そんな、バナナ・・・。

 

 で、ついでにタラの芽も・・・という注文。あちらこちらを歩き回って、これだけは集めてきた。

 

 昨夜、天ぷらにして食べた時、「歯ごたえだけね。香りも味もしないわ・・・」などと云うてたのはどなたさんでしたかね・・・。

 

 こんなきれいな物はまだない。と、いうか、道路沿いのものはみな、枝切り挟みで切断されてしまっている。あ、いいなぁ・・と思うと樹高が高かったり、足場が悪かったりする。こんな山の中で「心不全」で倒れても誰にも気付かれない。無理はやめて近場だけにしておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「死に支度 致せ致せと 桜かな」という小林一茶の俳句から。小林一茶の桜の句を探していると、こんな句も作っていた。 散る花やすでにおのれも下り坂/花さくや欲のうき世の片隅に/夕ざくらけふも昔になりにけり/ 死に支度致せ致せと桜かな。一茶の人生観の一端を垣間見るような句ばかりだ。この中で、特に最後の桜が、一茶に対し、「死に支度」をお前もした方が良いと 迫っているという句が気に入っている。滑稽味の中に怖さがあって面白い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


入れ替わり 立ち替わりして わらび採り

2016年04月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方から雨が降る見込みらしい。気温は13.8度から19.1度、湿度は82%から90%、風は1mから4mの東南東の風がピューピューと音を立てて吹いていた。明日の4日は、四国の南海上を東に進む低気圧や前線の影響で、昼前にかけて雨が降るらしい。

 

 朝の間もまた、県営大川ダム周辺を歩いてきた。今日はワラビ取りの夫婦が二組、一生懸命にワラビを取っていた。

 

 かつての町長さんが、このダムの周辺一帯を観光地にしようと桜の木を植えたり、設備を作ったりしたのだけれど、駐車場がなかったために、県道の両側に路上駐車が絶えず、通行の支障が出てやまってしまった。その頃は、バーベキューだ、カラオケだと大騒ぎをしたものだが、今はその面影すらもなくなってしまった。

 

 で、歩きながらのワラビ取り。子供の頃には、「わらび菜」と云って、これを採って小遣い稼ぎをしたものだった。一束10円で買ってくれるおじさんがやって来て、学校の宿題そっちのけで山に入ったものだった。

 

 で、今日も、これくらい取ってきた。

 

 そそ、昨日のワラビはこうなった。

 

 今日は、いつもの「おへんろ交流サロン」や道の駅「ながお」周辺で、「さくらまつり」をやっていると聞いていたのでのぞいてきた。

 

 おへんろつかさの会長が、納札展示場で案内をやっているということだったので、この前に作った記録写真集を届けてきた。ここも道路に自動車が溢れていたので、私は早々に会場を出た。人が多いのは好きではない。

 

 で、奥方は今日もお仕事に出かけたので、一人カラオケをやっていた。このシステム、私の歌には冷淡で、「あなたの点数0、歌を歌ってください」とかとメッセージが出る。私は歌を歌っているのだけれど。

 

 この歌なんか、得意中の得意なんだが・・・

 

 私が嫌いなのか、こういう評価しかしない。歌の上手さとは関係ないみたい。

 

 300曲ついて1万円というのだから「おもちゃ」なのだと思う・・・。で、知らない歌をよろよろしながら歌っても、「あなたの採点 90 オー、うまいじゃないですか」などと出たりする。おちょくっとるんかい・・・。

 

 300曲・・・というても、沖縄民謡とか英語の歌とか童謡とかが入って居るので、歌いたい歌は十数曲しかない。で、曲を追加するには1曲200円なのだと・・・。なんだかなぁ・・・

 

 今日の掲示板はこれ。「ちるサクラ 残る桜も散る桜」聞き飽きた言葉だけれど、時期的なことばなので掲示しておく。この句は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている俳句である。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」というように受け取れる。要するに限られた「いのち」ということである。今の世の中はさまざまな悩み事が多くあるもの。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のことなど、幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている毎日ではないだろうか。しかし、物事にはすべて結果があることは言うまでもない。無常にも時間は止めることができない。ならばどう時間を過ごすのかを考えること。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでをいかに充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思うのである。また、この良寛和尚の句から親鸞聖人が得度をされる時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌 を連想させられる。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような心境で親鸞聖人は慈鎮和尚に得度を願われたことと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ぐんと咲く つつじの道を 走り抜け

2016年04月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.9度から19.2度、湿度は88%から74%。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の3日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方から雨の降る所がある見込みらしい。

 

 天気がいいし、風もないのでダム一周のウォーキングに出た。ダムの桜は満開状態だが、それを愛でる人は誰もいない。

 

 この109段の階段を昇って堰堤上に出る。洪水調節・流水の正常な機能の維持を目的として1963年に建設された、津田川水系・津田川にある県営のダム。堤高36.0m、堤頂長124.0m、堤体 積36000立方メートルの重力式コンクリートダムで天端は立ち入り禁止になっている。ダム湖は、流域面積4平方キロメートル、湛水面積8ha。

 

 階段を昇りきると、上の地図の「大川ダム」の「ム」の字の所に出る。そこから反時計回りに管理用道路を歩いて、県道2号線に出る。そこから北上する。

 

 季候がよくなると、こうしたバス釣りの若者が増えてくる。

 

 こちらはヘラブナ釣りのおじさん・・・。

 

 歩きながら摘んだワラビ。

 

 こんな長いものもあった。

 

 こういうものも幾つかあって・・・。

 

 これは、イノシシがタケノコを掘って食べたところ。

 

 ダム公園で、またしても一人花見。

 

 山にはヤマザクラが満開状態。

 

 今日の収穫は、このワラビと・・・

 

 このタラの芽。奥方のケイコばぁは、孫のなぎちゃんらと岡山へお出かけ。今日から岡山でイベントがあるとかで出かけて行った。ついでに美観地区にも立ち寄るらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「進んで持てば重荷も軽い、いやいや持てば半紙も重い」という中村天風さんの言葉から。中村天風(なかむら てんぷう/1876年7月30日-1968年12月1日/男性)は、天風会を創始し心身統一法を広めた思想家、教育者、著述家。 本名は「中村三郎」。30歳の頃に奔馬性結核を発病し、病気のために弱くなった心を強くする方法を求めてアメリカへ密航。アメリカやイギリスでは納得の行 く答えを得ることができなかったが、日本への帰国の途上のカイロでインドのヨーガの聖人「カリアッパ師」と出会い、そのまま弟子入り。ヒマラヤ第3の高峰 「カンチェンジュンガ」のふもとで約2年半修行を行い、日本への帰国途上であった1913年に中国で孫文の第2次辛亥革命に「中華民国最高顧問」として協力を行う。日本に帰国後は東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任し実業界で活躍。1919年に「統一哲医学会」を創設し、街頭などで教えを説き始める。同会には政財界の実力者が数多く入会するようになり、1940年に「天風会」に改称。多くの著名人が天風に師事しており、各界に大きな影響を与えている。(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の雨 草の芽吹きを 祝うよう

2016年04月01日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線を伴った低気圧の影響で雨が降っている。気温は13度から15度、湿度は96%から88%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝から一日中雨になった。日曜日にネットで注文した荷物が届きそうで届かないので、外出するのも気がかりで動けない。でも、そんなに早くからは来ないだろうと、前山の「おへんろ交流サロン」に出かけて、パネル二枚の入れ替をやってきた。

 

 その帰り道、さぬき市名(みょう)という地区の「池の内」という集落に立ち寄った。このあたりが「小西一族」の住んでいるところらしい。この「小西和(かなう)」さんも、その一人。

 

 このお屋敷も、昔は、小西一族とかが住んでいたのだろうか、今は介護センターが使っている。このあたりには、こうした土蔵、白壁作りのお屋敷が多いのだ。

 

 で、これが浄土宗の「浄土寺」で、本尊は阿弥陀如来。明治27年、池の内小西本家の菩提を弔うため建てたもので「池の内の庵」といわれていた。昭和15年に綾歌郡法勲寺村より浄土寺の寺号を移して浄土寺と公称し、戦後宗教法人法により法人の手続きをした。現在は無住となって、荒廃著しい。檀那を失ったお寺である。

 

 と言うのも、こうした資料を作っているからである。

 

 こうした、法然上人25遺跡巡拝の「写し霊場」というのが各地にあるという部分の説明用である。

 

 与えられたテーマは、こういうものだが、ある理事さんから、「そんなものが、このあたりにあるのならば、それも付録で話してくれんやろうか・・・」ということで、両墓制を少しばかり割愛して、法然上人25遺跡(ゆいせき)巡拝と、親鸞聖人二十四輩巡拝もお話することになった訳だ。

 

 四国遍路だけが巡拝じゃないぞ・・・みたいなことになってしまうのだけれど。

 

 で、配布用資料の原稿も作成した。作業は順調。

 

 雨が降る日は雨のように・・・。

 

 雨は本降りになったり止んでみたり、また激しく降ったりと忙しい。

 

 で、とうとう、品物がやってきた。先日の花見の宴の時に、ノートPCをテレビにHDMIでつないで、ユーチューブのカラオケをやっていたが、それは面倒くさいことだ。BS放送だと、しょっちゅうPRしてるんだが、弟たちは地デジなのか、知らないらしいので、思い切って買ってしまった。これで、明日からは安心してお出かけができることになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「そこから先は聞かない そこから先は云わない それが大人のつきあいです」という、荒了寛さんのお言葉から。 お互いに聞かれたくない、言いたくない、など立場や状況によってはあるということだし、相手から話し出したことでも、あまり根掘り葉掘り聞くより、話した いことだけを聞いてあげるだけで十分かもしれない。時に重大な相談ごとでも、それ以上は理由を聞かないのも、相手への気遣いであり、良好な関係を続けるポ イントかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>